第3話

 

「全然元気にならない」


「折角だから」というクリスの提案で魂の花を花瓶に生けてみたのだが、花は毎日の水換えの甲斐もなく、依然萎れたまま。枯れもしないが、その代わりに元気になることもない。解せぬ。


 この花の水換えのためだけに、神樹様のウロの中に湧いている清水まで毎日往復しているというのに。清水が湧いているウロは幹の周りをぐるっと回らなきゃいけないから絶妙に遠いのだ。だというのに、水の換え甲斐がないったら。俺たちは神樹様の幹に開いた一つのウロの中を居住地にしている訳だが、清水が湧くウロは俺たちが暮らすウロとは繋がっておらず、しかも片道で小一時間はかかる場所にあるのだ。


 この神樹様は実に大きな、巨大、否、超巨大と言っても過言ではない大樹だ。幹を一周するだけでも何キロメートルあるのかとんと検討もつかない。

 幹を一周すると言っても、長い枝が繋がっている所を乗り継ぎ乗り継ぎしていくので実際には幹の直径よりも歩く距離は長い。人が乗っても破れたりしないような大きくて分厚い葉っぱとか横に何十人か並んでも余裕で歩けそうな幅の太い枝がいっぱいあるから余程のことがなかったら落ちたりすることはないけれど、それでもデコボコした枝の上とかを歩くのは体力を使う。


「可笑しいわねぇ。他の花なら、すぐに元気になるのに」


 俺の隣で花を眺めていたクリスが首を傾げる。


「やっぱり魂の花は特別なんですかねぇ?」


 腕を組んで花を見下ろす。濁った花弁、萎れた茎。先日小枝の上で見た時に比べて、もはや神聖性のかけらも感じない。香りもかなり薄くなっている。


「そうねぇ。ビアンカおばあさんの所にでも聞きに行ってみる?」


 言われ、俺はハッとした。ビアンカ婆さんというのは、近所に住んでいる錬金術師だか魔法使いだかのお婆さんである。この辺りで一番の物知りで、下界の話や見たこともない植物、石の話などは以前のミカエラもよく聞きに行っていた。

 何でも若い頃にこの樹を単身で登り、そのまま居ついたという何ともアグレッシブな経歴の婆様だ。今でも時折下界と行き来しているらしく、ふっと居なくなっては珍しい品を持ち帰ってくる。


 どうして気がつかなかったのか。確かに魂の花の話をするなら持ってこいの人材である。善は急げと、俺は小さな花瓶ごと花を持ち上げ、母を見上げた。


「それじゃあちょっと行ってきます」

「大人っぽくなったかと思えば相変わらず落ち着きがないね、ミカは。行ってらっしゃい、日が落ちるまでには帰って来なさいよ」

「はーい」


 言って、俺は家を飛び出した。ビアンカ婆さんの家は、下界式であろう至って普通のログハウスである。場所は神樹様の枝の中でもかなり太い枝の、日当たりのいい枝先である。枝の先と言っても一軒家が二、三軒は余裕で並びそうな太さがあるから侮れない。前世の記憶無しでここの常識に照らし合わせるならこの家の方が普通では無いが、前世の記憶がある今となってはこちらの方が少し安心する。


 何せ、この枝の上で一般的な家というのは、神樹様のウロの中をくり抜いて作ったような家だからだ。家というより部屋かな。アパートとかマンションみたいな感じである。因みにトイレは枝の方をくり抜いて作られており、下界に向けての開放的なボットン式である。落下すると即死だろうと思うとかなり怖い。まぁ足を滑らせて落ちるような造りではないから余程変な事をしなければ問題ないのだけれど。




 ドアをノックすると、中からあいよー、と雑な返事。俺は扉を開けて中に入った。


「なんだ、ミカエラか。今日はなんの用だい?」


 迎えてくれたのは、眼鏡を掛け、真っ黒いローブに身を包んだ老女。髪は殆ど真っ白になっているが、前髪の一部のみ在りし日の綺麗な金髪が残っている。


「まぁた、魔法を教えてくれってせがみに来たなら諦めな。ちゃんとクリスに許してもらってからじゃなきゃあ、あたしは教える気はないよ」


 居間に入って開口一番、ビアンカ婆さんがカラカラと笑う。俺は、そういえばしつこくせがみに行っていたと以前のミカエラを思い出して苦笑する。今日は違うんだ、と俺はビアンカ婆さんに萎れた魂の花を見せた。


