第9話

「ミカは大丈夫なんですか?」

「なに、心配いらないよ。前も言ったけど、加護を授かってしばらく、身体に魔力が馴染むまでってのはとにかく不安定なんだ。そんな時に一気に魔力を使ったから体調を崩したに過ぎん。しばらく安静にしていればすぐ良くなるだろう」

「でも、もう二日ですよ……?」


 遠くで誰かが話す声が聞こえる。俺はガンガンと痛む頭を抑えて体を起こした。二日酔いのような気持ち悪さもある。そして何より、身体中が汗でベタつく不快感に、俺は思わず眉をひそめた。


「水浴びしたい……」

「おや、もう起きたのかい?」


 声の主はビアンカ婆さんだ。ビアンカ婆さんは柔和な表情で俺を見ており、その後ろにはクリスが心配そうな顔で立っている。


「おはよう、ビアンカおばあちゃん、お母さん」

「ミカ……っ!」


 感極まった様子のクリスががばりと俺に抱き着いた。俺はまず驚いて、次いでとりあえずクリスの肩をさする。何がどうなっているのか全くわからない。

 困り果ててビアンカ婆さんの方を見ると、ビアンカ婆さんは鷹揚に頷いて説明してくれた。

 その説明の予想外の内容に、俺は絶句する。


「私、二日も寝てたの?」

「うむ。儀式場から消えたお主が、女神様の神殿に向かった筈のクリス達と共に帰ってきた時には驚いたものだよ。クリスに聞いたけど、魔法を使ったんだって?」

「そう、なのかな。夢中で魔力を注いだのは、覚えてるんだけど」


 今でも、手元の消えそうな火に魔力を注いでいた感覚はしっかり思い出せるが、あれが魔法だったのかと言われると少し実感に乏しい。やったのは、まぁひたすらに魔力を注いだだけだし。


「それより、お父さんは無事なの?お姉ちゃんは?」

「バンは無事だよ。アンリエッタは……連れ去られてしまって、今は行方知れず、らしいね」


 気が動転しているのか答えられないクリスの代わりにビアンカ婆さんが答えた。

 そこでようやく我に返ったらしいクリスが俺から離れ、泣き腫らした目を擦った。そういえば今日はさっき……と言っても2日前か。2日前と違ってドキドキしなかったな。いや、ドキドキしても困ったけどさ。


 それにしても、と改めてクリスの顔を見ると、少し窶れたような気がする。かなり心配をかけてしまったのだろう。アンリエッタが居ればクリスを元気付けてくれたろうが、頼れる姉は今は不在だ。アンリエッタが連れ去られたシーンが思い出される。知らず、俺は拳を固く握り締めていた。


「……クリス、さっきの件、もしかすると何とかなるかも知れんぞ」

「本当ですか?」


 しばらく黙り込んでいたビアンカ婆さんが唐突に言うと、クリスは藁にも縋る顔でビアンカ婆さんの方を見た。ビアンカ婆さんはうむ、と頷いて、俺の方を見やる。


「ミカエラに儀式をやらせるんだ」

「ミカに?でも、ミカは女神様の加護を持たずに生まれてきたんですよ?」


 まぁ、つい先日アニマ・アンフィナ様から加護は賜ったんですけどね。


「ミカエラ、お主、どの神から加護を授かった?」

「アニマ・アンフィナ様、ですけど」


 隠す必要もないので、俺は素直に聞かれた事に答える。すると、クリスは大きく目を見開いて俺を見た。ビアンカ婆さんも少しばかり驚いたような顔をしてる。そんな目で二人から見られ、俺は思わず首を傾げた。


「嘘じゃないよ?」

「それは分かっとる。しかし、まさか命の女神様直々の加護を得ていたとはの。かの女神に近い眷属神であろうとタカを括っておったが、これはますます都合が良い。命の女神様から加護を受けた人材ならば、命の巫女の代役は充分に務まろうて」

「ちょっと待って!命の巫女様って、お姉ちゃんの事だよね?私がその代わりって、どういうこと?」


 慌てて聞くと、ビアンカ婆さんが何やら納得したように頷いた。


「そういえば、お主は詳しい事情を知らんのだったな。それなら、全てを教えよう。クリスも、それで構わんな?」


 そう前置きして、ビアンカ婆さんは懐から本を取り出した。見たことのない装丁の本だったが、その表紙に書かれた紋様には見覚えがあった。お祭りの時なんかにいつも使っている道具のあちこちに刻印されている紋様。前にアンリエッタに聞いた時には、確か、『女神様の御印章』と言っていたか。俺たちと女神様との繋がりを示す印なのだと聞いた覚えがある。ビアンカ婆さんはその中のある頁を開く。


