第八章 再会「1」

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 現在の時刻は午後六時。

 集合場所は、僕の家の前。

 集まったのは菅井、須田、鈴木、そして僕の四人だけだった。もっとたくさん来ると予想し、身構えていたのだが、とんだ拍子抜けだ。

「本当に小規模だな」

 僕は菅井に耳打ちした。

「でしょ? 予定空いていたの、この二人しかいなかったのよ」

 菅井が自信満々に言った。

「少数精鋭ってことだな」

 僕らの会話を聞いていたのか、須田が菅井の肩に手を置きながら言った。

「それにしてもみんな久しぶりだね」

 菅井は肩に置かれた須田の手をやんわりとかわしながら言った。

 菅井とは久しぶりだけど、僕と須田と鈴木はこの前会って飲んだばかりだ。特に須田は、二度も煩わせている。

「それで、どこ行く?」

 鈴木がスマートフォンを触りながら言った。

「駅前のラーメン屋が美味いらしいぞ」

「いいねえ! 私、賛成!」

「ラーメンの前に軽く居酒屋で飲もうぜ」

 菅井はラーメンに賛成し、須田は居酒屋という選択肢を提案した。そういえばこんな光景見たことがあったな。

 確か、あれは修学旅行のとき、自由時間の際に回る観光地の計画を立てていたときだったか。

「御坂はどうする?」

 須田が僕に尋ねる。

「――僕は、折角皆で集まれたからお酒とか飲みたい、かな」

「よし、じゃあ駅前の居酒屋行こうぜ」

 須田がはりきりながら歩き始めた。

「飲み過ぎて倒れないでくれよ」

 鈴木が須田の背中を軽く叩きながら言った。

「私、明日仕事だからそんなに飲めないよ」

 菅井が二人のあとに続く。

「どの口が言うんだよ。お前この前の同窓会でもそんなこと言って酒かなり飲んでただろ」

 須田が菅井を窘める。

「今日は気をつけるよ」

 菅井が頭を掻きながら言った。

 三人の後ろ姿を眺めながら、かつての僕の姿を探した。そして、それを止めた。

「おーい、御坂、置いてくぞ」

 須田が僕を呼ぶ。

「ああ、今行く」

 僕は小走りに三人の元へ駆けていった。

 そういえば、こんな感じだったな。

 少しだけ高校の頃のことを思い出せたような気がした。



 楽しい時間は、すぐに過ぎていった。

 〆のラーメンを食べ終えた僕らは程よく酒に酔い、シャッター街を当てもなく歩いていた。

 閑散としたシャッター街に僕らの笑い声が反響する。それは、まるでやまびこ近い。

 やがて、時間がきたのだろうか、須田と鈴木は「じゃあな」と言い、それぞれの家へと帰っていった。

「今日は楽しかったよ。呼んでくれてありがとう」

 僕は二人の後ろ姿を眺めながら菅井に礼を言った。だが、

「……飲み直しだよ」

 菅井は僕の腕を掴んで引っ張った。その時の菅井の横顔は真剣そのものだった。

「ちょ、ちょっと待てよ」

 僕は立ち止まりながら言った。

「飲み直しって、どこいくの?」

「コンビニで適当に買う」

 菅井は言った。

「私の同窓会は、これからだから」

「わかった。わかったから手を離せよ。一人で歩ける」

 僕がそう言うと菅井は僕の腕を離した。

「あんた、まだ私から聞いてないでしょ?」

 心臓が跳ね上がる、というのはこのことなのだろう。

「……やまもんの、話か?」

「それ以外にある?」



 僕は年齢制限を超えてしまっている遊具に跨りながら日本酒のワンカップを、菅井はベンチに座りアルコール度数の低いチューハイをそれぞれ買って飲んだ。

「さて、どこから話そうかな」

 菅井が宙を眺めながら言った。

「そんなに複雑な話なのか?」

「複雑っていうか、かなり暗い話だよ。まあ、言わないとあんたもやまっちゃんも先に進めないから、仕方ないんだけどね」

