・1-3 小さいしらこちゃん

・五月二十二日 火曜日 八時十三分


――どんっ


年下らしき男子:「あ、すいませーん」


年下らしき男子生徒二人はニヤニヤしながら通り過ぎてゆく。


ヒロヤ:「ってーなおい。ったく、ちゃんと目を見て謝りやがれってんだ」


 俺にぶつかっていった下級生たちはこちらをチラチラと覗き見ては「なあどうだった?」「やっぱきれいな人だよなぁ」と鼻の下を伸ばしていた。

 もちろん彼らは俺を見てそんな情けない面をしているわけじゃあない。

 すべては俺の隣にいるこの人へ向けてのものだ。


ひな姉:「ねえ、ヒロ君聞いてる?」


ヒロヤ:「あーもうっ! 聞いてるよっ」


 そう、原因はこの人だ。ひな姉なのだ。

 また昨日も言ったとおりだ。ひな姉は綺麗なんだ。とびっきりに、幼馴染の贔屓目なしに見てらもっと美人に映るのかもしれない。


ひな姉:「もう。何怒ってるのよ。さっきの子にどこか変なところでもぶつけられた?」


ヒロヤ:「別に……んで、生徒会長様がなんだって?」


ひな姉:「そうそう。それで『さとみ』がねー――」


 他愛もないひな姉の話に適当に相槌を打つ。

 俺たちは通学路を歩いている。

 美金に家を任せても大丈夫そうなので今日から学校に戻ることにした。


ヒロヤ:「ひな姉もよくあの生徒会長様と一緒にいられるよな。周りの評判ようないって聞くぜ?」


ひな姉:「なーに? ヒロ君もみんなと同じことを言うんだ。駄目よ? 根も葉もない噂を鵜呑みにしちゃ」


ヒロヤ:「根も葉もないにしちゃあ枝が多すぎない?」


ひな姉:「まあ、あの子の性格も影響してるんだろうねぇ――あの子、口数少ない割にはっきりとスパスパ言っちゃうから」


ヒロヤ:「まあ、分からないのに急に注意されたらムッとなっちゃうだろうしね」


 難しい人なんだろうなぁ。

 って俺なりに思っているとバシバシと急に背中を叩かれる。


ヒロヤ:「痛てぇよひな姉。」


ひな姉:「ほら、背筋が曲がってるよ。もっとシャキッと歩きなさいっ」


 視線がさらに集まる。


ヒロヤ:「分かったから、お願いだから静かに歩こうよっ!」


 もうやだ……俺は悪くねえよ。

 あぁ。今日も日差しが眩しいぜ……

 夏入り間近な五月の半ば、桜の花はもうとっくに散り落ちて桃色に染め上げていた桜の木は目に良さそうな深緑にその姿を彩っていた。

 ひな姉の話を聞いている内に校門が見えてきた。

 校門には生徒会があいさつ運動をしている。何人かが持ち物チェックを受けたり服装の指導を受けたりしている。その中に右腕に一人だけ色の違う腕章を付けた女性がいる。あれが我が学校の生徒会長だ。その会長がこちらを向いた。


生徒会長:「おはようございます」


 澄んだ声だった。


ひな姉:「おはよー、さとみっ」


 ひな姉が生徒会長に飛びつく。


生徒会長:「ちょっとひなっ。やめて……」


 会長がひな姉を引っぺがす。


ひな姉:「もう、相変わらずツれないんだから」


生徒会長:「今は生徒会の業務中です。お遊びなら休み時間にお願いします」


 清楚な雰囲気をまとった生徒会長に似つかわしい丁寧な言葉づかいはまるで『ザ・生徒会長』言ったところだろうか。何が良いたいかというと、絵に描いたかのような真面目系生徒会長だということだ。

