第13話

 


 どこかの事務室らしい所に辿り着いた時、俺はもうヘトヘトだった。三半規管へのダメージも甚大で、口の奥からは何やら酸っぱい臭いが湧き上がっている。そんなことしたら俺ことミカエラさんは大層悲しむやら恥じるやらなので全力で耐えるけどな。今になって俺のダメージに気付いたらしいミアは、慌てて俺を椅子に腰掛けさせた。


 俺は椅子に深く腰掛け、息を大きく吸って、吐き出す。それを何度か繰り返すと、ようやく吐き気は消え去った。


「落ち着きましたか?」


 誰のせいだと思ってるんだ。ニコニコと笑うミアにそんな事を言えるはずもなく、俺は愛想笑いを浮かべて「はい、おかげさまで」と返す。


「えっと、それで、ギルドの登録って何するんですか?」


 棚の中から何か色々と引っ張り出しているミアに声をかけると、ちょっと待って下さいねー、と返事。そのまましばらく待っていると、ミアは机の上に色々な道具を置いていく。


 まず、大きな水晶玉のようなものが五つほど。あとは、記録用紙らしい羊皮紙が数枚と、小さな鉄板が一枚。

 それで準備が完了したようで、ミアは俺と机を挟んで対面の椅子に腰掛けた。


「はいはいはーい、それじゃあ、これからギルドへの登録を行いまーす。えっと、まずは説明義務だっけ……ちょっと待ってね?」


 言って、懐から手帳を取り出すミア。それをパラパラとめくると、目当てのページを見つけたらしい。手帳に目を落としながら、ミアは口を開いた。


「えっとー、ギルドへの登録に当たって、まずいくつかお伝えしなければならないことがあります。

 まず、ギルドへの登録を行って頂いた冒険者様は、ギルドへの登録以前にどのような経歴があろうとも、一番下のF級からスタートします。次に、我々ギルドは出身、血筋、経歴などで皆様を差別しません、全て実力によって判断致しますー。えー、あと、冒険者様の行動はギルドの信用に関わりますから、ギルドの不利益となるような冒険者様には除名などの罰則を与えることがあります。質問はございますか?」


 ふむ、要は実力主義だってことか。で、企業イメージ優先で首も切りますよと。特に質問したい事は思い当たらないな。


「ないです」


 首を振って伝えると、ミアはホッと胸を撫で下ろしたようだった。下手に質問されても答えられないって雰囲気だったものな。少し困らせてみるのも面白そうだが、質問したい事もないから別にいいや。


「ありがとうございます。えー、それでは資質検査に移りますね」

「資質検査、ですか?」

「はいはいはいー。そうですそうです資質検査ですー。冒険者は危険なお仕事ですから、最低限の能力が無いと資格を与えるわけにはいかないんですね、まぁ気楽でいいですよー」


 なるほど、その為の装置があの水晶玉というわけか。俺は少しワクワクしながら、ミアが準備を終えるのを待つ。

 ミアは水晶玉に触れると、小さく何事かを呟く。すると、水晶玉は淡い光を放ち、表面に何か文字が浮かんだ。文字の内容は『魔力測定』。


「えとえとえーっと、これはギルドの本部で管理されるデータベース?に登録される情報になるんでー。あ、名前。名前を聞かなきゃなんだった」

「ミカエラです」

「ミカエラちゃんねー。……綴りとかわかる?」

「わかんないんでお任せします」

「うぇ、まじか。んんんー、よくある方の綴りにしとくよ?」

「はい」


 ミアが水晶玉の表面に触れ、あーとかうーとか言いながら文字を入力する。名前の入力が終わると、『魔力測定』と書かれた文字が再度浮かんだ。


「はいはいはい、この水晶玉に魔力を注いでちょーだい」


 言われた通り、俺は水晶玉に魔力を注ぐ。あ、これ思ったより容量少ないな。とりあえず容量一杯まで入れて止めとこ。魔力を注ぐと、水晶玉の中に白い光の塊みたいなのが現れた。それを見て、ミアは手元の書類に何か書き込んでいく。


「おお、おお、おおー、魔力量は結構あるねー。質も……うん、文句無しの上質だ。属性は光……かな?魔導師として登録できる条件はしっかり満たしてるね、オッケー。お疲れ様、後はこの金属板に血とか体液とか垂らしてくれたら登録は終わりだよー」

「あれ、もう終わりなんです?他の水晶玉とかは?」


 俺は使っていない水晶玉がいくつも並んでいるのに目をやった。あまりに簡単に終わってしまうものだから、逆に不安なってしまう。というか、ここまでグダグダの進行だとどこかでプロセスをすっ飛ばしてたりしてそうというか。初対面の相手には失礼かもしれないが、ともかくそんな予感があった。