「これを元気にする方法が知りたくて」


 ビアンカ婆さんは花を見て、ほう、と小さく感嘆したようなため息を吐いた。きらり、眼鏡の奥の青い瞳が好奇心に光る。


「これはもしかして、魂の花かい?」

「そうだよ。近場で咲いてたのを見つけたから取ってきたんだ」


 言うと、ビアンカ婆さんはちょっと待ってな、と俺を待たせて奥の部屋へと消える。居間の適当な椅子を借りて待っていると、少ししてビアンカ婆さんが戻ってきた。その他には、古臭い分厚い本。


 ビアンカ婆さんは本をどかっと机の上に置いて、パラパラとめくった。


「あった、これだね」


 そのページを覗き込むと、魂の花のスケッチと何やら文字がびっしりと書き込まれている。残念ながら、その文字は読めない。


「あんた、文字は……読めないね。まぁいいや。これは図鑑といって、いろんなものについて詳しく調べたことが載っている。これはここで言う魂の花、下界じゃ命の女神、アンフィナの花と呼ばれとる。錬金術師や高度な魔法の触媒として超絶重宝される至宝中の至宝……なんだけど、この樹の上じゃあ遠目に結構見つかるから、そんなイメージはないかもねぇ」


 流石は神樹様。まさか普段それなりの頻度で見かける魂の花がそんなに珍しいものとは思わなかった。


「この花は種が芽吹くだけでもそこいらの特級魔法……じゃわからないか。とにかくすんごい魔法を何十回も使うのと同じだけの魔力が必要になるんだ。自然に咲くにしても十年に一回か二十年に一回か……。とにかく、滅多に出回らない花だよ」

「へぇ……」


 要するに、特殊な土壌がある環境以外では滅多に咲かず、その特殊な土壌も希少だということだろうか。


「で、この図鑑によるとだね。この花が萎れたり、枯れることってのは確認されていない」

「え?」


 絶賛萎れてるんですが?手元の魂の花とビアンカ婆さんを見比べると、ビアンカ婆さんは小さく笑った。それは、なにやら面白いものを見つけた子供のような表情だ。目が少しギラついているのが怖い。


「さて、なにがどうなって萎れたのか、詳しい話を聞こうじゃないか」


 有無を言わさぬ強い口調。思わず一歩後ずさると、ビアンカ婆さんは笑顔のまま俺の方に一歩詰めてくる。俺は何とか愛想笑いを浮かべる事に成功すると、魂の花を採取した時のことを思い出しながら順に説明していく。説明を終えると、ビアンカ婆さんが興味深そうに頷いた。


「ふぅん、考えられるのは、ギリギリまで魔力を絞り出したってとこか?完全に消滅していない事を考えると、さて……」


 ビアンカ婆さんが魂の花を手に取ろうとして、触れた瞬間驚いたように手を引っ込めた。


「……お前さん、この花を直接持ってみて平気だったのかい?」

「平気もなにも、普通に持てるよ?」


 言って、俺は花瓶に活けていた花をひょいと摘まみ上げる。特に何事もなく、花は俺の手の中に収まった。


「ふぅむ……。命の大樹に生まれた者同士、ということかの。まぁ、魔力の扱いを教えるだけなら魔法を教えた事にもなるまい」


 小言でボソボソと呟かれた後半部分がよく聞こえない。俺は「どうかした?」と聞き返してみるが、ビアンカ婆さんは「いんや、別に」と短く答えるだけだった。そんな風に言われると気になるじゃないか。そう思って更に追及しようとすると、ビアンカ婆さんが「ところで」と口を開いた。俺は慌てて言葉を引っ込めて、ビアンカ婆さんの次の言葉を待つ。ビアンカ婆さんは人に言葉を遮られるのが嫌いで、すぐに機嫌を悪くするのだ。俺が口を噤んだのを見て満足そうに頷いたビアンカ婆さんは、開いていた本をパタンと閉じて言葉を続けた。


