第9話 アールグレイういろう 2

「え、ネズミじゃなかったの?!」

 帰ってきたニワトコさんが買ってきたものを見て私は大声を上げた。

「え——ネズミ、だよね?」

 ニワトコさんは助けを求めるようにキワコさんを眺める。

「私にはなんて呼ぶのかわからないけど——」

 キワコさんはゆっくりと言う。

「これは、普通日本語でネズミとはいわないわよねえ、ユキノちゃん」

「言いませんよ!」

 私は思わず大声になってしまう。

「これはネズミじゃなくて、マウス、です。コンピュータのマウス!」

「……まじか」

 ニワトコさんは半分笑ったようなちょっと情けない顔でぺとん、と台所の椅子に座り込んだ。

「なんでマウスはカタカナなんだ!」

 言われてみればそうだった。

 でも、ミッキーマウスをミッキーネズミとは言わないし、クリスマスツリーをクリスマス木とは言わないんだから、ものによっては日本語訳はしないんだよ、ニワトコさん。

「日本語、マジわけわかんねーな」

 ぼやくニワトコさんにくすくす笑いながらキワコさんはお茶を入れる。ネズミじゃなくてホッとしたんだろーな。

「それで、小学校はどうだった?」

「『ガイジンがいい!』って言われた……」

「あらら」

 私とキワコさんの声がかさなった。

 確かに。小学生にとっては、ニワトコさんは純粋な日本人に見えるんだろう。

「ガイジンなんだけどなあ……」

 しかも英語ネイティブなんだけどな。もう一人のボランティアなんて、そりゃ、金髪だけど、ドイツ人だよ? なんであっちがちやほやされるんだよ。

 情けなさそうに苦笑するとニワトコさんは、どことなくオットセイっぽく見える。目がまん丸のところとか。なんか無防備なところとか。お魚あげたい。

 ていうか、ちやほやされたかったのか! 小学生に!

 そんなニワトコさんが愚痴を言うところを見ていたら、なぜかわからないけれど、心の隅っこが、ほんの少しだけチクチク痛くなってきたので、私は言った。

「あの、ういろうの作り方って……教えてもらえますか?」

「ういろう? 簡単だよー」

 ニワトコさんは、くるっと表情を変えて立ち上がった。

「10分もあればできるよ」



 南部鉄瓶にお湯がシュンシュンと沸く。

 刺し子のふきんで鉄瓶をつかむと、ニワトコさんは注意深くお湯をティーポットに注ぐ。

「まず、とても美味しい濃い紅茶を入れる。コップ半分ぐらい。ここはできるだけ濃く入れてね。ういろうの味って、水分と砂糖の味だから、ここでどういう香りかで出来上がりが変わるから」

 私は頷いて、メモ帳に書き留める。

「そしたら温めたミルクを入れる。僕は今日はコンデンスミルクを使ったけど、普通のミルクでもいいし、シナモンを入れても美味しい」

 そうか。シナモンも美味しそう。

「うちの親父はよく抹茶で作ってたんだけどね——抹茶イギリスで買うと高いから。僕は紅茶に変えたんだよね」

 ……なるほど。そういうなりゆきでしたか。抹茶ういろうはよくあるけど、紅茶ういろうはちょっと面白いと思います。ニワトコさん。

「あと、あれだよね、親父は甘く煮たあずき豆を入れてたりしたけど俺はレーズン入れたりする」

 ますます日本のういろうの原型から遠ざかってます。ニワトコさん。おたくのういろうは絶賛迷走中です。このういろう、アイデンティティ・クライシス一歩手前です!