 生徒会長にたしなめられながらひな姉は楽しそうに笑っている。

 その光景を尻目に校門をくぐろうかとした時、


生徒会長:「お待ちください」


 会長に呼び止められた。


ヒロヤ:「なん、ですか?」


生徒会長:「貴方、制服の前は留めるように以前にも注意したはずですよ」


ヒロヤ:「ああ、すいませんすいません。次から気を付けます」


 頭を掻きながら、はははっと笑いながら学ランのボタンを軽く留める。どうせ教室に戻る前にまた外してしまうのだから今は素直にいうことを聞いておこう。


ヒロヤ:「これでいいですね、では」


 足早に俺は校舎へと逃げた。

 ただでさえひな姉といるだけで周りの視線で針のむしろなのにこれ以上美人といると変に目立つ。学校での俺の居場所がなくなっちまう。

 俺は自分の教室へと向かった。


ヒロヤ:「おっはよーん!」


 元気に声を大にして教室に入った。端々からクラスメイト達が「おはよう」と返してくれる。自分の席に座ると後ろから肩を叩かれた。


マモル:「おはよう。気分はどうだ?」


 マモルだった。爽やかな笑顔が煌めくイケメンだ。


ヒロヤ:「おう、もうバッチリだぜ! それより今日はどうした? 来るのがえらく早ぇじゃねえか」


マモル:「ああ、今日はいつもより早く起こされちまってな。おかげで少し寝不足だ」


 大きく口を開けた口を左手で隠しながら欠伸をしている。


ヒロヤ:「ほお、何時もの水浴び以外にも何かあったと?」


マモル:「少々めんどくさいことになっててな」


ヒロヤ:「ははっ。お前の方が大丈夫じゃないじゃねえか」


マモル:「……。そうかもな」


 馬鹿笑いをしていると朝礼を告げるチャイムが鳴った。

 教室中に散らばっていた各々がそれぞれの席に座る。

 マモルもあの後、いろいろあったんだなぁ……そりゃそうか、あいつんちの敷地内だったもんなー

 チャイムから十分くらい遅れて担任が入ってきた。


担任:「あー……特に知らせることはない。授業の用意をしてからなら喋っていいぞー。んじゃ」


 あっさりと今日の予定(?)を告げるとさっさと職員室へと戻っていく。ずぼらな教師だなと思う。

 今日も適当に寝て過ごすかとするか……


ヒロヤ:「ん……終わったか。んぁあああ~」


 目覚めるとちょうど四限目が終ったところらしい。


マモル:「でかい欠伸だな」


ヒロヤ:「ん?」


マモル:「ほら、飯食いに行くぞ。今日は待ち合わせがあるんだから早くしろよ」


 もう昼飯の時間だったのか。一時間目からぶっ通しで寝ていたのか。


ヒロヤ:「おう、ということは今日は学食か?」 


 基本的に昼飯は売店でパンを買って適当なところで食うのだが、たまにこうやって学食に食いに行くことがある。


マモル:「いや、今日は屋上だ」


ヒロヤ:「珍しいな」


マモル:「お前に聞きたいことがあるからな」


ヒロヤ:「聞きたいこと?」


マモル:「それに関しては後で話す。とりあえず妹を迎えに行ってくるから先に場所取りを頼むわ」


ヒロヤ:「俺、飯買わないといけないんだが……」


 いつも学食か売店で買っているから弁当を持ってくる習慣なんて勿論ない。


マモル:「今日はお前の分もあるから。食ってけよ」


ヒロヤ:「マジで⁉ ラッキー」


 やったぜ、食費が浮いた!


マモル:「んじゃ、俺は行ってくるわ」


ヒロヤ:「あいよーん」


 さて、屋上に向かいますかっと。


 我が学校の屋上は昨今では珍しく生徒向けに解放されており、昼飯の時はよく利用されている。屋上が開いているのなら人でごった返す程の人気ではないのかと思うかもしれないが、実際はそんなに良い物ではない。

 晴れの日は日差しを遮るものはないし、雨の日の次の日なんかはじんめりと湿っていて座れたもんじゃない。それでも人はちらりといたり、いなかったりと両極端で、その日の気分次第で変わってしまうのだ。

