第56話「幸福論」

 30ドル――それが、私についた値段だった。

 私の生まれた村では、労働力にならない女の子は売られてしまう、そんな文化が未だ残っていた。


「おい、この娘は若過ぎるだろ?」


 顔に傷のあるブローカーの男が、私の頭を指で突いて、買い取らないという仕草を見せた。


 良かった、これで家に戻れる。


 そう思ったのも束の間、背中を押され、再び、前へと出された。


「この娘は、きっと美人になる! 買って損はないよ、あぁ解った、解ったよ、じゃ30ドルでどうだ?」


 背を押し、値を下げたのは、実の父親だった。


 人身売買の価格は、13歳が70ドル、12歳が60ドル、11歳から9歳までが50ドルとなっており、金額の差は、性奴隷として売れそうな体型か容姿によって変わる、下衆げすな相場だった。


「お前、幾つだ?」


「6つ」


「3年も、タダ飯喰わせなきゃいけねーのかよ」


 初潮を迎えなければ、売り物にならないからだそうで、それまではブローカーの家で働くことになった。

 ミスをすると殴られ、気に入らないことがあっただけで蹴られもした。


「おい! 顔殴るな! 売りモンになんねーだろ!」


 商売を第一に考える他のブローカーから、注意はされるものの、暴力が止むことは無かった。


 人は、何の為に生まれるんだろう?

 神さまって、居るのだろうか?


 逃げることも考えた、でも、家に帰っても、また売られるだけで、どこに逃げれば良いのか判らない。

 暑さも寒さも凌げない薄汚い小屋で、星空を眺めるだけが楽しみだった。



「やっぱ、メシ与えるだけ無駄だな。臓器ブローカーに売っちまうか?」


「売れるか? 臓器バンクにしても、幼すぎるんじゃないか?」


「聞くだけ、聞いといてやるよ」


「よろしく頼むわー」



 ブローカーの家で半年働いた後、ついに私の転売先が決まったようだった。


 今度は、どこに行くんだろう?

 星空が綺麗だといいな。


「サッサと歩け!」と突き飛ばされた、その時だった。


 私たちの周りを、拳銃を持った集団が取り囲む。


「全員、その場に伏せろ!」


 だが、その言葉に従ったのは、私一人だけだった。

 あちらこちらで、走る音、怒声、銃声、悲鳴、色々な音が混ざり、その恐怖に耐え切れなかった私は、手で耳を塞ぎ、目を閉じた。

 すると一人の男が、地面に伏せる私へと近づき「安心しろ、助けに来た」と囁いて、私を抱え走り出す。

 どのくらい走っていたのだろうか?

 気が付けば、巨大な船に乗せられていた。


「良かったな、これで家に帰れるぞ。君の名前は?」


 帰ったら、また売られる……。


「私の名前は有りません。帰る家も有りません」


 そう言って、泣いた。


「名前が無いのか? という事は……赤子でさらわれたか? となると、施設に預けるしかないな……」


 陸に着くまで、男は色々な話をしてくれたり、色々な遊びも教えてくれた。

 私は、こんな楽しいことが、この世界があるなんて知らなかった。

 永遠にこの船の中で、この男と一緒に暮らせたら、どんなに楽しいだろう。

 だが、それも長くは続かなかった。

 船が陸に着くと、別の大人が現れ、私の手を取ると、私に楽しさを教えてくれた男は、私に別れを告げる。


「幸せに暮らせよ、じゃあな」


 大粒の涙を流し、私は必死に懇願した。


「私を捨てないで、ヨハン」


 色々な大人たちが、私を説き伏せようとしたが、何度も何度も、泣いて懇願した。

 だって、生まれてから今まで、優しくしてくれたのは、ヨハンだけだった。


「解ったよ、もう泣くな」


 そう言って、私を抱き上げ、私に名前をくれた。


「お前は今日から、フレデリカだ」



 私は、ヨハンの家で一所懸命働いた、そう、捨てられたくなかったからだ。

 ミスをする度に「捨てないでと泣く」私に、ヨハンは頭を撫でて「俺がお前を捨てることはない、だから、捨てないでって泣くのは止めるんだ。こういう時はな、ゴメンナサイって言うんだぞ」


「ゴメンナサイ」


「そう、それでいい」



 ヨハンは、そんな私に服を与えてくれた、美味しい食事を与えてくれた、そして、学校にも行かせてくれた。

 度々、仕事でヨハンは長く出掛けることもあり、寂しさで泣くこともあった。

 家に綺麗な女の人を連れてきた時、胸が苦しくなったが、ヨハンと一緒に居られるだけで幸せなんだと言い聞かせ、次の日から、ヨハンと呼ぶのを止める事にした。


「行ってらっしゃいませ、ご主人様」


「ん? なんだ突然? 可笑しなヤツだな」


 この時のヨハンは、フレデリカが言葉遊びをしているのだと思っていた。 



 それから、18年が過ぎた或る日。


「お前、ドライバーとしての素質がありそうだな。歳も歳だし、そろそろうちを出て……」


 ヨハンは、言葉に詰まった。

 フレデリカが大粒の涙を流して、首を振っていたからだ。


「お願いです、私をずっと貴方の傍に置いてください。何も要りません、何でもします。だから、お願い貴方の傍に……私を捨てないで、ヨハン」

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