第3話 朝の時間が空いたので何をしよう


 それから大きな天蓋つきのベッドで眠った私は、翌朝五時、メイドに優しく起こされた。


「レーナ様、五時になりました。お目覚めになるお時間でございます」


 寝ぼけていた私は、視界に入ってきた見知らぬメイドに叫びそうになるほど驚いた。

 それと同時に、昨日の出来事が夢ではなかったのだと改めて思い知る。

 その後、呆然としていたところをメイドに慌ただしく着替えさせられ、髪も三人がかりであっという間にお馴染みの縦ロールにされた。

 てっきり授業に遅刻しそうなのかと思っていたのに、『一限目は何時からでしたか?』と聞くと、なんと九時からだったのだ。

 もう、一限目までまだかなり時間があるのに、なぜ私を五時に起こしたの……メイド。

 そう思っていると、どうやら朝は乗馬クラブに入っているジークの早朝練習を見にいっていたらしい。

 本来起きる必要がないのに、朝五時から起きて、せっせと彼に会うための準備をしていたとか……悪役令嬢ながら、婚約者と上手くやるためになんて涙ぐましい努力をしていたのだろうか。

 でも、今日でそれもおしまい。

 悪役令嬢レーナになってしまった私は、シナリオ通りの悲惨な末路を辿たどるわけにはいかない。

 ジークとヒロインに下手に関わって、他人の罪まで被るようなことを避けるためにも、彼のことはすっぱりと諦めるのだ。

 だから、もう私にはわざわざ毎朝早起きをして、ジークに会いに行く理由はない。

 なによりも、朝の一分は昼間の一分とは比べ物にならないほどの価値がある。なにを言いたいかというと、要は早起きはしたくないというお話。

 そういえば、昨日、ヒロインを呼び出して虐めるイベントが発生していたけど……

 今ってゲームの時間軸だとどのあたりになるのかしら? 虐めが始まっているということは、もう二年目? それとも、もう三年目? いや、もっと進んでいるのかも。

 この乙女ゲームは六年目まであって、レーナが追放されるのは最終学年になってからだ。

 ジークやイベントを避けるためにも、今はいったいいつなのかを知らなければいけない。

 ジークへの朝の挨拶に間に合わないのでは? と焦るメイドを尻目に、私は朝から優雅にコース料理の完食を目指す。

 すると、メイドの一人がしずしずと近寄ってきた。


「レーナ様。アンナ様とミリー様がお迎えにいらっしゃいました」


 なるほど。アンナとミリーも巻き込んで、早朝から皆でジークのところに行っていたのね。確かに、昨日もそんなことを言っていたわ。

 私が悪いわけではないけれど、レーナのせいでこんな朝早くから皆を振りまわしてごめんなさい……


「アンナとミリーを部屋に通して」


 私の指示に従い、メイドはアンナとミリーを部屋に招き入れ、二人用の席をあっという間に準備する。


「「おはようございます、レーナ様」」

「アンナ、ミリーおはよう。私ったら昨日大事なことを伝え忘れていたのよ。ごめんなさいね。メイドの皆にも聞いてほしいのだけれど。今、話をしても構いませんか?」


 魚のムニエルを食べていては決まるところも決まらないから、口元を軽くナプキンで拭き整えた。

 メイド達も作業を中断し、レーナの前にずらりと五人も並ぶ。奥からも、シェフがコック帽を外はずして慌てて出てきた。

 アンナとミリーは背筋を伸ばし、椅子に座って私が話しだすのを待っている。

 よし、もう切り出してもいいわよね……さすがにもうこれ以上は出てこないでしょう。というか私一人のために六人も使用人がいたの? さすが公爵令嬢、人件費かかっているな~とか思っている場合ではない。


「まず、私の我儘でアンナ、ミリー、メイドの皆、そしてコックの貴方。朝の貴重な時間を使わせてしまってごめんなさいね」

「そんな、謝罪なんて……」


 改まった謝罪を聞いたアンナが戸惑った様子で言う。


「アンナ、ミリー、二人は自分に関係ないことにもかかわらず、毎朝私に付き合って早起きをさせてしまってごめんなさい。毎朝これだけの時間があれば、別のことができたでしょうに。その大切な時間を、今まで私のために使わせてしまって本当に申し訳なく思っているのよ」

「「レーナ様」」


 なぜだか二人は感動したようで、うるうると目を潤うるませ、私の手をぎゅっと握にぎってきた。


「そして、メイドの皆にコック。私の朝の身支度の準備をする貴方達は、私よりかなり早く起きていたはずよね。五時起きの私でさえ眠いのだから、皆さんはもっともっと辛かったと思います」