 階段を二段飛ばしで駆け上がる。鉄の扉を開けると錆びた金属が擦れて高い音を響かせた。


 ヒュゥ――――――  ……風が轟々と吹く。


 髪の毛が乱暴に乱される。

 相変わらずここは風が強いな。どこか落ち着いて食える場所はないか…… 

 キョロキョロと辺りを見渡してみる、今日は屋上には誰もいないみたいだ。そりゃそうか。こんなに強風なんだからみんな学食へ行ったに違いない。


ヒロヤ:「こんなんで飯なんか食えるかな……」


 風を凌げそうな場所を見つけたので、マモルたちが来るまで座って待つことにした。

 五分後にマモルたちが来た。


マモル:「悪い、待ったか?」


ヒロヤ:「いや、あんまり。あれ? 白子ちゃんは?」


マモル:「居るぞ? ほら、ちゃんと挨拶をしろ」


 マモルが後ろに声をかける。するとマモルの後ろから彼の腰くらいの大きさの白い女の子が姿を現した。


さゆき:「はうぅ~。白子じゃないですよぅ」


 このちっこい子はマモルの妹さんで『さゆき』ちゃんだ。

 ショートと言うには長く、ロングというには短い。髪は絵の具の白よりも降り積もる雪よりも白く、パッチリと大きく開かれた瞳の色は燃え盛る炎よりも紅い。前髪は目にかかるくらいに長く伸びている。体のラインは細いというより貧弱で腕にも足にも肉がついているのか疑いたくなるくらいげっそりとしている。肌の色は雪国の女性を思い浮かばせるほどに白く、時折日の下に晒される鎖骨やうなじがエロい。


ヒロヤ:「こんにちは、白子ちゃん♪」


さゆき:「で、ですからぁ……。はぁ。こんにちは、ヒロヤさん」


 抵抗するだけ無駄と察したのか、諦めて挨拶をする白子ちゃん。


マモル:「あんまりいじめてやんなよ」


ヒロヤ:「ごめんごめん。反応が一々可愛いから思わず、ね」


 お兄さんに咎められては仕方がない。俺たちは先程見つけておいた風が凌げる場所で昼食を始めた。

 昨日、なぜ俺が来なかったのか、昨日心配していただとかいろいろ言われた。


ヒロヤ:「ふぅ……で、なに? 俺の身を案じてくれている訳という訳かね、マーモン君」


マモル:「誰がマーモンだ。そんな事より本当に大丈夫なのか、お前の周りで何か異変は起きていないか?」


ヒロヤ:「異変ねぇ……」


マモル:「冗談ごとじゃないんだ、うちの神社からいなくなってるんだ」


ヒロヤ:「いなくなってるって、何が?」


 そう、こいつは当日に行っていた神社んとこの息子だ。こいつがいたからこそあの日あの場所で肝試しができたのだ。


マモル:「朝早起きするハメになってしまったのはこれのせいだ。お前はうちが何を祀っているかくらい知っているだろう?」


ヒロヤ:「……」


 知っているもなにも、その祀られ様が進行形で我が家にいるわけなのだから。でも何と言ったらいいのだろうか……ここで「ああ、玉藻様なら俺の家で家政婦してもらっているよ」とでも言おうものならこいつは無理やりにでも捕まえに来るはずだ。


さゆき:「あむ、あむあむあむ……」


 逸らした視線の先では白子ちゃんが美味しそうに卵焼きを食していた。小さい口に少しずつ吸い込まれていくその姿はさしずめ、好物であるヒマワリの種にありついているハムスターと言ったところか……いや、色合いからしてウサギか? どちらにしてもそれ以上の愛らしさがあった。


マモル:「おい、聞いているのか?」


ヒロヤ:「も、もちろん聞いているさっ。でもほら見てみろよ!」


 顎でマモルの視線を促す。そこにはもちろん白子ちゃんがいる。


ヒロヤ「可愛過ぎじゃねえか? 何、あの生き物。あの可愛さは反則級だろ。ただでさえ周りから浮き出た白色肌で人目を引いてしまうのに、それでなお! 小柄でスタイルは、まぁ胸はないかもしれないがお前に『お兄ちゃんお兄ちゃん』って引っ付いてくる姿だけでも全国の妹好きは発狂してしまいかねないのに……ただ、ただ食事をしている時ですら俺たちを萌え殺してしまう気ですかお兄様‼‼‼」