「クリスやアンリエッタ達が命の巫女と呼ばれる存在なのは知っておるな?」

「それは、知ってる。命の女神様のために色々奉納したりする役職だって、お姉ちゃんに聞いた」

「うむ。普段の役割としてはそれで間違いない。じゃが、それが全てという事でもない。此度の儀式などはその典型じゃな」

「そうだ、今回の儀式ってなんだったの?ヴィスベルさん達が関係してるのは、何となく分かってるんだけど」

「ヴィスベル殿は光の御子といってな、光の大神から加護を受けた者……お主が知ってるように言うなら、勇者アスラと同じ境遇なのだ」


 勇者アスラ。悪竜退治や大悪魔の討伐、魔王との対決など多岐に渡る伝説に名を残す大英雄。こんな辺鄙な枝の上にも、その御伽噺は数多く伝わっている。世界に闇が満ちた時、原初の神々の加護を受けてその闇に立ち向かった勇者が一人、という文から始まる英雄譚は、ミカエラが寝物語に何度もせびっていたので覚えている。俺は何度も聞いた英雄譚を頭の中で反芻し、そういえばその中にも命の巫女との関わりがあったことを思い出した。


「原初の神々より加護を授かろうと、勇者アスラは大いなる命の女神の下を訪れた。命の女神の眷属たる巫女は、勇者を女神の御許、秘されし花園へと誘った」


 何度も聞いた英雄譚を暗唱してみると、ビアンカ婆さんは満足げに頷いた。


「いかにも。その秘されし花園こそが、あの神樹様の祠の最奥にあった花園なんだ。つまり、あそこで命の巫女が儀式を行う事で、勇者は命の女神から神託を頂く。それこそが、ヴィスベル殿がここを訪れた理由であり、アンリエッタ達が執り行うはずだった儀式なんだ」

「私に代役が務まるなら喜んでやるけど……私、お姉ちゃんみたいに沢山の祝詞も知らないし、儀式の作法も全く知らないんだけど」


 とてもではないが、例の花園で見た儀式を再現できそうにないことを遠回しに言ってみる。ミカエラはこれまで、巫女としての役割を望まれることもなく、その手ほどきを受けたことすら無いのだ。


「うぅむ、たしかにそうか。そういえば、お主は巫女の教育を受けておらなんだな。さて、どうしたものか……」

「……神降ろしの儀式なら、もしかすると」


 ようやく落ち着いたらしいクリスがポツリと呟いた。巫女の執り行う儀式については完全に門外漢なので、俺は黙ってクリスの次の言葉を待つ。


「神降ろしの儀式なら、祝詞の数も、儀式の工程も少ないからミカでも行えるはず」

「それはどう言う儀式なのだ?」

「自分の体を器として、神様を体内に宿すのです。私達巫女が、直接女神様から神託を頂く際に用いる秘術なのですが……。もしかすると、光の御子様に神託を授けることもできるかもしれません」

「やってみる価値はありそうじゃな。どの程度で準備ができる?」

「特に準備も必要ありませんから、今日中にでも。ミカの体調次第です」


 そういって、クリスの目が俺の方を見た。うん、頭痛はいつの間にやら治っているし、体も随分軽い。体調は絶好調と言っても過言ではないだろう。寝かされていたベッドから飛び降りてみると、二人は少しホッとしたような顔になった。


「私はいつでも大丈夫だよ。あ、でも、ちょっとベタベタするから水浴びくらいはしたいかな」

「そうね、着替えも必要でしょうし、ミカは神樹様の恵みも頂かないとね」


 そこで漸く、クリスが小さく笑った。ずっと硬い表情だったクリスの頰が緩んだのを見て、俺も少し安心する。ビアンカ婆さんがヴィスベル殿に伝えてくる、と言って部屋を出て行ったのを合図にして、俺とクリスも準備を始めた。



 ——



 身を清め、クリスに巫女装束を着せてもらう。アンリエッタが着ているのはよく見ていたが、俺が着ることになるとは思わなかった。当然、着方も分からないのでクリスに全てやってもらうことになる。


「ごめんなさいね。本当なら、巫女じゃない貴女にはこんなことする義務はないのに」


 俺の髪を結い上げながら、クリスが言った。いつの間にか胸の下くらいにまで伸びていた髪の毛はアンリエッタと同じ色で、クリスと同じ色。短い頃は視界に入る事もなく意識しなかったが、こうして自分の頭からこの白銀の髪が伸びているのを見ると、様々な思いが浮かんでくる。


