第257話「探偵ごっこに、さよなら 前篇」

 手の平の中にある銃は、携帯電話ほどの重さしかないのだが、人を殺すかもしれないプレッシャーが紬に両手で構えさせるほどの重量を感じさせていた。

 そんな紬を気にも留めず、明らかに罪を犯そうとするピーター・ハートに、ジェシカ・フーヴァーは怒りをあらわにする。


「気でも触れたの? 貴方、自分が何を言ってるのか解ってるの?」


「当然だ」


「と、当然ですって!? そんなことが許される訳ないでしょ!」


「許されない? 一体、誰に対してだ?」


「そんなことを説明しなければならないほど、愚かになったの? 貴方は、連邦捜査官(FBI)なのよ!」


 自分の考えが解らない相棒に、ピーターの語気にも熱が入る。


「そうだ、俺はFBIだ。FBIには、国民を守る義務がある! トニーも、その一人じゃないのか?」


「だからこそ、私たちが……」


「俺には、ヨハン追跡の任務がある。君が一人でトニーを守るのか? 24時間不眠不休で?」


「そ、それは、信頼できる誰かに……」


「誰だ、そいつは! 教えてくれよ! 一体、誰が信頼できるんだ! 君は、マーティンが裏切り者だと気づいていたのか!」


 正論を叩きつけられ、ジェシカは言い返すことが出来ない。


「こいつらがトニーを殺さないのは、君でも理解できるだろ?」


「だけど……」


「まだ解らないのか! 俺たちではトニーは守れない! 君は今だけの正義を見て、その先を見ちゃいない!」


「だからって、法を犯すって言うの?」


「そうだ! 逆に問うが、法とは一体、誰の為にある? 国民じゃないのか? 国民あっての、法じゃないのか? 君は国民の命よりも、法を優先するのか? 俺は、国民を守るために、法を犯すんだよ!」


 ピーターの名演説に、ハラミが拍手を贈る。


「素晴らしい覚悟だ。仲間に欲しいくらいだ」


「勘違いするなよ。俺は、お前ら組織を信用した訳じゃない」


「解ってるよ。この数分のやり取りで『信用した』と言われる方が、どうかしてる。だが、俺たちがアンタらを生かす理由も、解ってるんだろ?」


 まだ、理解が追いつかないジェシカへの牽制として、敢えて口にしたな?


 ピーターもまた、原田に合わせ説明するように、それに答える。


「ヨハンを無罪にする証拠は、此処に全て揃っている。交渉するよりも、俺たちを殺して、全てマーティンに罪を着せる方が簡単な筈だ。だが、そうしないのは、俺たちに利用価値があるからだろ?」


「その通りだ」


 すると、ピーターは小刻みに腕を震わし、銃を構える南城紬なんじょうつむぎを指差した。


「そろそろ、下ろしてもらえないか?」


「まだだ、女の同意が先だ」


 ジェシカは「解ったわよ……」と、溜め息混じりに同意したのだが、その不十分な答え方に納得できなかったのは、ピーターの方だった。


「本当に解っているのか? 君はもう、この件から抜けることも、科学技術部へ戻ることも、FBIを辞めることさえ許されない。この事件が片付くまで、君は俺の部下だ」


「解ってる、解ってるわよ……」


「もういいぞ、紬」


 だが、極度のプレッシャーで紬の体は硬直し、その指示に従うことが出来ない。

 それを察知したハラミは、ゆっくりと近づき、紬から銃を取り上げると、目の前でその引き金を引く。

 銃はカチッと音を鳴らし、その口から飛び出したのは弾丸ではなく、小さな炎だった。


「ライターだよ」


 その事実に、紬は全身の力が抜けてしまい、まるで糸が切れた操り人形のように、その場にへたり込んだ。

 ハラミは「ご苦労さん」と紬の頭を軽く叩くと、ズボンのポケットから携帯電話を取り出し、電話を掛ける。


「ボス、交渉成立だ」


 ボス?


 虎塚帯牙が不在であることから、そう呼ばれても不思議ではないのだが、言われたことの無い呼ばれ方に宮本哲也(テッチャン)は少し戸惑いながらも、ハラミにスピーカーにするよう促した。

 宮本が告げた今後の計画は、以下の通り。


 1.トニー・レイモンドに着せられた罪をマーティン・アンドルーズに着せ替える。

 2.トニー・レイモンドは、そこに居なかったものとし、身柄を原田が預かる。

 3.ピーター・ハートとジェシカ・フーヴァーは、テロリスト撲滅のため協力し、それが違法であったとしても指示に従ってもらう。


「違法であったとしても?」


「安心しろ、人を殺せとまでは言わん。そして、君たちが自由に動けるように、ヨハンの無罪を一時保留にする」


 精神的な疲れもあって、此処まで大人しく聞いていた紬であったが、流石にヨハン無罪の一時保留には異を唱えた。


「待ってください、ヨハンの無実は此処にあるんですよ! 何故、ヨハンを解放しないんですか!」


 だが、それに答えたのは宮本ではなく、ピーターだった。


「ヨハンの罪を残すことによって、我々が自由に動けるからさ。仮にヨハンが無実となれば、我々は早々に解散し、それぞれが別の事件を追うことになる。そうなれば、君たち組織に協力することが出来ない」


 言われなくても、紬には解っていた。

 しかし、指を失った耕太のことを思えば、言わずにはいられなかったのだ。

 また、帯牙の右腕である宮本なら、自分では思いつかない手が出るのではないかとの期待もあった。


「何か、何か、他に良い手はないんですか?」


「すまないな。今の段階では、これ以上の手は思いつかない……だが、安心してくれ。ヨハンたちの身柄は、既に押さえているし、いざとなれば、そこに在る証拠を公開する」


 やはりな、でなければ作戦が成り立たんからな。

 しかし、組織の人間でありながら、何故、この女が知らない?

 ボスという男も、どこかこの女に気を使った感じを見せている。

 こいつらの組織は、一枚岩って訳ではないのか?

 調べるか?

 いや、やめておこう。

 今は、こいつらの計画に乗るのがベストだ。

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