第五章 変化の苦悩「3」
3
身体は正直なもので、ある程度睡眠をとると目が覚めてしまう。かく言う僕も例外ではなかった。
僕は変わることを、少女を受け入れた。それは僕史上の快挙と言っていいだろう。
人は生きている限り少なからず誰かを傷付けるし、誰かに傷付けられる。それを受け入れた僕の人生は明らかに色を持った。それも夢を見始めた頃の曖昧な色と違って、しっかりとした瑞々しい色を持ったのだ。
目を覚ますのが惜しかった。ずっと寝て夢を見ていたいとさえ思ったからだろう。
成長すること、変わることの暗示は恐らく当たったと言っていいだろう。つい先日までは頑なだった僕の心も、今では柔和になっている。考え方一つ変えるだけでここまで心が晴れやかになるとは、人間の心というものは複雑で、それでいて単純で、とても末恐ろしいものだ。
カーテンを開けると同時に、爽やかな太陽の光が部屋全体に入ってきた。空もすっかり晴天で雲一つなく、とても気持ちがよかった。以前の僕ならそれらを嫌味のように捉えていたのに。
夜になるのがとても待ち遠しかった。なぜなら夢を見ることができるからだ。また少女に、夢のなかではあるけれど、彼女に逢うことができるからだ。
やまもんに対する罪悪感が消えたわけではない。寧ろしっかりと心に刻印されていて消えることはない。それでも、少女を受け入れようと思った。少女の言葉を信じてみようと思った。それがやまもんの言葉だと信じて。
冷蔵庫を開け、須田から貰ったもう一つのコンビニ弁当を手に取ろうとしたとき、昨日買ったもやしや、値引きシールが貼ってある豚肉が目に入った。
「そういえば、今日から自炊するって決めたんだったな」
独り言を呟きながら冷蔵庫の脇に置いてある米袋から米を二合ほど取り出し、釜に入れ研ぎ始めた。米を研ぐのは数ヵ月ぶりだった。ある程度研ぎ水が透明になったのを確認し、炊飯器に釜を入れて蓋をし、炊飯ボタンを押した。続いて冷蔵庫からもやしや豚肉等の具材を取り出し、フライパンをコンロで熱し、サラダ油をしき、そこに具材達を投入し炒め始めた。
火を通しすぎたのか、野菜たちはみなクタクタになり、肉も若干焦げてしまっていた。あまりにも手軽で早く出来すぎてしまったため、米が炊きあがる頃にはすっかり冷めてしまっていた。出来上がった時は湯気が立っていたが、いざ食べようと手を合わせる頃には湯気はまったく立っておらず、口に入れる前から冷めているのが分かった。自分が作った料理とはいえ、お世辞にも美味しいとは言えなかった。米と野菜炒めどちらが美味しいかと問われたら僕は米と答えるだろう。それでも残さずきちんと食べた。自炊の腕をもっと上げなければならないなと食器を洗いながら思う。
――さて、今日は何をしよう。
療養期間が明けるのはあと三日後だ。それまで何をすればいいのか見当がつかなかった。
結局、朝ご飯を済ませてから夕方まで、スマートフォンで動画を見たり、尊敬する小説家の小説を読んでいた。つまり、ほとんど何もしないで一日を過ごした。
先日買い物に行ったとはいえ冷蔵庫のなかは相変わらず乏しかったので、節約のために昼ご飯は食べることはしなかった。
寝返りを打ちながら窓越しに空を確認した。空はすっかり暗くなっている。部屋の中も外と同様に薄暗く、僕は読んでいた小説に栞を挟み、それをテーブルに置きながらベッドから立ち上がる。窓際まで行き、カーテンを隙間なくしっかりと閉めた。電気を点けていなかったせいか、カーテンを閉めると薄暗かった部屋がいよいよ真っ暗になった。それがとても心地良かった。
僕は敢えて電気を点けずにテーブルに置いてある睡眠導入剤と病院から処方された薬を手に取り台所に向かい、コップに水を注ぎ、手の平に乗せた錠剤たちを口に放り込み水で流し込んだ。
そして再びベッドに横になりスマートフォンをいじり始めた。特に興味のないサイトを開いては閉じ、また別のサイトを開いては閉じ、そんなことを淡々と繰り返す。その間画面上部に常に表示されている時刻をちらちらと眺める。時間の流れがとてもゆっくりに感じた。
まだ眠気を感じることができなかった。
――早く、眠気よ、来い。
心の中で念じながらその時を待った。けれど一向に眠気が来る気配がない。仕方なく僕は起き上がり、電気を点け、先ほどテーブルに置いた小説を読み始めた。
小説の内容は哲学的で面白かった。誰もが考えそうな漠然としたことを卓越した文章で描いていた。
なんでもその小説家はもともとインターネットに投稿していて、それが出版社の目に留まりプロデビューを果たしたそうだ。
その小説家の本は一応全て持っているし、全て読了している。早く新作が読みたいものだ。
そんなことを考えているうちにうつらうつらとしてきた。小説の文字が霞んで見える。
――そろそろだ。
僕は身体を起こしながら小説に栞を挟み、先ほどと同様テーブルに置き、再びベッドに横になった。
電気を消す時間が惜しかった。
僕は、そのまま眠りについた。
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