第10話

 魔法。それは、遥か遠い昔、まだ神々が現世に受肉していた時代、全ての人類が生まれながらにして神々から加護を授かっていた時代の終わりに大賢者レクターが創り出した奇跡の模倣。


 奇跡は神々の業であり、神々に認められた者達の特権だった。しかし、神々が現世を離れ、神界と呼ばれる神々の世界に戻って何世紀かで奇跡を使える人間はほぼほぼいなくなってしまったという。そんな中、賢者レクターが編み出した技術、それこそが魔法だ。


 レクターが創った魔法は単に奇跡の模倣をするに留まらず、複数属性の混合術式の開発、道具に効果を書き込む事によって万人が扱えるようになる魔導具と呼ばれる道具の開発その他etcだのを可能にした。


 習得するだけなら特に資質は必要なく、学べば学ぶだけできることが増えていく技術、それが魔法であり、現代ではその種別は大きく分けて古式魔法クラッシック新式魔法モダンがあって——


 ……と、早口でまくしたてながら、ビアンカ婆さんは活き活きとして黒板にびっしりと何かを書き込んでいる。すまない、この世界の文字は読めないんだ。


 どうやらビアンカ婆さんは魔法関係が専門だったようで、魔法を教えてと頼みにいくと実にノリノリで教えてくれている。……魔法の成立の歴史辺りから。


 そんなにノリノリで教えてくれるなら最初から教えてくれてれば良かったのに、というミカエラの不平不満を飲み込んで、俺は小さく咳払いをした。


「おばあちゃん、期限まであと二日しかないんだ。手っ取り早く魔法を教えてくれない?」

「手っ取り早く、と言うがな、ミカエラ。魔法はただ理屈を教わってすぐできるような物ではないぞ。理を知り、現象を引き起こす術を知り、それを安定させる術を知る。この三つができん限り、魔法はうまく発動できん」


 言われ、尤もだと納得する。しかし、そうは言われても時間が無いのだ。俺は何とかならないかと、もう少しだけごねてみた。


「じゃ、取り敢えず簡単な防御魔法だけでも教えてよ。それが上手く発動しなかったら、おばあちゃんのペース、やり方でやるから。ね、お願い!」


 手を合わせて頼み込むが、ビアンカ婆さんはあまり乗り気でないようだ。何やら渋り顔である。


「防御魔法といえど、制御を失敗すれば気を失うこともあるだろう。だが、魔法をしくじった時の気絶は単なる気絶ではない。起きる時には期日が過ぎておるかもしれんぞ?」


 あー、なるほどね。ビアンカ婆さんなりに俺のことを気遣ってくれていた訳だ。しかし、どの道習得に時間がかかるのならば、失敗して気絶しようがしまいが大差はあるまい。


「いいよ、それでも。そのかわり、上手く発動したら回復魔法と攻撃魔法も教えてよね」

「ふぅむ、そこまで言うなら仕方あるまい。はァ……。全く、儂は止めたからな」


 ビアンカ婆さんほ呆れたように言うと、俺の後ろにあった本棚の方へ向かう。本棚には分厚い本から薄い本まで所狭しと陳列されている。ビアンカ婆さんはその本棚から一冊のバインダーのようなものを取り出した。中には少し厚い、B5ほどの大きさの紙が何枚も収まっている。


 ビアンカ婆さんはその中から一枚を取り出し、俺の目の前に置いた。

 かなり前に美術館で見たパピルス紙に似た紙で、表面には何やらびっちりと文字や記号が書き込まれている。


「記憶転写のスクロールじゃ。お主に魔法を教えると決めて、儂の師匠の魔導書からいくつか書き写しておいたうちの一つ、硬き護りの殻の魔法が記載されとる」

「私、文字は読めないよ?」


 俺はお手上げとばかりに両手を挙げた。女神様の不思議パワーで何とか読めるかと一応覗き込んでは見たが、そこに書かれた文字は複雑怪奇で、とてもではないが意味を読み取ることはできそうにない。しかし、ビアンカ婆さんはそれについて特に言及することはなく、ただ一言、「魔力を流し込んでみなさい」とだけ言った。


