第一章
凡人以下の本読み悪党
チクショウ。のっけから散々だ。
僕は腕から血を流し、草原をさ迷っていた。
異世界に着いたとたん、犬のような魔物が俺の腕に噛みついた。
俺はあの怪物の目を潰し、噛まれた腕の肉を振りちぎってそいつの顎から逃れた。
しかし、被害はなお甚大だ。
僕は女神からもらった本を開いて、応急処置の方法を見る。
表紙には、『サルでもわかる応急処置教本』との文字が現れる。
この本の内容を参考に、服をちぎって止血した。
腕の上の方をきつく縛ることで、血の流れを止める。
けれど本で読んだにわか知識。まだ少しづつ血も流れている。
頭がくらくらする。血の流しすぎかもしれない。
僕は、耐えきれずに草原に倒れ込む。
痛い、痛い。
こんなところで終わってしまうのか。なんて弱いんだ、自分は。
けれど確かに、僕の心は変質しているらしい。
あの犬コロの目を潰すのに、何の抵抗も感じなかった。
そう、人には良心がある。
いくら悪いことをしようと思っても、他者に共感する心がブレーキをかける。
僕が女神に頼んだのは、その制限を外すことだ。
そのおかげで難を逃れたけど、結局のところ死にかけているんだから世話ない。
チクショウ、やっぱり散々だ。今日は散々な日なんだ。
そんなことを考えていると、また僕の意識は遠のいていって。
どのぐらいの時間がたっただろう。俺は目を覚ます。
暖かい、どこかベットの上だ。
「気が付きましたか? あなた、草原で倒れていたんです。
まだ時間がたっていたから、魔法で蘇生することができましたけれど」
女性が一人、僕に話しかける。
小さな木製の家の中に僕はいる。その窓からは、森の光景が覗く。
それにしても蘇生魔法、そんなものがこの世界にはあるのか。
「待っててくださいね。今何か食べる物を作りますから」
彼女は、台所と思われるところに向かう。
俺のために、食事を用意してくれるらしい。
いい娘だ。
気立ての良さに、知性を感じる顔立ち。
台所に立つ姿には、美しさすら感じる。
ふと、単純な疑問がわき上がる。
僕はこの女性に、意味もなく暴力をふるうことが出来るんだろうか?
できた。
俺の拳は無防備な彼女の後頭部をたやすく打撲する。
そのまま僕は胸ぐらを掴み、彼女を床にたたきつける。
娘はろくな抵抗もせず。黙ってそれを受け入れる。
僕は馬乗りになり、彼女の腹部に拳を叩きつける。生暖かい感触。
彼女の眼光が、俺の目を見つめる。
強い意志を感じる眼だ。意味もなく頬を殴りつける。
さて、そろそろ潮時だ。
僕は彼女の上から飛びのき、平謝りに謝る。
「ああ、ごめんなさい、そんなつもりじゃ!」
床に頭をこすりつけ、みっともなく謝る。
涙すら流れてしまう。白々しいものだ。
「こんなことをする気ではなかったのに、体が勝手に動いたんです」
彼女は、叫ぶでも逃げるでもなく、僕を見つめる。
何か、得体のしれない獣を見る目。
それはそうだろう。物を奪ったりするならともかく、
ただ殴るために殴るなんて理解を越えた行動だ。
「体が勝手に動いたんです。草原を歩いていたら、何か黒いものが見えた。それからは、自分が自分じゃないみたいで」
その後は、ちょっとした押し問答。
先ほどの行動は悪魔に取りつかれたせいだと、僕はただただ主張する。
この家の文明の発達度合では、悪魔やそれに類するものへの迷信は確実にあるだろう。得体のしれない恐怖は、怪物を作り出す。
「もしかして、それは黒い翼をもっていたのですか?」
「動きが早くてわかりませんでしたが、そうかもしれません。
本当に申し訳ない。魔にかどわかされてたとはいえ、こんなことをしてしまったのは私の心が弱いからです。」
10分ほどそうしていただろうか。
全てを悪魔のせいにして、僕は奇跡的にこの家に置いてもらえることになった。
明日教会に足を運ばなければならないが、まあ些細なことだろう。
僕はベッドに寝ころび、先ほど僕が暴力をふるった娘の姿を眺める。
俺の話を信じたのか、離れたところから心配そうな目で僕を見ている。
彼女の名は、レイラと言うらしい。
レイラの腕には、床にぶつかった時の青あざが残っている。
僕が唐突に、彼女の体を投げ飛ばしたから。
気をつけよう。良心の枷がなければ、どんな行動も即座に行ってしまえる。
それは、どうしようもなくアホな行動も、考える前にすぐ実行してしまえるということだ。
と言うか、本当に頭の方は良くなっているんだろうか?
もしも叫ばれて人でも呼ばれたら、確実に死んでいたぞ俺は。
たぶん、欲望が先行して理性が引っ込んでしまっていたんだろう。自制心がないってのはそういうことだ。
そもそも宿のない状態で、僕が生きていける気がしない。
あまりにも迂闊だった。気をつけよう。
けれど。少し嬉しかった。
その感情はきっと、転移前の記憶ってやつなんだろう。
せいぜい喜べ。お前の望むようなゴミクズに、俺はなれたんだ。
でももう、そんなことは関係ない。
俺は俺なんだ。好きなことをして、好きなように生きるんだ。
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