第135話「甘い誘惑」

「あれ? ちょっと、タイガーさん! 手も足も短くなってるよ!」


 微妙な差なんだけど、やっぱり気付いたか。


「手足だけじゃないよ、全体的に一回り小さくしてある」


 昨日と同じように、内線で通話しているものの、今日の帯牙は筐体に入っておらず、最終的な微調整をするつもりで、オペレーター席に座って飛鳥に指示を送ることにしていた。


「えぇ~、あいつ(刀真)のより小さくなるの~」


「いいかい、飛鳥ちゃん。必ずしもリーチの違いが、勝敗の決定的差とは言い切れないんだ。ルイスが良い例だし、それにこのゲームには、銃も在るからね」


「う~ん?」


「まぁ、とりあえずは闘ってみてよ。合わないようなら、また調整するからさ。じゃ、敵を出すよ」


 実のところ、帯牙は仕事そっちのけで徹夜までして、かなり細かいところまで調整を行っている。

 しかし、敢えて調整内容を詳しく説明しようとは思わなかった。

 それは『絶対数感』を持つ飛鳥なら、説明するよりも触った方が早いと考えたからだ。


 帯牙が繰り出すNPC(ノンプレイヤーキャラクター)機体を、両手に持ったソードで瞬時に破壊していく飛鳥。


 予想以上に、ペースが早いな。

 上手く、飛鳥ちゃんにハマったと考えて良いかな?


「飛鳥ちゃん、敵を5秒に一機から、3秒に一機へ、ペース上げるよ」


「凄い! タイガーさん、これ凄いよ!」


 機体が小さくなれば、空気抵抗も小さくなる。

 移動速度もそうなのだが、攻撃速度、つまり、手足を振る速度も上がっており、飛鳥は感覚で、攻撃速度が刀真を超えていることを実感する――しかし、ここぞとばかりに繰り出した八極拳で、飛鳥の右腕が弾け飛んだ。

 

「えーッ! 調整できてないじゃん!」 


「OK、一旦、終了しよう」


「全然、オッケーじゃなぁぁぁいーッ!」


 若干キレ気味で筐体から出てきた飛鳥だったのだが、その機嫌を直すモノがテーブルの上に。


「か、会議をするの?」


「そうだよ、飛鳥ちゃん」


 インベイド本社での会議は、全てが録画されており、使徒なら誰でも閲覧が可能になっている。

 昨夜、帯牙は調整を行いながら、ゴールデンウィーク中の会議に、愛しの雅の姿が映ってないか観ようとしたのだが、残っていたのはルイスの会議だけで、雅の姿はなかったものの、新たな発見をしたのである。


 何事においても、情報収集は大切だ。

 年に3本、恋愛シミュレーションをこなす、俺に死角は無い!


 もし、此処に刀真やラルフが居たら、間違いなくこう言うだろう「じゃ、なんで独身なんだよ」と。


「これは銀座に在る、パティシエ・ケンジ・カミヤの高級なケーキでね。予約しても1年待たないとイケナイ、美味しいケーキなんだよ」


「おぉー!」


 実は、このケーキ、帯牙は予約などしていないし、さらに購入もしておらず、前日に電話さえすれば、必ず手に入るのだが、店のオーナーという訳でもなかった。

 その秘密とは、神谷健二は元々インベイドの社員で、ラルフのプレジデントメーカー出身なのである。

 日本に帰国して出店を決意した際、地方で出そうと考えた神谷を止め、帯牙が残り全額を負担して、銀座に出させたのだ。


「神谷、お前のケーキは旨すぎる。地方でくすぶらせるのは勿体無い。足らない分は、俺が出してやるし、返さなくてもいいから、その代わり、俺が喰いたい時に喰わせろ」


 前日という約束ではあるものの、律儀な神谷は当日電話があっても良いように、毎日余分に作っている。

 もちろん、電話が掛かって来ない日もある訳で、そんな日はアルバイトの子たちにあげることにしていた。

 その事から、スタッフの間で帯牙からの連絡は『不幸の電話』と呼ばれている。


「電話……掛かってきたんですね……」


 神谷にしてみれば、アルバイトの分も余分に作ってあげたい気持ちもあるのだが、そういう訳にもいかない事情があった。


「昔みたいに、バニラがもっと安ければなぁ」


 2005年、1キロ3000円程度だった天然バニラビーンズ。

 2015年、中国での需要が増えた事で高騰を始め、2万円台に突入する。

 2020年、その値段なんと8万円を突破し、この頃のバニラは『銀よりも価値がある』と言われるようになり、天然バニラを使ったケーキを諦める店や企業も増えた。

 国内でバニラビーンズの生産を行う企業も現れ、市場も落ち着きを見せ始めたのだが、2024年、台風などの被害で市場価値が跳ね上がり、現在、1キロ15万円にまで高騰してしまっていたのだ。

 そんな訳で、この年の神谷のケーキは、3号(直径9cm)でも5000円してしまう高級品となり、そして、この日を境にアルバイトが無料でケーキを口にすることは無くなるのだった。



「美味しいぃぃぃ~!」


「だろ? もし、お姉さんと結婚できたら、毎日食べられるよ」


「お、お兄ちゃん……」


 もし、此処に雅が居たら、間違いなくこう言うだろう「アンタ、ケーキでアタシを売ったの!」と。



 帯牙もケーキを頬張りながら、調整の本題に入る。


「飛鳥ちゃん、機体の動きはどうだった?」


「ふごきぃは……」


「あ、食べ終わってからでいいよ」


 飛鳥は、ゆっくりと味わいながら紅茶でケーキを流すと、調整の感想を述べる。


「動きは良いんだけどさー、やっぱり、蹴ったり殴ったりはダメなの?」


「それなら、心配は要らないよ」


「蹴ったり、殴ったりできるように調整し直すの?」


「動きに問題が無いのなら、機体の調整はこれで終わりだよ。機体の調整はね」


 そう言って、帯牙は悪戯好きな少年のように笑うのだった。

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