第26話 アイスティー
ニワトコさんと私は何度も打ち合わせをした。
ノートに色々書いて、それから地図を何枚かプリントアウトした。途中に休憩できそうなところをいくつかピックアップした。
一生懸命作った計画書を何度も練って、リハーサルもした。
「……うまく行かなかったらどうしよう……」
「今より状態が悪くなる可能性ってあると思う?」
ニワトコさんは私の顔をじっと見た。
「たとえばお父さんもものすごく怒って、家を出ていけっとか言い出す人だと思うんだったら、他の方法を考えたほうがいい」
「……それはない、と思う」
私はすぐに答えた。
母さんは心配性で暴走する。
父さんは仕事が忙しくて、あまり私と話をしていない。
でも、二人とも私を大事だと思っていてくれる。
それだけは――本当にそれだけは、私は疑わなくていい。
明日、私は父さんを召喚する。
家を出る父さんの手に小さなメモを手渡した。
「電車の中で一人のときに見て」
そう言うと、びっくりしたように私の方を見た。
母さんがでかけて、タケシもでかけたあと、私は歩きやすい格好に着替える。とてもおしゃれって言うわけじゃないけれど、スポーティな白のホットパンツと、コットンの通気性のいいTシャツ。それにカーディガン。
リュックを詰めてニワトコさんの家で待機する。
もしも無視されても大丈夫。気にしないよ。後でもう一度、試せばいいんだからね。
そう何回もニワトコさんと二人で話したのに、一人で家で待つのはつらすぎた。ソワソワソワソワ。ニワトコさんと一緒に、キワコさんの台所に行ってもソワソワソワソワ。
——11時半にSホテル1階の喫茶店で。30分出られる——
私の携帯にメールが来たのは朝9時だった。
「メール、来た!」
私はニワトコさんを見あげる。
Sホテルは父さんの職場のそばだ。地下鉄で片道200円。30分ぐらい。
行きは電車で行けるけれど、帰りの運賃はない。
歩いて帰ってくるとしたら2時間30分。経路も休憩場所も地図にチェックしてある。
リュックに半分凍らせた麦茶と、小さなおむすびを入れる。
「あら。ユキノちゃん、お出かけなの?」
食卓でニワトコさんと地図の最終確認をしているとキワコさんがやってきた。
「今の時期外をたくさん歩くんだったらこれを持っていくといいわ」
キワコさんは塩飴を私にくれた。
ユキノ は しおあめ を てにいれた!
頭の中でファンファーレが鳴ったよ。
「何を考えてるのかわからないけど、何か大切なことをするところなのね。うまくいきますように」
キワコさんが、手を握ってくれる。
ユキノ は しゅくふく された!
「いってらっしゃい。大丈夫。きっとうまくいくよ。それから」
ニワトコさんは、本当に小さなポーチを手渡してくれた。
「本当に困ったことがあったらこれを開けて。リュックに入れとくといいよ」
切符を買って地下鉄に乗っている間、ずっと私の胸はガタンゴトン言ってた。
キンキンに冷えた昼間の地下鉄と、モワッと暑い外との温度差にちょっとくらくらする。
指定されたホテルはとても高級そうで、喫茶店の外には紅茶1杯900円(税別)って書いてあった。
私はひよこ柄のタオルハンカチで顔の汗を拭って深呼吸する。
周りにいるのはビジネススーツを着た人や、綺麗な服を着た人ばかりで、運動靴とリュックの私はとても場違いな感じ。視線を感じるのは気のせいかな。気のせいだといいな……。
腕時計は、11時20分。
なんとなく、いたたまれない。
私はトイレに行くことにした。
暑過ぎも寒すぎもしない、適温の空調。
キラキラ光る鏡と、品の良い照明。
トイレに入ると、少し、ほっとした。ロビーではあんまりにも場違いな気がして、ずいぶん緊張していたみたい。
おじさんぽいなって思ったけど、誰もいないしって、思い切って汗ばんだ顔を洗って、ひよこタオルで拭いていたら綺麗なお姉さんが二人、笑いながら入ってきた。
私は慌てて個室に入る。
個室に入ると、おもむろに流れる『乙女の祈り』。
私が触れてもいないのに、ゆっくり開くトイレの蓋。
……なんでこのタイミングで全自動トイレなの?
私はとてつもなく、トホホな気持ちになってしまって、「ぱかっ」って開いたトイレの蓋を睨みつけてしまった。
よりによってこのタイミングで全自動トイレなんてあんまりだ。
よりによって『乙女の祈り』なんてひどすぎる!
祈られた!
トイレに祈られた!
……私は、そっとトイレの蓋を閉めた。
――ちょっとは私の気持ちも尊重してよ。
トホホな気持ちのまま個室を出ると背後でじゃーっと水が流れる音がした。全自動トイレめ。
しかし。
今日の私は、いつもとは違う。ニワトコさんにも、キワコさんにも祝福されたのだもの。
私は全自動トイレに負けなかったのだよ!
幸先が良いよ!
おー!
ホテルに入って来た父さんは知らない人みたいに見えた。
「なんだ、喫茶店に入っていればよかったのに」
と、ロビーに立っている私を見てちょっと驚いたように言った。
「……お金が足りないなって思ったの……」
「おお。そうか。そんなこと気にしなくて良かったのに」
父さんは慣れた調子で喫茶店に入り、二人席に腰掛ける。
「何でも好きなものを頼みな」
渡されたメニューの「魅惑の南国マンゴープリンパフェ」に、私の目はすぐに釘付けになったけれど、首を振る。
ダメダメ。
こんなものを頼んでしまったら、今日のミッションはそっちのけになってしまう。
「アイスレモンティーをお願いします」
ウェイトレスさんに注文するのに、なんだかめちゃくちゃ緊張してしまった。考えてみれば、あんまりこういうところで注文したことない。
父さんはブレンドコーヒーを頼んでいた。
「……それで、どうしたの。いきなり」
「どうしても父さんに話したいことがあったの」
「家では話せないことだったの」
尋ねられて私は頷く。
「だから……ありがとう。時間をとってくれて」
私が急いでいうと、父さんは驚いたような顔になって、いや、だって、お前は父さんの子供じゃないか、と言った。
当たり前じゃないか。親が子供のために時間を取るのなんて。
「それでね。三十分時間ちょうだいってお願いしたからね、もう一つお願いがあるの」
私は大きく息をする。
「最初の十分間は私が話したいことを、何も言わないで聞いてくれる?」
「何も言わないで?」
「あの……えっと……」
大丈夫。ちゃんと言える。ここは、ニワトコさんと20回ぐらい練習した。
「お仕事のプレゼンを聞くときみたいに、聞いて。
「プレゼン……資料……」
あっけにとられたような顔で父さんが私を見る。
私は息もつけずにじっと父さんの顔を見る。
「ははは」
突然父さんが笑った。
なんだかとても安心したような顔だった。
「わかった。ちゃんと話を聞くよ。始めてごらん」
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