「昔、巫女になりたいっていったとき」

「え?」


 ふと、俺の口から言葉が出た。これはミカエラの言葉だと、何となく悟る。突然のことに、クリスの手も止まったようだ。


 俺は触り心地の良い巫女装束の袖を指で弄りながら、湧き上がってくるミカエラの感情を整理する。心の中に、ミカエラがずっと溜め込んできた無数の言葉が氾濫する。ミカエラも感じているのだろう。これまでずっと閉じ込めてきた気持ちをクリスに伝えられるのは今なのだと。俺はまとまりのない言葉を拾い上げて、意味のある形に整える。


「お母さんは遠回しに無理だって言った。私、とっても悲しかったんだ。お姉ちゃんの妹で、お母さんの娘なのに、何でって。

 私は女の子だからお父さんみたいに守人にもなれないし、お母さん達みたいに巫女にもなれない。何のために生まれてきたんだろうって、そんな事を考えてた」


 心の中に浮かび上がってくる言葉全てに、強烈な想いが秘められていた。姉を支えたい。母を手伝いたい。自分も二人と同じようになりたい。どうして私はこの家に生まれてしまったんだろう。

 その胸を締め付けるような葛藤を噛み締めながら、俺は次の言葉を口にする。


「髪を短くしたの、動き回るのに邪魔だからって言ったけど、ほんとは違ってて。お母さんやお姉ちゃんと同じ所を見たくなかったからなんだ。私だけ偽物だって、そんな気持ちになっちゃったから。

 ……だから、今こうして巫女として、お姉ちゃんの代わりができるのは、悪い事だとは思うけど、凄く嬉しい。私にも役割があったんだって、思えるから」


 今、クリスはどんな顔をしているだろうか。ふと、そんなことが気になった。褒められた事を言っているつもりはない。アンリエッタが拐われた事を喜んでいるとも取れる発言だ。実際、心のどこかで少し、それを喜ぶ気持ちはあった。だが、俺もミカエラも、たった一人の姉を失って手放しで喜べるような人間ではない。


「私は、やるよ。お姉ちゃんの代わりが私しかいないからってだけじゃない。これがお姉ちゃんを助けるための一歩だって、そう思うから」


 本心から、そう告げる。ミカエラの、だけではない。これは、俺の本心でもあった。短い間とはいえ、俺もアンリエッタの妹として過ごした身だ。肉親の情はある。髪の毛を結い終わったクリスの手が、そっと私の頭を撫でた。


「ごめんなさいね」


 その小さな声に振り向くと、お母さんが涙を流しているのが見えた。


 私はその涙を指で拭うと、お父さんの顔を思い出してお母さんに微笑みかける。


「お母さんに涙は似合わないよ。太陽みたいに笑ってよ、いつもみたいにさ」

「……もう。こんな時にふざけないの」


 こてんと、頭に乗せられた拳骨は、どこか暖かい、優しいものだった。



 ——



 言葉少なく、俺たちは秘された花園に到着した。面子は、俺、クリス、ヴィスベル、カウルの四人。バンはまだ体調が芳しくないそうで、今日も自宅で療養中だ。先日の事を考えると戦力不足も甚だしいが、逆に先日の一件があった後だからこそこの少人数で動けるとも言える。


 あの男の口振りからすると、命の巫女不在の今、光の御子は神託を受けられないと、そう考えていてもおかしくない。ならば、今警戒されているというような事は確率としては僅かであろうと思われたからだ。


 花園に到着し、一応皆で警戒してその中央へ向かう。花園には、先日の戦闘の跡が色濃く残っていた。俺はそこから目を逸らし、クリスの顔を見上げる。クリスは俺を地面に座らせると、正座に近い体勢になるよう指示。俺がそれに従うと、クリスは満足げに頷いた。


「それじゃあミカ、祈りを捧げる時と同じように両手を組んで。今から私が言う通り後に続けて」


 準備を終えた俺が頷くと、クリスは頷き返して祝詞を諳んじた。


「『我らが母なる神、命の女神、アニマ・アンフィナに祈りを』」

「我らが母なる神、命の女神、アニマ・アンフィナに祈りを」


 ふわり、身体の芯から飛び出した何かが、大きな力の塊と接続するのを感じる。加護を得るための儀式の時にも感じたあの感覚だ。


「我は御身の眷属なり。我は御身の器なり」

「我が身は御身に捧げし器。我は神託を望む者」

「我が器に宿りて、我らが未来を照らす導を授けたまえ」


 言われた通りの祝詞を唱え切ると、大きな力の塊が徐々に俺の方に近付いてくるのが分かった。とんでもなく大きな力だ。自分の体に収まり切るか疑問を抱く程に大きな力。今の俺には無理だと接続を切ることもできそうだったが、拗ねた女神様の顔が思い出されて、俺は思わず苦笑した。


