第四章 奪われた睡眠「4」

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「どうして逢いに来てくれなかったんですか?」

 夢のなかの、境内で目が覚めたと同時に、もはや馴染みになってしまった少女からお怒りの言葉を食らった。

 油断して眠ってしまった自分と、しつこい夢のなかの少女に対しての苛立ちが徐々に膨れ上がっていく。

「――そんなの、僕の勝手じゃないか。大体いつ僕がそんな約束したんだよ」

 負けじと僕は言い返した。

「約束は、してませんけど――」

「けど、なんだよ?」

「とにかく逢わないと駄目なんです」

 少女がきっぱりと、凛とした表情で言った。

「面倒臭い奴だな」

「面倒臭いとはなんですか」

「そのままの意味だよ。いつもいつも夢のなかに出てきては僕を苦しめる。これが面倒臭くないなら一体なんだ?」

「酷い言い草ですね」

 少女が若干不機嫌な表情をしながら言った。

「事実、そうだろ」

「う~ん、これは重症かもしれませんね」

 少女が某探偵アニメの主人公のように、顎に指を当てながら何やら考え事を始めた。その仕草に僕の苛立ちはいよいよ増した。

「もうやめてくれよ。君は幽霊か何かなのか? 僕に取り憑いて楽しんでいるのか?」

「そ、そんなんじゃありません」

 少女が僕の言葉をしどろもどろになりながらも否定した。

「じゃあ、なんだよ」

「答えるのが、ちょっと難しいですね」

 少女が難しそうな顔をしながら言った。

「もう何がなんだか、わからん」

 僕は頭を抱えながら項垂れた。

「そんなことより」

 少女が話題を変える。

「丸三日寝てなかったみたいですけど、大丈夫なんですか?」

「え?」

「身体を悪くしてまで私に逢いたくない理由って、なんですか?」

 少女が真剣な表情で僕に問いかける。

「関係ないだろ、君には」

 僕はぶっきらぼうに言った。

 ――そもそも君のせいでこんなことになっているんだぞ。

 僕は心のなかで少女に言った。

 ――君が僕のことを好きだなんて言うからいけないんだ。

「関係ありますよ」

 少女が真剣な表情を崩さず言った。

「なんだよ、言ってみろよ」

 どうせ答えはわかりきっている。

「好きだから、です」少女が、やはり真剣な表情のまま言った。

 ――ほら、みたことか。

「僕が丸三日寝ずにいた理由、分かるか?」

「分かりますよ」と少女が言葉を返した。

 その答えに僕は若干動揺したが、気取られぬ様、先ほどまでと変わらぬ態度を装った。

「なにが分かるっていうんだ」

「えっと――」

 僕の問いに少女は答えようかどうか悩む素振りを見せ始めた。

 数分程膠着状態が続き、痺れを切らした僕が何かを言おうとしたがそれを少女の言葉が遮った。

「あなたは過去のことで、人を好きになる資格はないし、好かれる資格もない。それだけじゃなく、幸せになる資格もないと思ってます。今回、たとえ夢でも私に好かれて動揺したあなたは、私から避けるためにわざと寝ずにいた。違いますか?」

 心臓がどくんどくんと激しく脈打ち始めた。

 一語一句、的中していた。

「どうして――」

 ――どうして知っているんだ? 夢だから、なのか?

 僕は半ば混乱していた。

 ――夢なのだから好きを受け入れたとて現実とは関係ない。なら、良いか。

 そう思いかけたが、

 ――いや、違う。だめだ。

 たとえ夢でも、大切な人を傷つけた僕にそんな資格などなかった。それは赦されることではなかった。

 ――嗚呼、さっさと覚めてくれ。そして覚めたら、もう絶対眠らないんだ。

 心のなかで様々な感情がぶつかり合い、今にも壊れてしまいそうな勢いだった。挙句取り乱し、その場に膝をついて呆然と少女の足先を見つめた。

「私はあなたの全てを知っています」

 少女が若干声色柔らかく、けれどやはり真剣な表情で僕の頭を撫でながら言った。

 ――どういうことだ?

「どういうことだよ」

「実は私も、あなたと同じかもしれません」

 少女は表情を緩めながら言った。

「いえ、同じなのです」

 ――騙されるものか。

 これは僕の夢だから、僕に都合の良いものを見せているに違いなかった。けれど、

 ――都合の良いもの? 僕にとって都合が良いものは、なんだ?

