第41話「お誕生日会」

 東儀和正とうぎかずまさ52歳、今、人生の絶頂を感じていた。


 世間一般的によくある『娘から嫌われる父親』は、回避できていると自負していたものの、そんなに頻繁に会話が有るという訳でもないし、微妙に避けられてる感じがする時も多々あるのだが、それでも、矢張り結果的には『嫌われてはいないだろう』と思っていた。


 4月18日、誕生日であるものの、普段と変わらない朝を迎え、いつものように、トーストとサラダをコーヒーで流し込み。

 テレビに映る、良くも悪くも無い星占いの結果を見て、家を出るのだ。

 恐らく、帰宅すれば、母さんがケーキでも買って来てくれていて、晩飯の後、既に4分の1になったケーキを頬張る。

 ケーキ以外は、至って普通な日常生活が、また始まろうとしていた。


 ところが、いざ出勤時間になって、家を出ようと靴を履こうとしたら、慌ただしく娘たちが2階の部屋から降りてきて「今日は、何時に帰って来るの?」と聞くではないか。


「残業が無ければ、6時半かな?」


「今日は、アタシたちが誕生日を祝うから、早く帰って来てね」


「解った、今日は早く帰ってくるよ」


 なんと心地良い、幸せな言葉なんだろうか。

 今まで生きてきて、こんな幸せなことが在っただろうか?

 そうだ、今日はタクシーで帰ろう。

 目一杯、飛ばしてもらおう。 


 職場に着いてからも、その事で頭が一杯で、仕事が手に付かない。

 何かと部下に近寄っては「今日、誕生日を娘に祝ってもらうんだ」と、自慢して廻った。


「部長、それ2回目です」


「あれ? そうだった?」


 昼ご飯を過ぎてからは、何度も何度も、腕時計を眺めていたようで「そんなに早くは、過ぎませんよ」と、女子社員に笑われもした。


 こんなに時間が過ぎるのを待ち遠しく感じたのは、小学校の夏休み前くらいか?


 午後5時20分、終業10分前。


「部長、ちょっとここが……、じょ、冗談ですよ、嫌だなぁ~、アハハハハハ~」


 後から聞いた話では、鬼の形相だったらしい。

 終業の音楽が鳴ると同時にタイムカードを押し、いつも以上に大きな挨拶で部署を出た。


「お疲れさまでした!」


 誰よりも早く、会社を出て、タクシーへ飛び乗った。

 ようやく、落ち着いたところで、ふと思った。


 あれ? 今日、仕事……何したっけ?


「あれ? お客さん、暑いですか? 窓開けましょうか?」


「お、お願いします」


 変な汗を掻きながら、それでも、ウキウキは止まらなかった。

 帰宅したのは、午後5時42分。

 続いて娘たちも帰宅し、長女の雅に嬉しいお願いをされる。


「お誕生日なのにゴメンネ、予約したの横浜になるから、車出して貰っていい?」


「もちろん!」


 予約したのは、娘たちが春休み中に合宿していた横浜のインベイド施設。

 なんと、祝う言葉だけでなく、ご馳走してくれるらしいのだ。

 ゲームのプロに反対しなくって良かったと、心から思う和正だった。


 横浜に向かう途中、娘二人のスマートフォンが同時に鳴る。

 すると、妹の飛鳥が何やら電話を掛け出した。


「ちょっとアンタ!」


「いいから、お姉ちゃん、任せて! あ、出た! ラルさん、お願いだから2時間後、否、3時間後にしてよ!」


 ん? なんだ? なんの電話だ?


「もう、そんなのどうだっていいでしょ!」


 な、何が、どうだっていいんだ?


「アタシとラルさんの仲じゃない!」


 おいおい、どんな仲なんだ?


「アタシとラルさんは、友達でしょーが!」


 あぁ、友達ね。


「ラルフの馬鹿!」


 え? 馬鹿?


「ダメなんだって!」


 余りにも気になったので、和正は聞くことにした。


「どうしたんだ?」


「あ、ごめんなさい、父さんは気にしないで」


 否、気になるだろう。


「お父さん、誕生日会、ずらしても……」


「コラ! 飛鳥!」


「ちょっと、どういう事、雅、説明しなさい」


 助手席に座った母の顔は見えないものの、少し低い声で明らかに怒っている、仕方なく雅は説明することにした。


「なんだ、そういうことか。父さんなら、構わないよ、戻ろうか?」


「え? いいの!」と飛鳥が言った瞬間、母は激怒する。


「ダメです! お父さんの誕生日より、ゲームを取るような育て方をした覚えはありません! お父さんが良くても、お母さんが許しません!」


 な、なんだか、俺まで叱られてる気分に……。


 普段、優しい天然な母が、これほど激怒した事は無かった。

 雅は、素早く察して、飛鳥をさとす。


「お母さんの言う通りよ。こんなイベントなんて、またあるわよ。でも、お父さんの誕生日は、今日しかないの!」


 み、雅ちゃん? ら、来年は無いんですか?


「解ったわよ……」


 仕方なく従うような中途半端な返事が、さらに母の激昂げっこうを誘う。


「飛鳥ーッ!」


 これ以上は危険と察した飛鳥も、素直に従う。


「解りました」


 雅は、必死で気を遣い、店に着くまで喋り続け、飛鳥も和正も必死で相槌で返した。

 その余りの緊張感に、この時、交わした会話を誰一人として、記憶に残すことが出来なかった。


 インベイドの施設に入って、雅は失敗したと思った。

 それは、そこら中に母の怒りを招いたイベントが、モニタに映っており、予約した店内も例外ではなかった。

 矢張り、飛鳥は気になるようで、チラチラと見てしまう。

 それを母に気付かせない為に、雅は再び、車内以上に話して話して話しまくる。

 だが、気付かない方が無理な話で、誕生日に集中しない妹を見つめながら、母はテーブルを叩いた。

 その音で、飛鳥も、雅も、和正までも、ビクッとして背筋を伸ばし、姿勢を正す。


「雅、ここは貴方が合宿してた場所よね?」


「はい」


「ここでは、もう出来ないの?」


「いいえ、筐体が空いていれば、プレイすることが出来ます」


「そう……飛鳥」


「はい」


「貴女、そわそわしてるけど、トイレなの?」


「いいえ」


「我慢しなくていいのよ。料理が来るには、時間が掛かるんだから、なにもトイレまで我慢しなさいとは言わないわよ」


「だ、大丈夫です」


「例えば、大きい方なら、10分、15分は掛かるんじゃない? 雅は、どうなの?」


 雅は、母の考えに気付いた。


「ありがとう、お母さん。飛鳥、行ってきなさい。行くからには、解ってるわね?」


 そう言われて、初めて母の考えに気付く。


「解りました、お父さん、お母さん、飛鳥、行って参ります。必ず、必ず勝って、お父さんに車の改造費をプレゼントさせて頂きます!」


 飛鳥は敬礼した後に、走り去った。


「いやーねー、トイレ行くのに勝つだの負けるだの、何を言ってるんだか、雅は良いの?」


「アタシは、大丈夫。それよりも、どうせなら、改造費より、駐車場代の方が、良いんじゃない?」


「いや、改造費の方が嬉しいかな」


 その父の言葉で、ようやく母の笑顔が戻るのだった。

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