「それに小麦粉と砂糖を同じ量。液体がこのくらいだったら50グラムずつくらいでいいかな」

 ニワトコさんは手ぎわよく小麦粉と砂糖を測る。

「あ、ちょっと、ちょっと待ってください!」

 私は材料を混ぜようとするニワトコさんを押しとどめて計量カップを差し出す。

「あの、ちょっと紅茶の量だけ量ってもらえますか?」

「おー。用意がいいね」

 コポコポ。熱いミルクティーが計量カップに注がれると、ふわりとアールグレイの特徴的な匂いが台所に立ち上った。

「155……150から160ccぐらいでしょうかね」

「うん。そのくらい。俺はいつも目分量でやっちゃってるけど」

 頷きながらニワトコさんは紅茶をボウルに流し入れる。泡立て器で丁寧に小麦粉と砂糖を混ぜると、小麦粉入り紅茶を小さな四角いガラス容器に流し込んだ。

「で、これにふわっとラップをかけて電子レンジで5分から10分」

「……それだけ?」

 私は目をパチパチさせた。

「それだけ。ただ、5分かけたら様子を見てみて。あとは1分ぐらいずつ様子を見ながらかけていくといいと思う。このレンジだと6分ぐらいでよかったかな」

 かけすぎると硬くなっちゃうからね、とニワトコさんは真剣な顔で付け加える。

「……簡単なんですね」

「家庭のお菓子だよね」

 ニワトコさんは、ふんわり笑った。

「手が込んでるわけじゃないけど、美味しい。ちょっと様子を見てあげることだけがコツ」

 まあ、でも、料理はどれも、様子を見てあげるのがコツって言えばコツだよねー。

 ニワトコさんは言う。

「ユキノちゃん、料理好きなの?」

「……あまりやったことない、かも」

 母さんの手伝いで台所に立ったことはある。でも、母さんがいない時に台所に立つのはやめてね、と言われている。事故があったりしたら困るから。

「料理はいいよ。できると色々いいよ」

 ニワトコさんは真面目な顔になった。

「そう……ですか?」

 あまりぴんと来ない。

「うん。作り始めるときっとわかるよ」

 ニワトコさんは、のんびりとした口調で言う。

「あ、そうそう。さ来週初めてのコヴンを開くんだけど……遊びに来る?」

「古文?」

「コヴン——魔女の集会」

「集会って……」

 私は絶句する。

「東京にそんなに魔女がいるんですか?」

 ていうか、ニワトコさん、本当に魔女だったんだ。

 いや、本人もそう言ってたけど。

「何言ってるの」

 キワコさんがくすくす笑った。

「目の前に二人いるじゃない。まあ、正確にはコヴンには十三人必要なんだけど——ミニ・コヴンだわね」

「え」

 私は目をパチパチさせる。

「キワコさんも魔女なの?」

「あら、言わなかったかしら?」

 キワコさんは首をかしげる。「ずいぶん前から魔女なんだけどねえ」

「だって、魔女始めましたって——書いてあったから」

「あれは、ニワトコが仲間を探してたから」

 キワコさんはくすくす笑う。

「私は野良ソロ魔女だから一人でずっと魔女だったわね」

「本当に魔女っぽいところはユキノちゃんをいれることはできないけど——ご馳走作るし、それだけでも食べに来たらいいよ」

 ニワトコさんが電子レンジの中からういろうを取り出す。

「ん。いい出来上がりだね。——いつもみたいに料理を手伝ってくれると僕も助かるし」

  



 イギリスには実はそれなりの人数魔女がいるんだって。

 目を丸くしてホヨホヨしていている私に、ニワトコさんは笑いながら教えてくれた。

「基本宗教扱いだね。たとえば刑務所で、受刑者が人生について悩んでいると、キリスト教の牧師さんとかと面会ができるじゃん?」

「……できるの?」

 知らないよ! 刑務所入ったことないし。

 ニワトコさんの説明はどこかぶっ飛んでいると思う。

「え、刑務所とか病院とか、人間が人生に悩みそうなところには大手の宗教の指導者が定期的に来たりスタンバッてたりするものだよ……ね?」

 ニワトコさんは、なぜか不安そうにキワコさんを見る。

「……んー。日本ではあまりないかも」

 キワコさんは苦笑する。

「大学にもいないの?」

「ミッション系でもないかぎり」

「……そうか。そこからか」

 ニワトコさんはがくっと肩を落とした。というか、大学も人が人生に悩みそうな場所扱いなんだね。高校もそうだと思うけど。

「えーっとね、まあ、とりあえず、あれだよ。刑務所で宗教家との面会を希望するとき、魔女やドルイドを選ぶことができる」

「……できるの?!」

 ていうか、いるの。ドルイド……て、なんだっけ? なんか読んだことあるな。そうだ、超能力者だ。

「現在イギリスに住んでいるドルイドの総人口は3万人ぐらい。それとは別にケルト系ドルイドが500人ぐらいいたんじゃないかな」

「……すごい。超能力者がそんなにいっぱい」

 うちの弟はアホの子ではなかった。

「超能力者じゃないよ! 空飛んだり目からビームを出したりはしません」

 ニワトコさんは苦笑した。

 ……ちがうの。がっかりだ。

「ドルイドっていうのは、キリスト教が来る前の、イギリスのもともとオリジナルの信仰を持っている人たちのうち、指導者的な人たち。で、ものの考え方としてはゆるーく繋がってるけど、別口で魔女もいる。うちは母親が魔女だったから、俺はなんというか——ついでに魔女になったというか」

「あの子は頑固で絶対に自分のこと、ウィッカって呼ばなかったわね……」

 キワコさんはちょっと遠い目をした。

「現代の魔女たちはね、ウィッチっていうよりも、ウィッカって自分のことを呼ぶことの方が多いの。男女関係なく使われるし」

「でも、あの人にはあの人なりのなんかよくわかんないこだわりがあったんだよね」

 ニワトコさんは肩をすくめる。

「もうね、なんでウィッカじゃなくてウィッチにこだわったのかとか、聞けないけど」

 ぽそっと言う横顔は、なんだか寂しそうだった。私は、ふと、ニワトコさんにご両親のことを聞きたいなと思い——でも、その横顔を見て口をつぐんだ。

 なんとなく、聞いてはいけないことのような気がしたからだ。




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