第5話
「ただいまー」
儀式の準備を終えて帰宅する。時刻は黄昏時。家に入ると、居間には両親の他に見知らぬ人影があった。いや、見たことはある。昼間、神樹様の祠の手前で足止めを食らっていた二人組だ。しかし、何故彼らが我が家にいるのかがわからない。困惑する俺の頭に、誰かの手がぽんと乗せられた。
「ほら、ミカ。挨拶なさい」
アンリエッタの声。俺は慌ててそれに従った。
「ミカエラ・ライフウッドです。えと、神樹様の導きに感謝と祈りを捧げます」
以前アンリエッタから教わった、最大級の敬意を込めた一礼をする。いかんせん来客の少ない土地柄だ。うろ覚えではあったが、幸いアンリエッタの及第点は超えていたらしい。特に何か言われる事もなく、部屋に入るよう背中を押された。
ミカエラという少女が全く初対面の人間に触れる経験というのが乏しかったからか、二人の前に出る事に少し抵抗がある。何、そんなに怯えなくても取って食われたりはしないって。そう自分に言い聞かせ、俺は小さな不安が首をもたげるのを押し込めて部屋に入る。社会人らしく愛想笑いを浮かべておくのも忘れない。人間、初対面の印象が一番大切なのだ。……あれ、正確な初対面はさっきになるかな。ま、どっちでもいいや。
部屋に入ると、二人のうちの片方、ブロンド髪の青年がこちらに微笑みかけてきた。
「ご丁寧にどうも。僕はヴィスベル。こっちは——」
そう言って、青年、ヴィスベルがもう片方の赤毛の男の方を見やる。
「カウルだ。今晩は世話になるぜ、お嬢ちゃん」
人好きのする笑みを浮かべて、男、カウルがひらひらと手を振った。そのカウルの言葉で、俺は二人が家にいる理由に思い当たった。
なるほど、言われてみればこんな集落に宿屋がある訳もあるまいし、誰かしらの家に泊まる事になるのは必然だ。納得して内心頷いていると、アンリエッタが神樹様の恵みを机の上に並べ始めた。
神樹様の恵みというのはこの集落の主食で、神樹様の果実だ。形は梨やリンゴに近い丸型で、うっすらと金色に輝いている。
掌に収まるくらいの大きさだが、この実一つで半日はお腹が保つ。それ以外に食料品が無いというのが正しいが、この実一つで何とかなるのだから仕方ない。
俺はいつも通りに食卓の席に着いた。神樹様の恵みが全員に行き渡ると、我が家ではアンリエッタが音頭をとって食前の祈りを捧げて夕食となる。
「今日もまた、神樹様の恵みで生きる事ができました。神樹様に感謝と祈りを捧げます」
「神樹様に感謝と祈りを捧げます」
祈りの言葉を復唱し、俺は神樹様の恵みを口にする。ほのかな甘みと酸味が心地良い。
今日はいつも以上に魔力を吐き出したからか、俺は直ぐに果実を食べきってしまった。満腹感と消耗した魔力、体力が回復する感覚は何度味わっても癖になる快感だ。
……そろそろ肉の味も恋しくなってきた頃ではあるが。
「あれ、ヴィスベル様方は食べないんですか?」
果実に手を付けずにこちらを見ている二人を見て、アンリエッタが不思議そうに聞く。家族の目が一斉に二人の方を見ると、二人は少し気まずそうに笑った。
「いや、食事って……これだけ?」
申し訳なさそうに、カウルが言う。その衝撃的な言葉に、アンリエッタ達が唖然としているのが見えた。俺もアンリエッタ達と同じような目でカウル達を見ようとしてしまって、そこでようやく、下界の食事とここでの食事が大きく違っている事に思い当たった。
「とりあえず食べてみたら分かりますよ」
「ミカ?」
俺が言うと、アンリエッタが不審そうに俺を見た。俺は、これはビアンカお婆ちゃんから聞いた話なんだけど、と前置きをする。そんな事を聞いた事は無いが、そうしないと知っているはずがないからね。別にビアンカ婆さんに確認を取られるような話でもないし。
「下界だと木の実はご飯の後に食べるもので、神樹様の恵みほどお腹も膨れないし力も湧いてこないんだって。不思議だね」
と肩を竦めてみせる。アンリエッタ達がなるほどと頷き、ヴィスベル達もそうだそうだと言うように頷いた。
「神樹様の恵みは一つ食べるだけで半日はお腹が空かないんです。疲れも一気に取れますよ」
そう言うと、ヴィスベル達は疑わしそうな目をしつつも、そういうものかと神樹様の恵みを口にした。
はじめての神樹様の恵みは飛び上がるくらい美味だったらしい。二人は途端に目をキラキラさせて神樹様の恵みにかぶりついた。
俺はそれを横目に見ながら席を立つ。
「あら、ミカ。今日はもう寝るの?」
俺の動きに気が付いたらしいクリスが少し心配そうに言うので、俺は大丈夫、と微笑んでおく。
「明日は朝が早いからね」
それだけで、母には何のことか伝わったらしい。最近クリスはビアンカ婆さんとよく顔を合わせているようなので、きっと儀式の進捗も聞いて居たのだろう。クリスは慈母の笑みを浮かべて立ち上がると、愛おしそうに俺の頭を撫でた。くすぐったい。俺は思わず目を細めた。
「ゆっくりお休みなさいね」
「うん、おやすみ」
言って、俺は居間を後にして自室に戻る。
明日はとうとう、魔法を使うための儀式を執り行う日だ。有り余る魔力を花瓶に立てた魂の花に注ぎ込み、俺はベッドに入った。興奮で眠れるか不安だったが、日々の習慣の賜物だろう。ベッドに入って目を瞑れば、すぐに眠気が頭を覆い尽くし、俺は深い眠りに落ちた。
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