 俺はそのスクロールに手を触れ、魔力を流し込む。女神様を降ろした時や、加護を得た時と似たような、何かの力の塊と接続する感覚。その力の大きさはあの時と比べられないくらい小さな物で、ガラス細工のような繊細さすら感じる。


 その力を自身の中に受け入れると、ふっと、何かの知識が湧いて出た。全く知らないはずの知識を思い出す、奇妙な感覚だ。某TRPGとかなら正気度チェックとかありそう。そんな事を考えていると、ムカムカとした気持ち悪さを感じた。


「うぇ、ナニコレ気持ち悪い」


 車酔いとか船酔いを少し酷くしたような気持ち悪さに、俺は思わず椅子に深く腰掛けた。そのままの姿勢で深呼吸していると、そりゃあな、とビアンカ婆さんが言う。


「魔法の情報を圧縮してあるスクロールじゃ、基礎的な魔法への理解があれば多少マシになるはずじゃったが、急いたお主が悪いのじゃぞ。情報酔いは辛かろう、横になってる休んでも良いのだぞ」


 なるほど、これは情報酔いというらしい。しかしまぁ、横になって休まなければならない程の気持ち悪さは無いし、もう少し深呼吸してれば治りそうな程度だ。


「大丈夫だよ、もうちょっとで治りそうだし……」


 言って、更に二、三度深呼吸をすると酔いは完全に治った。俺は改めて、魔法式をイメージする。なるほど、魔法というのは思いの外システマチックにできたものらしい。


「オーケー、これが魔法なんだね……」


 魔法式をしっかりと思い浮かべて、俺は体の中で魔力を回す。スクロールのお陰か、魔法の使い方はなんとなくわかった。それも、何回も使った事があるような感覚さえしてくる。俺はその感覚を意識しながら、魔力の形を整える。


 魔法の基本は、プログラムチックに構築された魔法式に魔力というエネルギーソースを注いで、あとは体のどこかを起点に放出すること。この魔法式が何故そうなるのかをしっかり理解しておかないと、式だけ暗唱できてもうまく発動しないようだ。ビアンカ婆さんがまずは知識と言い張ったのも頷ける。


 俺は式の意味を頭から順に読んでいく。記憶転写というのは実に便利なもので、普通に読んでたら覚え切れてないだろう式を詳細に思い出すことができる。頭の中で何度かリハーサルをしてみると、その魔法式が段々と馴染んでくるのを感じる。それが完全に馴染んだのを感じ、俺は手先に魔力を集中させた。張り詰めた魔力が、形を与えられるのを今か今かと待ち望んでいる。


「『硬き護りの殻』!」


 詠唱とともに手先から魔力を放出する。式に基づいて出力された魔力は、ただ放出した時と異なり明確な形を保っていた。


 そこにあったのは、琥珀色の結晶体だった。厚さは薄い窓ガラス程度で、形は綺麗な正六角形。出力の際に随分と魔力を絞ったからか、その大きさは手から少しはみ出るくらいだ。


 結晶体は緩やかな速度で回転しており、その様はまるでハンドスピナーとかいう玩具みたいだ。ドヤ顔でビアンカ婆さんの方を見ると、ビアンカ婆さんは殆ど無表情で俺の掌を見ている。


 あれー?何か反応薄いな?


 俺はビアンカ婆さんの関心を引こうと結晶の大きさを変えてみたり回転の速度を変えてみたりしてみるが、ビアンカ婆さんは黙りこくったままだ。


「どうかな。結構いい感じだと思うんだけど」


 いい加減何か反応が欲しかったので、俺はパンと手を叩いて結晶を消す。この魔法の強度は術者の出力制御に依るところが大きいようで、然程力を込めていなかった結晶体はあっけなくパリンと割れた。全力を出したら結構硬くなりそうだ。


「む、うむ。そうじゃな。ううむ」


 言って、ビアンカ婆さんは何やら小難しい顔で黙り込むと、バインダーからさらに似たような紙を何枚か取り出した。全て別の魔法が記述されたスクロールらしく、見た限りでは覚えた硬き護りの殻とは一致しない文字列が並んでいる。


