第201話「遺言」

 目を開けると、真っ白な天井が見えた。

 微かに、右腕が痛たむ。


 痛みを感じる場所には、細い注射針が刺されており、そのくだの先には点滴が在った。


 あぁ、そうか、俺は死ねなかったのか……。


 自殺しようとした訳じゃないが、憂鬱な日々が続く中、次第に食欲も落ちていた。

 そして、それに比例するように、思考のベクトルも、段々と負の方へと向かい、


 俺が居なくても、ラルフたちならやれる。

 だから、このまま居なくなっても構わないよな?


 日に日に、そう思うようになっていた。


 きっと、倒れてるのを米子さんに発見されて、救急車、そんなところだろう。


 未だ意識が朦朧もうろうとする中、左手に温もりを感じて視線を送れば、まるで祈るように、両手で俺の左手を握り締め眠る、米子さんの姿があった。


「米子さん……」


 久しぶりに出した所為か、生気のないかすれた声だったが、それでも鈴木米子の目を覚ますには、十分だった。


「良かった、生きてて、良かった」と、帯牙の手を握り締め、ボロボロと泣き崩れる。


 気力ない、俺を責めようとせず、

 食欲不振でも、食べなさいと敢えて言わず、それでも、毎食用意してくれていた。

 俺が立ち直るのを信じて、何も言わず、ずっと支えてくれていた。

 彼女にとって、俺たちは息子のようなものだった。

 それを知りながら、自殺で息子を失うという苦痛を二度も味わわせるところだった。


 俺は、なんて親不孝な息子なんだ!


 初めて自分の罪の深さを知り、何度も何度も「ごめんなさい」と繰り返し、一緒に泣いた。


 だが、それでも俺は未だ、現場へ復帰する気にはなれなかった。

 それは、また自分の所為で、誰かを失うのが怖かったからだ。

 米子さんも、それを解ってたようで、急かすことなく、いつもと変わらず、美味しい食事を用意してくれた。

 死ぬことを許されないまま、ただ、懺悔ざんげの日々だけが過ぎて行った。


 一体、どれだけ時が過ぎたのだろう?


 そんなことさえ判らない生活を過ごしていたある日、義姉さんから連絡を受けた。

 俺は、その日の内に兄貴が入院する病院へと向かい、罵声を浴びせられること覚悟して、病室へ入ったのだが、そんな俺を兄貴は笑顔で迎えてくれた。


「お前、随分と痩せたじゃないか」


「あぁ……」


「俺ほどじゃないがな」


 そう言って兄貴は笑い、それに対して何も言えずに立っているだけの俺に「見ての通りだ」と付け加えた。

 義姉さんの話では、末期の膵臓癌すいぞうがんで余命いくばくも無いらしく、かなり痩せ細っていた。

 どう言えばいいのか、まごまごしていると、再び、兄貴の方から声を掛けてくれた。


「すまなかったな」


「え?」


「帯牙、お前は悪くない」


「いや、俺が、俺が巻き込まなければ……」


「それは違う。あの時の俺は、刀真を失ったショックで、お前に当たってしまったんだ。本当に済まないと思ってる」


「兄貴が、謝ることなんてないよ」


「刀真は、お前やゲームと出会えて幸せだったと思う」


「兄貴……」


「刀真に、ゲームの楽しさを教えてくれてありがとう、帯牙」


 俺は、立って居られないほどに泣き崩れた。

 嬉しいのか? 悲しいのか?

 自分でもよく解らない感情で、ただ泣くことしか出来なかった。

 そんな俺の肩に、兄貴はそっと手を置き、


「お前に、頼みたいことがある」


「頼み? なんでも言ってくれ! なんでもするよ!」


「もう一度、ゲームの楽しさを教えてくれないか?」


 思いがけない言葉に、理解が追いつかないでいると、兄貴は更に続ける。


真凰まおに、もう一度、ゲームの楽しさを教えてやって欲しい」


「いや、それは……」


 また、大切な人を失う恐怖から、俺はそれを拒絶したんだが、


「あの子は、あれからずっと笑えてないんだ」


「え……」


「俺では、あの子を笑顔にすることが……で、き、出来なかった……」


 急に苦しみだした兄貴に、酸素マスクを付けようとしたんだが、兄貴はそれを払いのけ、俺の胸倉を掴んだ。


「まだ話は、終わってない!」


「でも、あの子まで、なんかあったら、俺……」


「あの子の父親にそうしたように、あの子に、あの子にもう一度、ゲームを……」


「兄貴、もう喋るな!」


「頼む、帯牙。あの子をもう一度、笑顔に……」


「解った、解ったから! だから、それを生きて見届けてくれ! お願いだ!」


 だが、兄貴はそれを聞くと、苦悶くもんの表情から笑顔へと変わり、そのまま逝ってしまった。


「兄貴ーーーッ!!」



 兄貴へ別れを告げた後、義姉さんに兄貴と約束の許可を貰った。


「義姉さん、俺が兄貴に会いに来たことは内緒にしていてください。それと、申し訳ありませんが、兄貴との約束を果たすため、通夜も葬儀も欠席させてください」


「解りました。その代わり、必ず、あの人の願いを叶えてやってくださいね」


「はい」



 帰宅した俺を見て、米子さんは「顔つきが変わったわね」と言って微笑んでくれた。


「米子さん、お願いがあります」


「お願いじゃなくて、指示でしょ?」


「ハハッ、かなわないなぁ。その通りです。香川に学校を作ってください、桃李とは別で」


「新設?」


「新設校ですが、それでは間に合いませんので、在る物を再利用する形で。それと使徒たちにも内緒でお願いします」


「え? ラルフにも?」


「はい」


「そうなると、外注でやるしかないわね。少々、値が張るわよ」


「構いません、全財産、投げ打ってでも成功させます」


「そうなると、ジムには言わないとダメね」


「あぁ、そうか、金の流れでバレますね」


「いいわ、私がなんとかする。その代わり……」


「解ってますよ、世界征服でしょ?」

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