「同じ境遇とか言ったな」

 僕は伏せていた顔をゆっくりと上げながら言った。

「僕の気持ちがわかるのか?」

「ええ、わかります」

 少女は凛とした表情で答えた。

「わかるのです」

 まだ少女を俄に信じることができなかったが、少なくとも僕の過去の憂いをずばり、一字一句違えずに言い当てた。

 夢は自身の願望を見せるという。

 もしかしたら、心のどこかで変わりたいと思っている気持ちがあって、それが夢として現れているのではないだろうか。それなら、もう隠す必要もないだろう。


『あなたは何かに怯えています』


 ――そういえばそんなこと言われたっけな。確か、目の前にいるこいつが僕に告白してきたときか。

 数日前のことなのにまるで遠い昔の出来事のように感じる。

 わざわざ、何か、なんて言葉で濁さずに、知っていたのなら今のように、あの時言ってくれていれば丸三日も寝ないなんて馬鹿な真似しなかった。

 僕が望んでやったことなのに、操られていたような感じがして釈然としない。まるで僕の行動パターンを熟知されているような、そんな気がする。

 とにかく、ここまで肉体的、精神的に追い詰められないと僕は本音を言えないらしい。

 たとえ僕の夢のなかの登場人物だとしても、この少女はどうやら僕のことを理解してくれているようだし、膠着した僕の心を少しでも解きほぐすために、今まで話さなかったこの話を、目の前にいる少女にするべきなのかもしれない。多分、全て知っていると思うけれど。

 僕は一呼吸おいて七年前の過去のことを洗いざらいに少女に吐き出した。

 少女は最初こそ真剣な表情で聞いていたが、途中、やまもんと電話で別れた直後の僕の心情を話したときだけ一瞬、哀しい、若しくは苦しそうな表情になったのを僕は見逃さなかった。

 よく出来た夢だと思った。

 まあ、僕の過去の、憂いの核となる話だ。僕が一番気にしていることだけあって、それが夢のなかの少女の表情に現れたのだろう。

「辛かったですね」

 少女の慰めの言葉で我に返った。

「こんな話、聞いてくれたのは君が始めてだよ」

 そう言ってから僕は、いつの間にか、お前、ではなく、君、に呼び方が変わっていることに気付いた。僕はなんて単純な奴なんだと思いながら苦笑した。

「それは光栄です」少女が微笑みながら言った。「少しは私のことを信用してくれたみたいですね」

「――少し、はね」

 事実、ほとんど信用していた。いや、信頼していたと言ったほうが正しいのかもしれない。

 僕は目の前にいる少女の正体を自分自身であると結論づけていた。

「じゃあ――」

 少女が何かを言おうとしたのを、僕は手を振って遮った。

「けど、それと好きになることや幸せになることは違うんだ。あくまで、僕が過去を話したのは君(僕)が同じ境遇だって言ったり、理解者になれるって言ってくれたからだよ」

 僕は責め立てるように言った。

 少女を責めることで僕の過去に対する、やまもんに対する罪悪感がより深みを増していくように感じた。それに僕は満足していた。なぜならそれが、僕が僕自身に課した唯一の償いだからだ。

 本人に届くことは決してないが、それでも、自分の溢れる罪悪感を少しではあるが払拭することができた。

 女々しい男だと笑われても構わない。それだけやまもんのことが好きだったということだ。

「頑固な人ですね」

 少女が深く息を吐きながら言った。

「一途って言ってくれよ」

「一途のベクトルが違うと思いますよ。今の御坂さんを、その、やまもんさんが見たら哀しむと思います。もっと自分の幸せを考えてほしいって思っている筈です」

 少女か僕の目を真っ直ぐ見つめながら力説した。

 嗚呼、もう、僕はまだそんなことを思っているのか。僕は僕にまだこんなくだらない夢を見せるのか。

「あるわけないだろ、そんなこと」

 僕は目を伏せながら言った。

 ――そう、ありはしないんだ。

「もしあったら、どうしますか?」

 少女が、やはり真っ直ぐ僕の目を見つめながら言った。

「もしあったら、一体あなたはどうするんですか?」

 ――もし、あったなら――。

 懸命に言葉を探そうとするが、

「ないと、思うよ」

 やはりありはしないと思う。いや、もしあったとしても、自分で確かめるまではそれに縋ることなどできない。

 ――僕の潜在意識よ、いい加減そろそろ気付いてくれ。この少女の正体は、僕の甘えが生み出したものなのだ。

「本当に、頑固ですね」

「もう、それでもいいよ」

 僕は半ば諦めるように言った。

「そんなあなただから、私は好きなんですよ」

 少女が言うや否や、僕の一瞬の隙をついて、僕の額にキスをした。

 あまりに突然のことで僕は動揺し、混乱した。

「な、なにを――」

「前回、キス損ねましたから」

 頬を赤らめながら言った。

「荒療治です。今はまだ通じないと思いますけど」

 僕はキスされた額に触れながら少女の言葉を解読しようと試みた、が、あまりにも動揺し、混乱してしまっているため答えらしい答えに、というより現状を把握するのに時間がかかった。

「な、なにをするんだ!」

 僕はやっとの思いで言葉を発したが、先ほどの取り乱しが尾を引いており、とても弱々しい声になってしまっているのが自分でもはっかりわかった。

「いまはこれくらいしかできません。でもいつか、してみたいです。しっかりと、ね。また、ね」

 キスした僕の額に触れながら、少女は微笑みを浮かべて言った。

 僕の予想は大きく外れていた。

 少女は僕の潜在意識が作り出した甘えではない。

 ――なら、一体なんだ?

 考えるより早く視界が霞み出した。

 ――嗚呼、またこのパターンか。

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