第11話

 

 下界に続くと言われていた神樹様のウロはダンジョン染みた空間だった。下に向かっている通路を超え、ぶら下がっているツタを降りたり時には外に出て別のウロに向かったり、ととにかく長い道のりだ。

 しかしながら、神樹様の上であるからか所々に神樹様の恵みが生えており、疲れたらそれを食べて休憩、という感じで別に辛い道のりという訳ではない。


「登りの時はこの木の実、全然見なかったんだけどな」

「女神様の加護の賜物……って奴でしょうか」


 不思議そうに恵みを齧るヴィスベルに、俺はそれっぽいことを言っておく。二人が登ってくるときに無くて今あるものなんて、それくらいしか無いだろう。


 俺たちは言葉少なく神樹様を下に向かった。

 大体半日くらいかかっただろうか。外に出る道が完全に無くなって歩くこと数刻、俺たちは鬱蒼と生い茂る密林の中にいた。振り返ると、神樹様のものであろう巨大な根っこに小さな……といっても、根と比較して小さいだけで3メートル以上はあるのだが……穴が口を開けているのが見えた。


 神樹様から出て下界に着いたんだという実感は、湧かない。いや、初めて見る土だし、初めて踏む土の感触であることには違い無いのだが、見えるものがほとんど変わらないのだ。見渡す限りの木と葉っぱ。ただそれだけである。


「思ったより早く降りてこれたな」

「登りが四日かかった事を考えると、降りも三日くらいは覚悟してたんだけど」

「これも神樹様の加護ってやつなんかねぇ」


 なんて話しながら歩く二人の後ろをぴったり追従する。さっきから色んなところで物音がするのがなんだか怖い。また、ガサリと背後で音がした。とりあえず目視で何もいないことを確認し、二人との距離を詰める。


「わっ!」

「うひゃあ!?」


 突然、耳元で大きな音。びっくりして飛び上がると、悪戯成功と言わんばかりにカウルがケラケラと笑っていた。


「そうビクビクすんなって。この辺の魔物は大人しいからそうそう人を襲うようなのはいないって」

「だっからってそんな!驚かさないでくださいよホントに!」


 未だに心臓が早鐘のように拍動している。過呼吸でも起こしそうなので、俺は深呼吸をして心臓を落ち着ける。ようやく鼓動が平常に戻った頃には、先程まで感じていた周囲の物音への恐怖も消えていた。

 視野が開ける。さっきまでは気付かなかったが、森の木々は随分減ってきているようだった。足元も、ちょっとずつ土の色が見えだしていて、少し、神樹様の下に降りてきたのだという実感が湧いてくる。


「命の大樹の森って命名されてる森林地帯をもうすぐ抜ける。そうすると、地元民が魔の森と呼んでいる危険地帯だ。そこまで強い魔物は出ないと思うが、気を付けろ」

「わかりました」


 頷いて、俺は腰の短刀に手を伸ばす。とはいっても、武器なんて使い方も知らない訳だが。心持ちって大事だと思うんだ。


 警戒しつつ森の中を移動していくと、ヴィスベルが手で止まるように指示。俺は指示通りに立ち止まり、その視線の先にあったものを見て息を呑んだ。森が開け、大きな道になっている。そこまではいい。もうじき開けた道に出ると、結構前から言われていた。問題は、そこに広がる状況である。


 そこにあったのは、立派な馬車が一台と、頑丈そうな見た目の馬車が一台。その周りに立つ冒険者らしい格好の男女数人。そして、それを取り囲む黒い狼の群れだった。


「ブラッドウルフ、ランクDの狼どもか。数は13、14か?またデカイ群れを引き当てたもんだな、あの馬車」

「ランク?」

「ああ、冒険者ギルドが定めたS〜Fまでの格付けだ。Dってーと、初心者冒険者でも束になったら……ってくらいか」


 そういうカウルは険しい顔で狼と馬車を見比べている。


「やり手が三人、か? ひよっこが多い所を見ると、新人研修かなんかか?」


 なんて事をカウルが言っていると、キィ、と音を立てて立派な馬車の後ろの扉が開き、中から男の子が顔を出す。その音に冒険者の何人かが気を取られたその隙に、ブラッドウルフ達が冒険者達に襲いかかった。盾を持っていた冒険者達が咄嗟に身構える中、一人、いかにも魔法使いが着ていそうな真っ黒いローブを纏い、先端に赤い宝石があしらわれた木製の杖を持った少女が硬直して動けなくなっているのが見えた。ブラッドウルフの一体は、その少女の喉笛を食い千切らんとして迫っている。走れば間に合いそうな絶妙な距離。俺は殆ど考えず、咄嗟に走った。


「《身体強化・小》《硬き護りの殻》!」


 俺は魔法を発動し、少女に飛びかかろうとしていた狼の体に体当たりをかます。

 硬き護りの殻越しに、ばきんという鈍い音。きゃいん、と悲鳴を上げて離れたブラッドウルフを尻目に、俺は立派な馬車を覆うように防御魔法を展開する。


「《広き守護の盾》!!」


 広き守護の盾は、硬き護りの殻よりも広範囲に広がる半球状の防御魔法だ。強度は硬き護りの殻に劣るが、そう易々とは突破されないはず。それに、この盾は攻撃された場所を即座に把握できるようになっているので、最悪攻撃された箇所の外側に硬き護りの殻を展開すれば、多少の時間稼ぎにはなるはずだ。