「「「「「「お嬢様……」」」」」」


 メイドやコックまで胸を打たれている様子だ。ちょっと忠誠心高い、高いよ、レーナのまわり。


「はっきり言いますね。私はもう朝の挨拶をしにジーク様のところには行きません。せっかく皆の時間を使っているというのに無駄でしかありませんでした。それに、アンナとミリーだけでなく、なぜ皆さんにこの話をするか、理由はわかりますよ……ね?」


 気まずげな表情を作って皆の顔を見回すと、ゴクリッと誰かの唾を呑む音が聞こえた。

 やっぱりジークとレーナが上手くいっていないこと、皆知っていたんだ。


「これからは、朝は七時に起こしてちょうだい。それから身支度を整えて朝食をいただくことにします。アンナとミリーの迎えも八時を過ぎてからで結構です。今まで貴重な朝の時間を私の我儘に付き合ってくれてありがとう。貴女達の準備を手伝ってくれていた従者も労ってあげて。後日、私から手紙とお菓子を送ります」


 「「お気遣いありがとうございます」」

 アンナとミリーはそう言って、同時に深々と腰を折る。

 そして、私の次の言葉を待つかのように、部屋が静まり返った。

 さて、言いたいことは全部言ったし。どうしよう……どうしたもんだ……どうしたら……


「えっと、とりあえず、急いで朝食を食べますので、アンナとミリーはすみませんがもう少し待っていて。二人になにかつまめるものを……」


 私の言葉を聞いて、メイド達がいち早く動き出す。アンナとミリーにお茶を出すため、コックも慌てて厨房に消えていった。

 朝食を食べ終えたのは、七時前だった。

 まだ登校するには早いしどうしよう。アンナとミリーも私の出方を窺窺っているようだし、ここは私がなにか言わないとだめよね。


「せっかく早く起きたのですから、少し授業の予習でもしましょうか。今日の授業はなにがあったかしら」


 さりげなく今日の授業を聞くことで、今が何年生なのかもわかるかもしれない。今日の私、冴えている。


「おそらくですが、今日あたりから魔力感知の授業があると思われます。進み方が順調ならば、適性診断も行われるのではないでしょうか。座学の授業も目途めどがついたころと思われるので」


 アンナがさらっと答えてくれたけれど、魔力感知ですって!? 

 魔力感知は一年生の、それも春の最初のほうの授業。

 ということは、レーナを含めまわりはまだ十三歳だ。確かに皆、随分と幼いと思っていたのよ。

 正直なところ、魔法の授業をどうやって乗り切ろうかなと思っていたから、ちょうど最初の実技から参加できてよかったのかもしれない。

 魔力感知の授業には、大きな目的が二つある。

 一つ目は、自分の中にある魔力の流れ――いわゆる魔力循環を知ることだ。

 魔力を持つ者の身体には、魔力が流れる『魔力線』というものが、血管のように張り巡めぐらされている。自分の中の魔力を感じ、どんなふうに魔力が身体を流れているのかを知ることで、魔法を扱うコツを掴つかむことができるのだ。

 魔力は有限だ。休んだり、回復薬を飲むことで回復も可能だが、枯渇すると『魔力切れ』という弊害が出てくる。

 初期症状として身体が熱くなり、それでも魔力を使い続けると、身体が冷たくなり動きが鈍くなる。最終的には動くことが困難になってしまうのだ。

 無駄に魔力を使わないためにも、魔力循環で扱い方を学び、上手に魔力を運用することが大事なのである。

 二つ目は、自分の魔力の属性を知ること。これは、後に測定機で判定してもらう。

 実はこの授業は、攻略キャラクターの属性をヒロインが知るイベントだった。

 魔力の属性は火、水、土、風、雷、氷、光、闇、聖など戦闘向けのものと、金属、緑など物作りに向いたものがある。

 学園の生徒の大半が戦闘向けの属性持ちで、物作りに向いた属性持ちは少ない。

 ちなみにヒロインは光魔法、フォルトは雷魔法、ジークは氷魔法だ。

 悪役令嬢レーナは緑魔法が使える。草木の成長を助ける魔法だけれど、光魔法のヒロインでゲームをプレイしていた時と比べると……緑の魔法はかなり地味だ。

 それにしても、ゲーム通りに魔法って使えるのかしら……レーナの中身が私でも。


「アンナは火、ミリーは水、私は緑……か」

「なぜ、私達の適性がわかるのですか?」


 ミリーが驚いたようにそう言ったのを聞いて、私はアンナとミリーの属性を言ってしまったことに気がついた。

『ゲームをやってたから知っているのよ』なんて言ったら、完全に不審者扱いされてしまう。


「なんとなく、そうじゃないかなと感じたの。あくまでなんとなくよ」

「火……」

「水……」


 二人は自分の手を見つめて思案げに呟く。

 アンナとミリーが私の失言について深く考え出す前に、違うことを提案することにした。


「さて、雑談はおしまいです。魔力感知の練習を実際にしてみましょう。私、きちんと予習したの! ほら、二人とも集中して。えっと、確か目を閉じて、ゆっくりと全身に魔力が流れるのを感じるのよ」