「少し、実験じゃ。このスクロールを全て試してみなさい」





 実験すること数時間。結論から言えば、俺はビアンカ婆さんが渡してくれたスクロール全三十四枚全ての記憶転写に成功し、その全ての魔法を安定的に発動させることに成功した。


「信じられん……」


 右手に硬き護りの殻ハンドスピナー、左手に明るい導の光豆電球を出力する俺を前に、ビアンカ婆さんは不可解だと言わんばかりの顔で眉間を指で揉んでいた。


「出力制御、詠唱破棄、多重制御……。まだ拙いが、技術的にはすでに充分一人前として通じるレベルじゃと?命の女神の加護によるものか、天賦の才能か……。いずれにしても頼もしいを通り越して末恐ろしさを感じるのぅ」


 あんまりな言い草である。俺はビアンカ婆さんが「こんな感じでやってみ?」と言った内容を言われた通りに実行しているだけだというのに。


「ちょっと、やれって言われた通りにやったのにその言い草ってひどくないですか?」


 ビアンカ婆さんの物言いに抗議しつつ、俺は魔法を消す。いい加減魔力が勿体ないからね。魔力って使い過ぎると空腹感に似た感じで動けなくなるんだけど、あれ、結構辛いんだ。


 頭の中では覚えたばかりの魔法式が未だにぐるぐると回っていて気持ち悪いが、その感覚にはもう慣れた。


「やれと言われて即座にやってのける奴があるか。まったく……」


 じゃあ最初からそんなこと言うなよ、と言いたいのを飲み込む。ここでそれを言ってしまうと、ビアンカ婆さんの性格上会話の無限ループに陥る可能性があるからだ。俺だって二十何年は生きてるからね、ミカエラと違って空気くらい読めるんだ。


 なんて内言を垂れ流しているとどこかしらから抗議の声が聞こえたような気がしたので、

 俺はその声に平謝りをしてビアンカ婆さんに向き直った。


「えっとそれで、私、簡単な魔法ができるようになったら旅に連れて行ってもらえるんだけど、おばあちゃんから見てどう?許してもらえそうかな?」

「魔法の技術的には充分及第点じゃろうて。これも女神様の思し召し、というやつか……」


 ビアンカ婆さんからの合格内定に、俺は内心で狂喜乱舞する。はやいとこヴィスベルに見せて、旅の支度を始めないと。ヴィスベルは簡単な攻撃、防御、回復魔法を一つずつと言ったが、今の俺のレパートリーはそれに加えて補助魔法だの生活魔法だのと言った便利な魔法まで完備してある。何せ、三十四も覚えたのだ。技術水準でもビアンカ婆さんの太鼓判があるし、これはもはや勝ち確と言っても過言ではあるまい。


「これ、気が早いお前の事だ、すぐにでもヴィスベル殿に見せに行くつもりじゃろうが、今日はもう休んで明日にしなさい」


 部屋から飛び出そうとした俺の首根っこをひっ掴み、ビアンカ婆さんが言う。俺は勢いを削がれ、恨めしく思ってビアンカ婆さんを見上げた。魔法で身体能力を強化しているのか、その腕は多少もがいた程度ではビクともしない。


「何でさー?」


 不満をしっかり表明すると、ビアンカ婆さんはあからさまに眉を顰めた。いっけない、これじゃあまるでワガママなガキんちょだ。俺は自らの行動を省みて、大人しくその場に正座する。ビアンカ婆さんも俺が駆け出さないと分かったのか、その手を離してくれた。そのままお説教モードかと思いきや、ビアンカ婆さんは優しげに微笑むと、俺の肩にポンと手を置いた。


「スクロールの記憶転写は忘れやすいんじゃ。一晩休むだけでいくらか忘れる事もある、今日はゆっくり休んで、明日もう一度練習なさい。旅に出た途端忘れて使えませんでは話にならんじゃろ?それに、今日はもう遅い。この時間じゃと家に帰るのも一苦労じゃろうから、今日はこのままうちに泊まっていきな」