 これは、受け入れようと思えば受け入れられる力だ。それを先日、身をもって体感したばかりじゃないか。力に対して身体を開くと、それはすんなりと俺の中に入って来た。意識が暗転する。


『少し、借りますね』


 その声が聞こえると同時、視界に光が戻ってくる。


『……全て、見ていました』


 俺の口から、俺のものではない声が響く。耳に優しい、先日聞いたのと同じ命の女神の声。それが自分の口から響いているのは、なんだか不思議な気分だ。


『私の可愛いアンリを拐かしたのは、邪神の手の者でしょう。かの者は世界の調和を破壊しようと企み、すでに多くの眷属神がかの者に呑まれました。アレは我らとは異なる理から生じたモノ。故に、我々原初の大神と言えど手出しができません。

 光の神が貴方に神託を授けたのはそのためです。

 光の御子よ。お前は原初の神々から加護を得なければなりません。父なるテオス・プロエレスフィ、その『力』を受け継いだアニムス・ロゴスの加護を得るほか、かの邪神を倒す術はありません』

「女神よ。その、アニムス・ロゴスの加護を得るにはどうすれば?」


 ヴィスベルが恐る恐る、といった様子で聞いた。俺の口が開く前に、俺の頭の中に様々な情報が流れ込む。巨大な火山、壮大な滝、空に伸びる大きな塔、天に続く大岩、水晶の輝く洞窟。そして、黒い帳がかけられた祭壇。そこに向かう誰かの姿と、その誰かの中に無数の力が集まるのが見える。 


『神々の加護を束ねるのです。火、水、風、土、光、そして闇の大神から加護を得た時、お前は大いなるアニムス・ロゴスの御許へ導かれるでしょう』

「加護を、束ねる?」

『それぞれの大神が眠る聖地にて、神に祈りを捧げなさい。光の……御子……で……るお前と、……ラの祈りに、なら……神々も応えr……』


 ブツン、突然断線するような感覚。否、俺の身体が、神を内に宿すのに耐えられなかったのだろう。全身から力が抜ける。申し訳なさそうな命の女神の気配が徐々に俺から遠ざかっていく。


 膝に力が入らない。俺はこけそうになるのを何とか踏みとどまろうとするが、貧弱な足はプルプルと産まれたての子鹿のように振動すると、じきに感覚が麻痺してしまう。


 あ、ダメな奴だこれ。


 そう悟ったのと同時、体が崩れる。ふわり、意識が宙を舞う。気付けば俺は、真っ白とも真っ暗ともつかない意識の空白にいた。


 ——無事、役目を果たせたよね。


 すぐ近くで誰かの声が聞こえた。これは、誰の声だったろう。思い出せなかったが、俺は彼女の問いかけに首肯した。


 たしかに俺は、俺たちは、光の御子に命の女神の神託を授けるという役目を果たすことができた。攫われてしまったアンリエッタの代役を、充分に努めることができた筈だ。


 あとはヴィスベルがきっと何とかしてくれるだろう。俺たちは彼がアンリエッタを連れ帰るのを待っているだけでいい。アンリエッタを失い、失意の中にいる父母を支える。きっとそれが、ミカエラという少女が本来あるべき姿だ。……そのことは、よく理解してる。


 ——だから、ここから先は俺のわがままだ。


 女神を体に降ろしてから。否、儀式を引き受けた時から。ともすると、アンリエッタが攫われたあの瞬間から、胸の内に燻っていた想いを言葉に変える。


 ——俺は、ヴィスベルに同行する。同行して、アンリエッタを取り戻す。


 彼女には伝えておくべきだと、そう思った。俺は彼女が俺の選択を拒絶しやしないかとビクビクしながら、彼女の返答を待つ。果たして、彼女は首を横に振った。


 ——違うよ。何かしたいって気持ちは、私も同じ。だからこれは、私の、私たちのわがままだよ。


 あぁ、君か。君が、ミカエラなんだな。

 俺が悟るのとほとんど同じタイミングで意識が急に浮上する。


「うっ、ふっ」


 パチリ、目の前に光が戻る。一瞬の白昼夢。見上げると、目の前には驚いた顔のヴィスベル。少し離れて同じく驚くカウルとクリスが見えた。俺は全力疾走の後にも似た荒い呼吸を何とか平静に戻すと、両脚に力を込めて立ち上がる。