「お前さん、この花を元の状態に戻したいのだったな。一つ、方法を思い付いたやも知らぬ。知りたいか?」


 ビアンカ婆さんの言葉に、俺は大きく頷いた。それが知りたくてここまで来たんだ。変に言葉を遮って機嫌を悪くしないでよかった。


「もちろん。私にできる方法だったら、何だって!」


 どんと、俺はまだ無い胸を張る。まぁ、姉や母があんなのだから、この体もきっとそのうちああなるのだろうが、今はまだ無いからね。あったらあったで目のやり場に困るから、本人には悪いが幸いだった。……水浴びの時に目のやり場に困るのは今も同じだけどさ。


「よし、それじゃあ花を置いて、椅子に深く腰掛けな。力を抜いて、目を閉じて……」


 俺は言われた通りにする。ふっと、ビアンカ婆さんの手が俺の胸のあたりに置かれた。急なボディタッチに驚いたが、ビアンカ婆さんのする事だ。何か深い意味があるに違いない。俺は次の言葉に意識を集中した。


「よし、あたしの手の感覚を全神経で感じるんだ。どんな感じだい?」


 どんな感じって、またアバウトな。喉元まで出かかった言葉を飲み込む。ここまで来て機嫌を損ねたら、それこそ時間が勿体無い。俺は胸に当たったビアンカ婆さんの手に神経を集中する。

 ビアンカ婆さんの手からは、不思議と暖かな熱を感じた。湯たんぽのようで心地よい。


「暖かい……。お湯みたいな感じかな」


 そう答えると、ビアンカ婆さんは満足げにそうかい、と言った。どうやらこういう答えで間違っていなかったようだ。


「その暖かいものの揺らぎは感じられるかい?」


 揺らぎ。揺らぎってなんだっけ。あれだよね、何かこう、流れみたいな奴の事だよね?言葉の意図が掴みきれないが、とにかくやろうと試みる。少しして、俺はビアンカ婆さんの手に感じられる熱が川の流れのように動いている……ような気がした。


「水の流れ、みたいな」

「ほぅ。もう流れまで掴んどるか。よし、その流れを意識しな。あたしの手から、お前さんの体の中に流れ込む流れがあるはず。それを強く意識するんじゃ」


 意識を集中すれば、ビアンカ婆さんの言う「流れ」はすぐに見つかった。その流れは、手の触れている胸から俺の体に流れてくると血管を巡る血液のように全身を循環する流れに合流する。ぽかぽかと身体が芯から温まっていくような感覚に、少しのぼせたような感じになる。

 やがてビアンカ婆さんの手が胸から離されるが、体の中を巡る熱い何かは未だに消えない。どころか、ますますその熱さを増しているような気さえする。


「良いぞ、その調子でしっかり流れを意識しな」


 半分朦朧としてくる意識の中で、俺は言われるがままに流れを知覚し続けた。どれくらい経ったか、体の中心に近い場所に、熱い流れが集まっているのが解った。そこから熱が流れ出し、身体の端の隅々に至るまで循環、再びそこに戻っては流れ出している。いつもやっていたような、初めて知覚するような、不思議な感覚。俺は何も考えられず、その熱が循環するのを感じていた。

 時間が経つにつれ、その循環する熱はますます激しさを増していく。穏やかな川のせせらぎだった筈が、気が付けば流れる滝の如く、である。ここに来て、俺は何か不味いのではないかとぼんやり悟った。

 激流と化した熱は身体の外へと出口を求め、今にも内側から弾けそうな程にまでその激しさを増していたのである。


 これダメな奴だ!俺はその流れを何とか身体の内側に収めようと集中する。先程まで心地よく感じていた熱はもはや熱湯どころの騒ぎではない程に熱されていて、とても身体に悪そうだ。


 ——ストップ!ストップ!あいや、止まったらそれはそれでダメな気がする。ゆっくり!ゆっくりになって!