 馬車を防御魔法が覆ったことに気付いた冒険者達の立ち回りが、防御的なものから攻撃的なものに変わるのが傍目に見える。あ、ヴィスベルとカウルも参戦したようだ。


 馬車を守らなければならない、という枷から解放されたからだろうか。冒険者達の戦闘はあっけないほどあっさりと終わり、たくさん居たブラッドウルフはその全てが倒された。


「あの、ありがとうございました」


 何だか少し興奮した様子で、魔法使いの少女が言った。

 年齢はアンリエッタより少し下くらいだろうか。少なくとも俺よりは歳上に見える。赤毛の女の子だ。少し茶色の目をキラキラと輝かせて俺の事を見ている。頰も少し赤くなっていて、絵だけ切り出したら告白されているかのような雰囲気である。何か照れるなオイ。でもまぁ、そんな風に尊敬っぽい目で見られるのは、悪い気はしない。


「いえいえ。気付いたら体が動いてただけですので」


 貴女を護りたくてつい、なんて歯の浮いた台詞が言える筈もなく。俺は照れ隠しにそんな事を言った。あれ、考えなくてもこれはこれで恥ずかしい台詞じゃないか?……まぁいっか。


「『気付いたら体が動いてただけですので』じゃないよ」

「いった!」


 突然頭部に激痛。眦に涙を浮かべて見上げると、そこには恐ろしい顔をしたカウルが居た。ひぃ、と声が出る。俺は突然の出来事に硬直してしまっている魔法使いの少女の後ろに隠れようとして、その首根っこをひょいと掴み上げられた。


「今回はそれで何とかなったが、もし手に負えない魔物の群れだったらどうするんだ。死体が一つ余分に増えるだけの結果になる事もあるんだから、戦線参加は慎重に行うものだって教官にも……あー、そういやお前は箱入りだったな」


 死体が余分に増えるだけ。その言葉を聞いて、サァッと血の気が引く。そうだ、たしかに、その可能性はあった。俺は戦闘慣れしていない、しかも魔物と戦うのすらこれが初の小娘である。今回は上手くいったが、上手くいかなかったら。それこそ、ミカエラさんの冒険はここで終わってしまったのだろう。そう、人間の命なんてものは簡単に終わるものなのだから。


「……すいませんでした」

「お、おう。そんな顔色悪くすんなって。俺とヴィスベルも、結局殆ど同じタイミングで飛び出してたからよ……」

「いやー、君たち、助かったよ!ありがとう!」


 声のした方をカウルと二人で振り向くと、ヴィスベルと一緒に鎧の女性が歩いてくるのが見えた。褐色の肌で、魔法使いの少女と同じ赤毛。顔以外は全て高価そうな、しかし傷だらけの鎧で覆われており、片手剣を腰に帯びているのが見えた。


「アタシはノリス。この護衛任務の隊長を任されてる。いやぁ、新人研修も兼ねてってギルドからの依頼だったんだけど、こんな群れに遭遇するとは思ってなくてね」


 やれやれといった様子でいうノリス。失礼だから歳は聞かないけれど、多分二十歳の前半を過ぎたくらい……だろうか。ともかく、大人っぽい雰囲気の女性だった。


「でしょうな。新米達の熟練度の割には随分と大きな群れでしたから」


 俺をとりあえず地面に下ろし、カウルが答える。足が地面に着かない感覚はあまり好きじゃないので助かった。そんな罰を受けても仕方ない事はしたけどね。俺自身もだし、ほかの二人だって危険に晒したんだ。次からはもっと慎重に動かないと。じゃなきゃ、アンリエッタを助けるなんて言えない。


「ああ。つい先日魔の森の第討伐を終えたところだったから、まさかこんな群れが残っているなんて。……それで、よければ街までご一緒しませんか?見たところ三人旅のご様子、こちらも少し予備の戦力が欲しかったところですし、ご一緒して頂ければ報奨金も幾らか出ます。……如何でしょう?」

「だってよ、ヴィスベル。どうする?」


 カウルがヴィスベルに問うと、ノリスは少し目を見開いた、ような気がした。まぁ、カウルとヴィスベルが並んでたらカウルがリーダーに見えるよね。


「目的地を伺っても?」


 ヴィスベルが聞く。そういえば聞いてなかったと思い当たる。目指す方向が逆にとかだったら困るものな。


「ああ。ドナールの街を経由してセダムまで向かう事になってる」


 聞き覚えのある地名。ドナールは知らないがセダムという街はこれまでの道中で何度か耳にした名前だ。


「セダムって、一先ずの目的地にしてた所ですよね」


 俺が聞くと、ヴィスベルはうん、と小さく頷いた。カウルからはちゃんと聞いてたな、よしよし、みたいな雰囲気。なんかミカエラの扱いが神樹様の上の人達に近付いてきた気がする。俺ってそんなに抜けて見えるんだろうか?


「僕たちもセダムに向かう予定でしたから、問題ありません。ドナールで一度正式に護衛任務を受けたいと思うのですが」

「うん、そうだね。そうしてくれるなら助かるよ。それじゃあしばらくよろしく」


 言ってノリスが握手を求め、ヴィスベルはそれに応じた。


「はい。僕はヴィスベル。こっちがカウルで、この子がミカエラと言います」

「改めて、ノリスだ。後でほかのメンツにも紹介する。ベラ!ブラッドウルフの素材を片付けたら出発だ!依頼主サマに人員の追加がある事も伝えておくれ!」


 ノリスはベラと呼ばれた別の女性冒険者に声を掛けると、じゃあアンタらはこっちね、と頑丈そうな馬車の方に案内したくれた。

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