「ええっと、ミカエラちゃん?大丈夫?」

「ええ、まぁ。少し立ちくらみがしただけです」


 かなり魔力を消費してしまったのか、空腹感にも似た感覚が胸のあたりをぐるぐる渦巻いている。女神様が中に居た影響か、まだ頭の中には見た覚えのない景色や言葉が溢れているのを、俺は集中して整理する。


「大丈夫?少し顔色が悪いようだけど」


 言って、クリスがしゃがんで俺の額に手を当てる。冷たい手が気持ちいい。俺はクリスに大丈夫、と告げて、次いでヴィスベルの方を見た。


「あの、大神の聖地を巡られるんですよね」

「ああ。女神からの神託は確かに受け取ったし、大神の聖地は有名だ。必ず大神の加護を得て、アンリエッタも救ってみせる」


 任せてくれ、とヴィスベルは力強く頷いた。実に頼もしい限りだ。自信ありげな、使命感に満ちた目で俺を見据えるヴィスベルに、俺は意を決して言葉を放つ。


「その旅、私も連れて行って下さい」


 ぎゅっ、と、隣に居たクリスが俺の手をきつく掴んだ。


「ミカ?何を言って……」

「私はアンリエッタを……お姉ちゃんを助けたい。助けるための力になりたい。そのために少しでも役に立てるなら、私はヴィスベルさんに同行したい」

「その気持ちは嬉しいけど……」


 渋るヴィスベル。当然だ、ただの小娘一人、旅に同行させるだけでも大変だろうに、彼らの旅はただの旅ではない。危険が付き纏う旅になるだろうし、ヴィスベルが神託を受けた事に気が付いたらあの男だってやってくるかもしれない。それでも、ただ待っているなんてことはできそうになかった。


「私は、命の女神様の加護を得ました。致命傷だった父の命を繋ぐ事ができる程の力です。この先、絶対に役に立ちます。どうか私を旅に同行させて下さい」


 ヴィスベルは何か口を開きかけ、閉じた。実際に回復の効果を目の当たりにした彼ならば、その有用性は充分に認めてくれるだろう。しばらくの沈黙の後、ヴィスベルはふぅ、と小さなため息を吐いた。


「君は自分の売り込みが上手だね。確かに、あの癒しの力は魅力的だ」

「それじゃあ!」

「ただし!」


 半ば食い気味にヴィスベルの方に一歩寄った俺を、ヴィスベルが片手で制止する。俺は慌てて立ち止まり、口を噤んだ。


「僕らの旅はただの道楽じゃない。ある程度戦えないと困る」


 その辺りはまだ予想していた範囲内だ。俺は慌てず、用意していた答えを返す。


「それなら、ビアンカおばあちゃんに魔法を教えてもらう」

「……決心を変えるつもりはないんだね?」


 無い、と。俺は即答した。俺だけではない。ミカエラだって望んだことだ。胸に手を当て、本心から答える。俺の決心が固い事を認めたらしいヴィスベルは、顔に手をやって大きなため息を吐いた。


「……三日だ。あと三日、この集落に滞在する。最終日までに魔法を三つ……そうだな、攻撃と防御、それから回復の魔法をそれぞれ一つずつ習得する事。それができたら、旅に同行する事を認める」

「ヴィスベル、いいのか?」


 横から驚いた風に言ったカウルに、ヴィスベルは肩をすくめて首を振った。


「ヘタに断るとこっそりついて来そうだからさ。それならいっそ認めた方が楽ってものさ」


 見透かされてら。俺はばつが悪くなってヴィスベルから目を逸らす。その視線の先には、呆然とした様子のクリスがいた。俺はしゃがんでいるクリスに抱きつくと、その耳元でごめん、と一言呟いた。


「お姉ちゃんが攫われて、私までーって、お母さんが思うのは理解できる。けど、私はただ待ってるなんてできそうにないから。だから、お願い」

「ミカ……」


 クリスの口から漏れた寂しげな声が、俺の胸に刺さる。だが、ここで決心を曲げるつもりはない。俺はクリスの元から離れ、次の言葉を待つ。


「……まったく、誰に似たのかしら。分かりました、ミカが本当に魔法を習得できたなら……。その時は、貴女がヴィスベル様の旅に同行するのを認めるわ。勿論、ヴィスベル様に認めて頂けたら、だけど」

「うん。そうと決まれば早速おばあちゃんの所に行かないと!あ、いや、その前に、魔力がカツカツだから神樹様の恵みも食べたいかも」

「ミカが寝てる間の果実がまだ残ってるから、取り敢えず家に帰りましょうか」


 言って、クリスが立ち上がった。俺は歩き出したクリスに続いて、神樹様の祠の中を歩く。

 結局、クリスはそれから一言も口を開かなかった。

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