「先って、どういうことだよ」

「それを今から話すのよ」

 菅井は先ほどラーメンを食べていた時とは打って変わってとても悲し気な表情をしている。今にも泣き出しそうだ。

「ちょ、ちょっと待てよ。なんだよその顔。ハンカチ、使うか?」

「……いらない」

「で、でも――」

「いいから、とにかく話を聞きなさい」

「……は、はい」

 菅井の剣幕に圧倒された僕はその場で硬直した。

 しばらく、その状態が続いた。

 やがて菅井が口を開く。

「先に聞いておく。あんた、やまっちゃんのこと、まだ好きなの?」

 唐突だった。

「な、なんで――」

「話は聞いているのよ」

「――どこまで?」

「全部」と菅井はきっぱり言った。

「そう、なんだ」

 僕は俯いた。

「それで、どう思った?」

「はっきり言って、最低よ」

 菅井がはっきりと言った。

「でも、信じられない。ううん、信じられなかった。私には、あんたがあの子にそんなことをする奴になんて見えなかったから」

 きっと菅井は揺れているのだ。いや、挟まれているのだ。僕と、やまもんに。

「ねえ、教えて。あんたはやまっちゃんをどう思っているの?」

 菅井が詰め寄った。

 僕は俯いた。

「……僕は――」

 今この心境状態で口に出してしまえば、蓋をしていたものが全て出てきてしまいそうな、そんな気がした。

 ちらと菅井の表情を窺う。

 先ほどよりも悲し気な表情をしていた。

 ――いや、今更何を迷う必要があるんだ。変わるって決めたじゃないか。後悔を後悔のままで終わらせないって、決めたばかりじゃないか。

「僕は、今でもやまもんが――」

 菅井が息を詰めながら僕の言葉を待っている。

「やまもんが、好きだ」

 僕は遊具から降りながら、静かに言った。

「……そっか」

 菅井の表情が一瞬だけ緩んだ。けれど本当に一瞬で、表情はまたすぐに戻ってしまった。

「そっか……」

 そして菅井は俯いてしまった。僕は何がなんだかわからず、ただ立ち尽くすしかなかった。

 菅井はきっと、何かを知っている。いや、元々何かを知ってると思って僕から連絡したのだけれど、僕の想像以上のことを彼女は知っているに違いない。

「何を、知ってるんだ?」

 僕は、聞かずにはいられなかった。

「何か知っているなら、教えてほしい」

「やまっちゃんが遠くへ引っ越ししたことは知ってるよね?」

「……ああ、知っているよ」

 場所までは知らないが。

「それがどこかはわかる?」

「……いや、わからない」

「――だよね」

 菅井は言い、チューハイを一口二口と喉へと流し込んだ。

「結局、どこなんだ?」

「……静岡」

「……本当に、遠いな」

「静岡の伊豆半島ってところにある小さな町よ。本当に、遠い。実際行ってみてわかったよ」

「え? 引っ越しのあと、やまもんと逢ったのか?」

 僕の言葉に菅井は答えることはなく、チューハイの缶をしっかりと両手で握っている。

 それを見かねた僕は、「飲まないのか?」と尋ねた。

「――え? うん、の、飲むよ」

 菅井は思い出したように缶に口をつけた。

「それで、やまもんとは?」

 僕は再度尋ねる。

「逢ってないよ」

 期待した答えは帰ってこず、僕は落胆した。もちろん菅井には悟られぬように。

「そっか……」

 菅井なら知っていると思っていたのだが。

「――というより」

 菅井が俯きながら言葉を続けた。

「逢えるはずだったのに、逢えなくなったって言ったほうが正しい、かな」

「どういうことだ?」

 僕は身を乗り出すように菅井に尋ねた。

「……やまっちゃんは、もういないから」

「どういうことだ?」

 二度目の疑問。

「なあ、どういうことなんだ?」

「……やまっちゃんはね、死んじゃったのよ」

