第202話「義憤の女神」

 浅倉総一郎は、大きな決断を迫られていた。


「家か、道場か……」


 浅倉の家は代々、伊東一刀斎いとういっとうさいの流れを汲む小野派の一刀流剣術道場を営んでおり、名門であったため門下生も多く、屋敷も道場も立派な物だった。


 しかし、2023年夏、盆で父親の実家である伊豆へ帰省していた両親と弟が交通事故に遭ってしまう。

 部活の合宿に参加していた総一郎は、その連絡を受け、病院へと向かったのだが、両親は既に此の世になく、生き残った弟も両足を失っていた。


 両親を失ったことで多額の保険金が入ったものの、それでも相続税であり、今後の固定資産税や生活費、そして、弟の入院費や学費などを考えると、家か道場か、どちらかを手放さなくてはならなかった。

 しかし、葬儀の準備や様々な手続きで、ゆっくり考える時間や、悲しむ時間さえも奪われ、決断しなければならない日を迎えてしまう。


 そんな総一郎が選んだのは、葬儀で涙ながらに「一緒に道場を支えて行きます」と言ってくれた父の一番弟子・小野田の言葉を信じて、住める家ではなく、収入が見込める道場だった。

 才能に恵まれていた総一郎であったが、まだ高校在学中であり、弟の世話などもあったことから「自分が教えるのは高校を卒業してから」と考え、小野田に貸す形で道場を維持していた。

 しかし、両親の一周忌を迎えるよりも早く、その小野田に門下生を全て奪われてしまう。


「裏切り者どもめーッ!」


 その怒りの赴くまま、弟の反対を押し切って高校中退し、自分が師範として立つことを決意したのだが、その後も、一人として入門することのないまま、時だけが過ぎて行った。


 贅沢せずに貯金を切り崩しながら、生活をしていた或る日。

 二人で風呂屋に行った帰りに、弟の小次郎が一枚の広告を手にする。


「兄さん、これ!」


「なんだ、コレ? グランドツーリングウォー? いいよ、ゲームなんてしてる暇は無い。それよりも、門下生を集めないと……」


「兄さん、僕が言いたいのはそこじゃない。プロになったら、収入があるんだ!」


 そう言われ、再び、チラシに目をやると『640位で年収510万円、1位なら7000万円、32位から別途1億円』と書かれていた。


「やってみないか? 兄さん、ゲーム巧かったろ? しかも、プレイ料金は掛からないんだよ。もし、1位に、いや、32位内でも成れれば、家だって買い戻せるかもしれないよ!」


 気は乗らなかったが、取りあえず、一度はプレイしてみようかと、スマートフォンを取り出し、プレイヤー登録を行う。


「名前……ASAKURAで、いいかな?」


「ちょっと待って、兄さん!」


「なんだ?」


「名前は、ネメシスにしよう!」


「ネメシス?」


「ギリシャ神話の女神でね。道義に外れた者へ、天罰を与える神様なんだ」


「ほぉ~、いい名だな」


 こうして、GTWの世界にネメシスが誕生する。

 プレイ後、総一郎は出てくるなり、待っていた小次郎にその感想を告げる。


「このゲーム、凄いよ。ゲーム内で、一刀流が使えたんだ」


「えッ、そうなの! じゃあさ、ゲームで名を上げれば……」


「そうか! 入門者が増えるかもしれない!」


 反射神経も動体視力も良かった総一郎は、日に日にランクを上げ、一月足らずでプロになった。

 神聖な道場にシリアル筐体を置きたくないという理由もあったが、なにより、インベイドの施設内は充実していて、外へ出なくともなんでも揃うし、バリアフリーでもあった為、木更津きさらずを離れ、多少金は掛かるが施設で暮らすことを選ぶ。


 その後、地価の高騰もあって、浅倉兄弟が家を取り戻したのは、それから、4年後のことだった。

 再び、道場を再開しようかと考えたが、それよりも前に、もし、自分に何かあった時のために、小次郎に十分な資産を残せるまで、総一郎はGTWを続けることにした。


 そして、2031年、引退を決意したのであった。


 ――剣聖ネメシスが、リアルで道場を開いてる。


 瞬く間に入門者は増え、こうして、GTWをやらずとも生活は十分見込めるようになった。



 一方の小次郎は、いつまでも兄に迷惑は掛けられないと、2027年から自分を支えてくれるパートナーを探していた。


 今、十分にお金はある。

 でも、それを無くしたとしても、支えてくれる人なんて居るんだろうか?

 介護ヘルパーを雇った方がいいのかな?


 必要と感じつつも、一歩踏み出せない日々を送っていた或る日、運命的な出会いを果たす。

 それは、ゲームの地位向上としてインベイド社が主催する「ノブレス・オブリージュ」で、孤児院へ訪れた時のことだった。


「ネメシスって凄いよね! ズバッ! ズバッ! って、刀一本で戦ってさ」


 そう言って、玩具の刀を振り回す男の子を見て、小次郎は驚いた。


 この子……刀で斬らずに、体で斬ってる!


「ねぇ、ボク、どこかで剣道習ってたの?」


「ううん。ネメシスの戦い見て、覚えたんだ!」


 その才能に魅せられた小次郎は、その子・沖田司おきたつかさを引き取って育てることにした。

 総一郎もその才能に惚れ込み、まるで跡継ぎを育てるかのように厳しく指南した。

 真綿が水を吸うように、驚くほどの急成長を遂げて行き、三年後、総一郎から初めて一本を奪う。


「よし、司! GTW筐体に乗ることを許可する」


「やったー!」


 竹刀を放り投げ、ジャンプまでして喜ぶ司。


「おい、ちょっと待て! 司に道場を継がせるんじゃないのか?」


「は? なに言ってんの兄さん。跡継ぎは、もう居るじゃないか」


 総一郎は、2029年に結婚し、翌年に男子が誕生していた。


「いや、でも、まだ赤ん坊だし……」


「その内、デカくなるよ」


「えぇ~、勿体無い! 司だって、道場の師範になりたいよな?」


「なに言ってるんですか、先生。ボクはGTWで強くなりたいから、此処で修行してたんですよ」


「嘘だろ? マジかよー! 考え直せ、司」


「行くぞ、司」


「はい、師匠」


「おい、司! 考え直せ、司ーッ!」と叫ぶ総一郎を残して、二人は道場を後にした。

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