「ああ、あれ?グレードが何個か上の魔力測定器と、後は筋力とかの戦士の資質を測定する機器だから、魔導師として登録するなら別に不要な検査だけど……やっとく?」


 ……まぁ、本人が不要というならば必要ないのだろう。必要のない事をして疲れるのも嫌なので首を横に振っておく。

 さて、さっさとやる事やってヴィスベルに今夜の宿の事でも尋ねるとしよう。いい加減お腹も空いて来たし。

 俺は腰のナイフを抜いて、指先をちょんと切る。ちょっと痛い。ぷつっ、と血の球ができたのを、ぐいと金属板に押し付けた。

 金属板の色が、灰色から銅のような色合いに変わる。


「はいはいはい、お疲れ様です。カードの方は今晩中に名前とか刻みますんで、こちらでお預かりしますねー。ガーゼとか要ります?」

「回復魔法があるので良いです。《優しき癒しの光》」


 魔力を込めると、指先で柔らかい光が灯る。ナイフで付いた小さな傷は、ほんの一瞬で跡形もなく消えて無くなった。


「便利ですねぇ、回復魔法。ミアにもそんな魔法の適性があったらにゃあ」


 羨ましい、という表情でこちらを見てくるミアに俺は首を傾げた。ビアンカ婆さんは、魔法は生来の資質と関係なく、学べば学ぶだけ多くの事を習得できる技術だと言っていた。適性がないなんて、そんな事があり得るのだろうか?


「魔法って、習得するのに特に資質がいらない技術……ですよね?」


 恐る恐る、俺はミアに尋ねる。ミアは少し悲しそうな顔をして、そうだね、と呟いた。


「習得するにはね。けど、魔力がなかったら魔法は使えないし、使えた所で二、三回で魔力欠乏になっちゃったら実戦では殆ど役に立たない。だから、ギルドでは適性検査って言って、どのくらいの魔法をどれだけ使ったら戦闘不能になるかっていうのを指標にして魔法を学べる人を絞ってるんだ。

 それで、回復魔法みたいな魔法を教えて貰うには適正検査でB以上取らなきゃで、ミアはD判定だったから。冒険者時代の教官殿にもお前には剣のが合っとる、なんて言われたし、簡単な身体強化くらいしか教わってないんだ」


 身体強化魔法は、他の魔法に比べて魔力の消耗が少ない。魔法として発動した魔力を体内に留めておく関係からか、効果が終了した後そのために使っていた魔力の大半が返ってくるのだ。


 ギルドが魔法を学ぶ人員を厳選するのは、何となく理解できる。魔力枯渇で倒れると、本当に立てないくらいの虚脱感に襲われるのだ。俺も、ビアンカ婆さんの所で何度か経験した事がある。あの時は安全な場所だったが、もし戦闘中にそんなことになってしまったら。背筋に冷たいものが走る。


「ミアさん、冒険者だったんですね」


 これ以上この話を続けてもお互いの精神衛生上よろしくない気がすると、俺は話題を変えようと試みる。しかし、その話題の変更先も少々マズかったようだ。ミアの表情がガチリと凍りついたのを見て、俺は自身の失敗を悟る。


「にゃははは……と言っても、もう引退してますけどねー。

 討伐依頼でトチって手足の腱やっちゃってさ。治癒院の回復魔法で命ばっかりは取り止めたけど、先生が冒険者は無理かなって。だから、拾ってくれたお姉様達には感謝してるし、ガンバって恩返し!って、思ってるんだけど……。なんて、新米冒険者ちゃんの前で言う事じゃないよね!ごめん、忘れて!」


 そこから先は言葉少なく、事務的な話がいくつか続いたが、ミアの言葉はほとんど頭に入ってこなかった。諸々の手続きが終わってカウンターに戻ると、すでにノリスは何処かへ行ってしまっており、ヴィスベルとカウルが暇そうにしている。俺はそののんびりとした雰囲気にどこかホッとした。


 そのままヴィスベル達と合流して、俺たちはギルドを後にする。


 すっかり日が暮れた街中を歩く間、俺の頭の中にあったのは今日の宿の事でも、夕飯の事でもなく、ミアという元冒険者の事だ。


 手足の腱やっちゃってさ、なんて半分笑いながら言っていたが、さぞ辛い事だったろう。身体が以前よりも動き辛いというのは、それだけで辛いことの筈だ。


 ……俺は、彼女の話を聞いて、何が心に引っかかってるんだろうか。自問する。


 辛いことだったろうと同情した?かわいそうにというただの憐憫?そういう感情が絶対に無いとは言い切れないが、そればかりでは無い気がする。


 ——怖いね、人の体って、そんなに簡単に壊れちゃうんだ。


 ——もし、自分がそんな風になってしまったら。


『俺じゃなくて良かった』


 ——きもちわるい




「……ラ。……カエラ。ミカエラ!」

「っ、はい!」

「大丈夫?顔、青いけど」

「え?ええ、大丈夫、です」


 俺は、今何を考えていた?ずきり、少し頭が痛む。彼女が俺じゃないのは当たり前だ。彼女の境遇が自分のものでなくてホッとしてしまうのも、仕方ないだろう。


 だが、この世界で生きていく以上、そういうこととは常に隣り合わせになる。


『あいつらだって、明日も生きていられるかどうか』


 カウルの言葉が思い浮かぶ。


 ……俺が思っている以上に、この世界では死が身近にあるのかもしれない。俺はその事を肝に銘じ、隣に立つ二人を見た。


「どうしたよ、急にこっち見て」

「何でもない。それよりほら、早くご飯食べたいな。お腹減っちゃったよ」


 胸の底から湧き上がってきそうな言語化できない感情に蓋をして、俺は笑う。どのみち、俺には今できる事をする以外のことはできないのだから。

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