 半ば悲鳴のような内言を吐きながら、俺は暴れ回る流れを宥めようと試みた。そんな俺の想いが通じたのか、流れは少しずつ穏やかに転じる。この段階にまでくると、この流れを操るにはどうすればいいのか大体理解できた。俺は流れを平常時のそれにまで戻して、ふぅ、と息を吐きだした。気付いた時には、あの身体中を満たしていた熱は完全に引いている。

 かといってあの熱の流れが消失した訳ではなく、特に意識しなくとも先程感じていた流れが完全に身体に馴染んでいる事が感じられた。沸騰していたお湯が水に戻った、というのが感覚的には一番高いだろうか。


 それからしばらくは体内をくまなく循環する流れを意識していたが、いい加減飽きて来たので次の支持を仰ごうと目を開く。開いた眼前では、ビアンカ婆さんが驚いたように目を見開いていた。


「どうしたの?」


 俺が話しかけても尚、ビアンカ婆さんは惚けたような顔をしたまま反応がない。おーい、と目の前で手を振ってみてようやく、ビアンカ婆さんは我に返ったようだった。


「お主、身体におかしな所はないか?」


 そう、俺の身を案じるようにビアンカ婆さんが言った。そんなに体調が悪そうに見えるのだろうか。特に身に覚えもなく、俺はきょとんと首を傾げた。


「……いや、体調に変わりがないならばそれでよい。流れを意識できたら、その流れを自分で動かして、その花に流し込んでみなさい」

「わかった」


 俺は言われた通り、萎れた魂の花に熱を注ぎ込む。花はまるで底の見えない程深い器のようで、身体中に満ち溢れていた流れをどんどん吸い込んでいく。調子に乗って流れを注ぎ続けていると、身体の熱が徐々にだが失われていくような感覚に陥った。これ以上は流石にやばい気がする。そう感じて慌てて熱の流れを止めると、どっと身体に疲れが湧いた。何か運動をしていた訳でもないのに、息が切れる。腰から力が抜け、俺は思わずその場にへたり込んだ。


「大丈夫かい?!」

「だい、じょうぶ。少し、立ちくらみがした、だけだから」


 息も絶え絶えでビアンカ婆さんに応答する。心配するビアンカ婆さんから目を離して胸の前に抱いていた魂の花に目をやると、その花弁が少し、透明度を取り戻している。茎にも少し、ハリが戻っていた。それを見た途端、感じていた疲れが吹き飛んだ。俺は飛び上がってビアンカ婆さんに抱きつき、次いでその両手を取った。


「おばあちゃん!ありがとう!」


 本心からの言葉を伝え、俺はもう一度、少しだけ元気を取り戻した魂の花を矯めつ眇めつして眺めた。


 花を再び胸元に抱く。まだまだ見つけた時には及ばないが、完全に戻すことは可能だということがわかっただけでも嬉しい。


「そりゃ、良かった。あたしも魂の花を間近で見たのは初めてだったからねぇ。完全に元に戻ったら、スケッチでもさせておくれよ」


 ビアンカ婆さんの事だからてっきり見慣れたものかと思っていたので驚く。特に否定する要素も無いので俺は頷いた。


 あれ、この感じ、今なら魔法をせびっても教えてもらえるんじゃないか?魂の花がビアンカ婆さんにとっても貴重なものなら、交換条件としては最上のカードの一つではないだろうか。俺だってファンタジーに興味がない訳じゃない、というかむしろ興味津々だからね、使える機会は何でも使わないと。


「そしたら魔法も教えてよね」


 当然の権利とばかりに主張してみる。断られたら魂の花をネタに揺する……もとい、交渉するつもりだったが、次のビアンカ婆さんの言葉は俺が色々と予想していたあれやこれやとは全く違うものだった。


「そりゃ、クリス次第さ。……ま、お前さんもそろそろ大人の仲間入りだし、あたしからも少しくらい口利きしてやってもいいがね」

「だよねー……。ん?」


 聞き間違いじゃないよね?聞き間違いじゃないことにしておこう。聞き直してビアンカ婆さんの気が変わっても困る。素気無く断られる言葉ばかり想像していた俺は、あまりに想像から乖離した言葉に思わず頰を抓ってみた。うん、とても痛い。


「なんだい、失敬な子だね。あたしだってその資格がある子が学ぼうとするのを止めるほど野暮じゃないよ」

「いや、だって今まで全然乗り気じゃなかったし。なんで急に?ってのは、やっぱり不思議に思っちゃうかなぁ、なんて」


 まさかビアンカ婆さんが俺に魔法を教える事に前向きになるなんて、少し前までは考えられなかっただけに衝撃が大きい。

 とはいえ、「魔法」なんてファンタジーの代名詞を教わらない選択肢は無い。俺はビアンカ婆さんの気が変わらないうちにと、もう一度ありがとう、と言ってビアンカ婆さんの手を取った。

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