 言われて外に目を向けると、もうとっくの昔に太陽は落ちていたようで真っ暗闇が広がっている。部屋の中は明々と灯った魔力灯の火で明るく照らされていているので気が付かなかった。

 いくら住み慣れた神樹様とはいえ、この真っ暗闇の中を帰宅する勇気はない。魔法で足元を照らすくらいはできそうだが、やはり経験のない暗闇だ。いくら神樹様の一枝が広いとは言っても足を滑らせないとは限らないし、それで落ちてしまったらアンリエッタがどうとか以前にジ・エンドである。俺はビアンカ婆さんの言葉に甘えて、その日は寝床に就いた。





 出立の日、早朝。俺は旅装束に身を包み、ぽっかりと口を開けた神樹様のウロの前に立っていた。普段は近寄りもしない、この樹上と地上とを繋ぐ唯一の通用口である。


 旅装束は、定期的に下の街に買い出しに行く人たちの物の予備を急遽俺のサイズに仕立て直して貰ったものだ。まだ着慣れていないからか、少し違和感がある。


 飲み込まれそうな真っ暗なウロから目を離して振り返ると、クリス、バン、ビアンカ婆さんや、大樹様で一緒に暮らしてきた人達が居た。


「ミカ。これを持っていきなさい」


 言ってお父さんバンが差し出したのは、一振りの短刀だった。


「俺が守人になった時里長から頂いた短刀だ。昨日、母さんが祈りを込めてくれた。きっと、ミカの事を守ってくれる筈だ」

「ありがとう、お父さん、お母さん」


 俺はそれを腰の帯に固定して、両親を見る。どちらも不安と心配が綯い交ぜになった顔付きで、俺は少しだけ罪悪感を覚える。俺はそんな自分の気持ちに蓋をして、とびきりの笑顔を二人に向けた。


「絶対、お姉ちゃんを連れて帰ってくるから。待っててね」

「ミカエラ、儂からはこれを」


 すぐ隣に控えていたビアンカ婆さんが渡してくれたのは一冊の本と指輪のような道具。


 受け取ると、ビアンカ婆さんが指輪をはめるようにとジェスチャーをした。俺はそれに従って、指輪を右手の人差し指にはめる。


「本を捲ってみな」

「え?でも、私文字は……」

「いいから」


 言われ、俺は渡された本を開いて絶句した。相変わらず読めない記号の羅列であったが、何故かその意味が分かるのだ。


「その指輪は理解の魔導具といって、限度はあるが文字の意味を理解できるようになるものだ。それを着けていれば、その本を読むには困らんはずじゃ」

「ありがとう。この本は?」

「儂の師匠が残した魔導書じゃ。いくらかの魔法をスクロールで覚えたといっても、魔導師にとってはまだほんの入り口に過ぎぬ。それにはおよそ千の魔法が載ってある。それを全て覚えた頃には、お主は魔導師として一人前以上になれるはずじゃ。それに、その本自体が優れた魔法触媒でもある。必ず、お主のことを守ってくれるじゃろうて」


 魔法触媒というのは、魔法を使う上でその制御や行使を補助してくれる物、らしい。ビアンカ婆さんがノリノリでやっていた講義の内容を思い出し、何となく相槌を打つ。


「とはいえ、魔導具無しでの読み書きの練習もしっかりするように。何でもできるに越したことはないからね」

「うん。魔導具が壊れても、今の私じゃ直せないもんね」

「その本には錬金術もいくつか載っているから、しっかり読み込めばできるようになるさ」


 と、そこでビアンカ婆さんは一旦区切り、俺のすぐ後ろに立っていたヴィスベル達を見据えた。


「この子は本当に未熟者のお転婆娘だけど、よろしく頼んだよ」

「約束したのは僕ですから。ええ、任せて下さい」


 言ってのけるヴィスベルはまさに御伽噺の勇者様と言ったところで、実に頼もしい限りだ。


 そんなこんなで見送りも終わり、俺たちは命の大樹様を後にした。

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