第206話「七転八起」

 ゲームが嫌いだと言った少女の示した強さへの道程みちのりは、香凛にとって、果てしなく遠い迂回に見えた。

 それが正しいことは、考えるまでもないのだが、自分の気持ちに嘘も吐けない。

 かといって、彼女に指摘された『自己満足の努力』を続けることも出来ない。

 答えの出ない自問を繰り返し、香凛は廊下で座り込んだまま、しばらく動けなくなっていた。


 ふと、どのくらい考え込んでいたんだろうかと、客観的に自分を見た時、この時間も無駄に感じ、いい加減、悩むのにも疲れた香凛は、立ち上がって、スカートのポケットにスマートフォンを仕舞しまうと、ゆっくりと歩き出した。

 その行く先は、泣く為にこもる自室ではなく、再び、泣かされた戦場(学校)へ。


 覚悟を決め、寮の玄関まで来たのだが、急に何か思い立って駆け出した先は、洗面所。

 着くなり、いつもより大目に蛇口をひねって水を出すと、顔を叩くように洗い出した。

 跳ね返る飛沫しぶきが服を濡らすが、それを気に留めることもなく、何度も繰り返した。

 ようやく、気が済んだところで顔を上げ、涙が残っていないことを鏡で確認すると「よし!」と、両手で頬を軽く叩き、改めて、寮を出て学校へと向かう。


 枯れるほど泣いた所為なのか、それとも顔を洗って間もないからか、頬に当たる風は清々しく、対抗戦というプレッシャーから解き放たれたということもあって、今朝よりも足取りが軽い。

 意気揚々と部室へ乗り込むくらいの気概であったのだが、校舎が近づくにつれ、その足取りは次第に重くなっていった。

 そう、今頃になって、泣いて飛び出した事が恥ずかしくなってきたのだ。


「う~ん?」


 部室に戻った時、なんて言い出せば良いのかと、校門の前を腕を組みながら右往左往していると、突然、後ろから声を掛けられる。


「どうした? お嬢ちゃん?」


「あ、お爺ちゃん!」


「用務員さんな」


「お爺ちゃんこそ、日曜なのにどうしたの?」


「用務員さんな。ワシか? ワシは、お昼を食べに来たんじゃよ」


 そう言って、右手に持った風呂敷包みを揺らす。


「家で食べずに、学校で?」


「そうじゃよ。とっておきの場所でな」


「とっておき?」



 部室へ戻った時の言い訳が思い浮かばなかった香凛は、用務員に導かれるまま、第二校舎の屋上へ。

 扉を開けると、ほんの少し強く冷たい風が吹き抜け、思わず目を閉じたのだが、再び開いた時、そこには瀬戸内海を一望できる世界が広がっていた。


「どうじゃ、良い景色じゃろ?」


「うん!」


 究道学園は、小高い丘の上に建てられていた旅館を改造しただけあって、その景色は絶景だった。

 南には讃岐山脈、北には瀬戸内海が広がり、今日は晴れていたこともあって、その先に在る本州まで見えている。


「ほら、今日は天気が良いから、淡路島も見えるぞ」


 そう言って用務員は、北東に在る島を指差したのだが、


「違うよ、あれは小豆島しょうどしまだよ」


「あれ? そうじゃったか?」と言って笑い、香凛もそれに釣られて笑う。


 二人は、屋上に備え付けられたベンチに腰掛け、用務員は肩に掛けていた水筒を横へ置くと、弁当を広げ始めた。

 風呂敷から現れたのは、運動会で親が持ってくるような大きな二段重箱だった。

 上段には、オニギリと稲荷寿司が4つずつ、下段にはエビフライ、ハンバーグ、ポテトサラダなど洋風のオカズが並べられていた。


「すごーい!」


「良かったら、好きなだけ食べなさい」


「え! いいの?」


「いいよ、いっぱいあるからな」


「お爺ちゃんってさー」


「用務員さんな」


「いつも、こんなに食べるの?」


「まぁな、いつも多めに作って、残ったら晩飯にしとるんじゃ」


「えッ!? 自分で作ってるの?」


「そうじゃよ。料理男子なんじゃ」


「男子って……奥さんは、作ってくれないの?」


「ワシ、独身じゃけど?」


 何故か、いままで感じたことの無い冷たい風が用務員だけに吹き抜ける。


「ずっと?」


「ずっとじゃけど……」


「可哀想……」


「可哀想って、言うな!」


「お爺ちゃんなのに……」


「お爺ちゃんって、言うな!」


 この話を続けられたらかなわないと、用務員は話題を変える。


「なんで、校門の前をウロウロしとったんじゃ?」


「えッ……それは……」


「言い難いのなら、別に構わんぞ」


「実はね……」


「実は?」


「アタシね、180kmの剛速球を投げれるピッチャーじゃなかったの」


「はい?」


「160kmくらいだったの」


「160でも、プロのピッチャーでさえ、なかなか出せない速さなんじゃが?」


「え? そうなの? じゃ、150くらい?」


「まぁそれでもなんじゃが、言いたい事はなんとなく解った。同じ部の子にでも、負けたんかね?」


「ううん、桃李新宿……」


「桃李新宿!?」


「今日ね、新宿と対抗戦したんだけどさ、負けちゃったんだ」


「そうかー、負けたかー」


「うん……」


「お嬢ちゃんは、今まで負けたこと無かったのか?」


「え? そんな訳ないでしょ」


「じゃ、気にすることはないじゃないか。今日の分、負けが増えただけじゃろ?」


「そうだけど……」


「それに、新宿が、世界一が相手なら、負けても仕方ないんじゃないかね?」


「それは違う!」


「負けたくない相手だったか?」


「うん……」


「ちょっと見せて見らっても、えぇか?」


 香凜は、スカートのポケットからスマートフォンを取り出し、GTWのアプリを起動させ、用務員に手渡した。


「いきなり、学生ナンバーワンの神谷君とか!」


「それ、早く終っちゃうんだけどね」


「でもまぁ、気になさんな。サーベルタイガーの再来と呼ばれてるくらいなんじゃから……」


 すると、香凛は自慢げな表情で、ひとさし指を一本立たせ、横に振る。


「そいつ、サーベルタイガーの再来なんかじゃないわ! イチマルをダウングレードして乗ってるんだもの!」


「なんじゃ、知っとったのか」


「え? お爺ちゃんも、知ってたの!?」


「用務員さんな。前に、結構ゲームに詳しいって言ったじゃろ?」


「もしかして、お爺ちゃん、本当に強いの!?」


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