 三度目で、ようやく菅井が答えを言った。

「は?」

 正直、何かの冗談かと思った。

「――冗談、だろ?」

「冗談じゃないよ。引っ越してからすぐ、不慮の事故で……」

「引っ越して、すぐ?」

 僕にはまだそれを信じることができなかった。いや、信じたくなかった。

「不慮の事故ってなんだ?」

 僕は菅井の肩を掴み大きく揺さぶった。

「あの子、家のすぐ近くの山に登ったんだって。それで崖から落ちて……」

 菅井が暗い顔をしながら言う。

「……転落死、ってやつ」

「なんで山になんて登ったんだ?」

「そんなの、わからないよ……」

 菅井が俯き、首を横にふる。

「私がもっと早く逢いに行ってあげていれば、変わっていたかな……」

「それって、いつ頃だ?」

 僕は菅井の肩を掴む力を一層強め、大きく揺さぶった。

 菅井は僕にやまもんが亡くなった日にちと、通夜の時の様子を事細かに説明してくれた。

 奇しくも、連絡がとれなくなった時期とやまもんが事故に遭ったであろう日にちが一致していた。

「やまっちゃん、いつか私に電話してきた。自分はお荷物だったって」

 菅井が目に怒りと悲しみを湛えながら言った。

「そんな子がまたお荷物になるような真似、私はしないと思う」

 やまもんに別れを切り出した日のことを思い出す。

 あの時、僕は自分のことしか考えていなかった。いや、それは今も同じか。

「納得、したよ」

 納得せざるを得なかった。

「なあ、僕はこれからどうすればいいと思う?」

 僕は菅井に尋ねる。

 縋る思いだった。

「そんなの、御坂次第でしょ」

 菅井ははっきりと言った。

「僕次第、か」

「それとさ、御坂」

「なんだよ」

「やまっちゃんのお墓、どこにあるか知りたい?」

「そりゃあ、知りたいさ」

 僕は菅井の肩から手を離し、俯きながら言った。

「――そう。それなら、ここに行きな」

 菅井がスマートフォンで手早く検索をかけ、僕にある町の地図を見せてきた。

「ここにやまっちゃんのお墓があるから、行って話でもしてきな」

「でも、今更……」

「やまっちゃんが好きなんでしょ? 今も、そんなに悩むくらい、好きなんでしょ? だったら逢いに行ってあげなよ。そして、謝ってきなさいよ」

「それは、そうだけど……」

「はい、これ」

 菅井が何かを握った右手を僕に差し出す。

「これは?」

「私の原付バイクの鍵だよ。あんた、どうせ車持ってないんでしょ? 車は貸せないけど、原付なら貸せるから、これで逢いに行ってきな。電車より良い気分転換になるかもしれないしね」

「でも、いいのか?」

「いいのよ。あんたのためっていうのもあるけど、一番はやまっちゃんのためだから」

 そう言って、菅井は僕の左手に原付バイクの鍵を握らせた。

「ありがとう、菅井」

「お礼なんて、いらないよ」

 菅井が目を伏せる。

「私も、今のあんたと似たような感じだから。だからこんなことしているのかもしれない」

「――そっか……」



 僕は実家に帰らず、菅井から借りた原付バイクを押しながら、昔よく遊んでいた川の麓に腰を下ろして、川に映る月明りを眺めていた。

「僕次第、か」

 先ほどの菅井の言葉を思い出す。

 深夜のせいか、月明りが映っているところ以外に川の流れを目視できない。

 どうしてやまもんは山に登ったのだろうか。

 スマートフォンで時刻を確認すると、既に日を跨いでいた。

 僕は立ち上がながらズボンについた砂を掃い、道路の方まで原付バイクを押した。そして道路に着くと原付バイクに跨り、エンジンをかけ、風を感じながら数時間かけて帰路に着いた。

 ――明日、逢いに行こう。

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