 ゲームで教師が言っていたことを思い出しながら、二人を促す。

 二人が目を閉じたのを確認して、私も目を閉じた。

 ……でもちっとも、わからない。

 なにかゲームで使えることを言ってなかったかしら、と必死に思い出す。

 そうだ! 『輪になって手を繋つないだほうが、互いの魔力が流れてきてよくわかる』と、いつまでも魔力を上手く感じられないヒロインに先生が教えていたわ。

 私は二人の手を握にぎった。

 いつも通り右はアンナで左はミリーだ。


「アンナとミリーもお互い手を繋つないで。右隣にいる人に魔力を流すイメージをして、三人で魔力をまわしてみましょう」


 ゲームの受け売りで始めてみたのはいいけれど、まだまだ魔力があることが半信半疑だ。これ以上なにをしたらいいかもよくわからず、ただ二人と手を繋つないでいるだけになってしまった。

 しかし、しばらくすると、アンナのほうからジワッと温かいものが流れ込んできた。

 ――あっ、これが魔力かもしれない。

 アンナから魔力が流れてきたことで、ところてん式にズズズッと私の魔力も一部押し出され、反対側で手を握にぎっているミリーのほうに自分の魔力が流れていくのがわかる。きっとミリーが上手く魔力をアンナに送ることができなくても、私と同様に、ところてん式にアンナのほうにも魔力が流れていくだろう。

 そんな感じで十分くらい魔力を循環していると、どういったふうに魔力が流れていくのかだんだん掴つかめてきた。

 魔法を行使する時には、魔力線をコントロールして身体中に流れる魔力を集めないといけない。これは、必要な箇所に必要な魔力を集める練習にもなるのだ。


「さて、もういいでしょう。二人にも魔力の流れがわかったのではなくって?」


 上手く魔力を流し込んでくれたのはアンナだが、私は胸を張って二人に問いかけた。


「はい、感じることができましたわ! ねぇ、アンナ」

「えぇ、私は二人より遅かったかもしれませんが、ミリーのほうからじわっとなにかが入ってくるのがわかりました。そのあとはなんとなくですが、魔力の流れを感じた気がいたします」


 本当はアンナのほうからじわっと魔力がきたのだけれど、いい感じに勘違いしているようだから黙っておきましょう、ホホホ。

 あっ、今、心の中とは言え悪役令嬢レーナのように笑っていたわ。いけない、いけない。

 それから私は、部屋の隅すみに置いてあった花瓶に近寄り、そこに生けられた花に魔力を送り込んでみることにした。


「勘かんですけど私の属性は緑ですから、このように花に触れて魔力を送れば……ほら!」


 蕾つぼみだった花がゆっくりと、見事に開花する。

『ふんぬうおおおお』くらい気合を込めて、これでもかと魔力を送ったけれど。

 でも、ちゃんとできた! 私、本当にこの世界で魔法が使えるじゃない。

 これが、火や水だったら明らかに魔法って感じで、もっとファンタジーぽかったのに……って、いやいや、これだって十分すごいのだから、これ以上の欲張りはよくないわね。


「アンナはおそらく火属性だから室内で使うのは危ないわ。ミリー、このティーポットに水を出してみてくれる?」

「はい! 私にもできるといいのですが」


 ミリーはティーポットを両手で持ち、目を閉じる。

 見ているだけの私には変化はわからないけれど、次の瞬間、ミリーが驚愕した様子で目を見開いた。


「レーナ様……ポットが重くなりました」


 すごいっ! 確か、水属性が出す水は魔力が含まれる魔力水と言われ、貴重だと先生が言っていたわ。

 でも、私だって魔法を使ってトマトでも実らせれば、魔力の結晶のようなトマトができるのではないだろうか……うん、これは後日実験してみなきゃ。

 ティーポットの蓋ふたを開け、三人で覗のぞき込むと、そこにはポットの半分ほどではあるものの、水が入っていた。


「ミリー、すごいわ」


 アンナはそう言ってミリーの背中をポンッと叩く。


「水属性の方が出す水には、少量ですが術者の魔力が含まれているらしいの。巷ちまたでは魔力水と呼ばれているらしいです。飲めば一時的に魔力を取り込むこともできるらしいので、今日はミリーの初めての水を三人でいただきましょう」


 ゲームの受け売りなので『らしい』ばかりだ。


「レーナ様は、本当にたくさん魔法について勉強なさってたんですね」


 ミリーがほわほわと言った。そんな彼女に苦笑いを返しながら、私は一口水を飲む。

 水はいつも飲むものより、美味しい気がした。

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