マモル:「誰がお兄様だ!」


 重い拳が飛んできた。


ヒロヤ:「ごぅふ……」


 俺の体はトリプルアクセルをかましながら吹っ飛んだ。


ヒロヤ:「良い、アッパーだぜ……」


マモル:「お前に妹はやらん」


さゆき:「え、ええ? 何? 何をやってるの? お兄ちゃん、ヒロヤさん」


 目の前で何が繰り広げられているのかが分かっていない白子ちゃんは俺とマモルを交互に見てどうしたらいいかわからずに右往左往している。


ヒロヤ:「大丈夫だよ白子ちゃん。ちょっとした熱い男同士の熱い交じり合いだからさ」


マモル:「変な言い回しはやめろ、気持ち悪い」


ヒロヤ:「でもまんざらじゃないんだろ? んん? マモル君よー」


マモル:「ころす……」


ヒロヤ:「ひどいっ⁉」


 バッサリと吐き捨てられる。それでも俺たちは笑いあえる仲であるからこそだ。


ヒロヤ:「そういや、さっきの続きなんだが」


 尻に付いた砂埃を払いながら立ち上がる。


ヒロヤ:「俺は特に何もないぜ。あの日はさすがに死ぬかと思ったが何とか無事に逃げ帰ってこれた。いやー、命があるって素晴らしいね、気持ちが良いし可愛い女の子をもっと一杯見ていられるしな。はははっ」


マモル:「だ、だがな―――」


――――――――――♪


 マモルの言葉を遮るようにチャイムが鳴った。


ヒロヤ「ほら、戻ろうぜ。ほらほら白子ちゃんもそんなところでぼけーっとしてないで最後の卵焼きを食べちゃいな」


さゆき:「ああっ、は、はい。ちょっと待ってくださいね」


 口いっぱいにほおばってもぐもぐと必死に食べている白子ちゃんを可愛がりながら、


マモル:「そんなに焦って食うと喉に詰まらせるぞ」


さゆき:「ふぁ、ふぁいひょうふ……えほえほっ……」


マモル:「言わんこっちゃない。ほらお茶だ、ゆっくり飲めよ」


さゆき:「うぅ、ごめんお兄ちゃん」


 マモルと白子ちゃんの仲のいいやり取りを見守り続けた。

 あとの授業は全部寝るとするか。


担任:「それじゃー、今日はここまでー。面倒だから学校に苦情が来るようなことは絶対にするなよー」


 先生の言葉を合図にそれぞれが席を立ち、早々に退散し始める。

 窓の外はうっすらと赤みが射し始め、昼間とは違う空の黄色さに眩しさを覚えた。紅色を帯びた濃い黄色だ。


ヒロヤ:「ふぃー終わった終わったー。それじゃ帰るとするかね」


教室を出て校門を抜けた時、後ろからマモルに声をかけられた。


マモル:「おい」


ヒロヤ:「おう、帰りか」


マモル:「それ以外に何があるってんだよ」


ヒロヤ:「それもそっか」


 はははっと笑って肩をすくめる。


ヒロヤ:「お前はさゆきちゃん待ちか?」


マモル:「ああ、もうそろそろ来るだろうけど、どうする? 一緒に待つか?」


ヒロヤ:「んーにゃ、今日はこのまま帰るよ。お前も暗くなる前に帰れよ、ただでさえ山なんだから」


マモル:「そうするよ」


 そう、こいつの家は山にある。学校からマモルの家まで三〇分以かかる。いくら学校の近くだといっても道なりは遠回りだ。

 一度学校の坂を下り、商店街を抜け、くるりと周囲を回って住宅街から離れた広い畑をも超えてようやく山のふもとにつく。

 よくもそんなところから毎日通えるものだと感心する。

 山の上にあるんじゃ仕方がない。駅に行くくらいならうちの学校に通った方が近いから郊外の学校へ行くにも不便という。


ヒロヤ:「んじゃ今度こそ帰るわ。また明日」


マモル:「ああ、また明日な」


 互いに右手を掲げて別れる。俺は夕焼けが照り付けてすっかりと朱色に染まりだした坂道を下りた。

 帰宅すると美金が服をたたんでいるところだった。彼女は俺に気付くと笑顔で『おかえりなさいませ』と迎えてくれた。

 あぁ、迎えてくれる美人がいるって本当に良い物だ、最高だ。と家に玉藻がいるという境遇に改めて感謝するのだった。もう、ね? 和装メイドっていうの? あれが好きな人の気持ちが分かった気がする。和服の美女が俺なんかの為に笑顔でいてくれるんだぜ? 幸せすぎて死んでもいいとさえ思えてくるが、彼女が救ってくれた命を彼女の前でそう簡単に散らせてしまうのはやめておこう。彼女が悲しむ顔は見たくない。

 俺は飯時まで自室にいることにした。ベッドに腰掛けると違和感を覚えた。

 なんだろうか、昨日までとは何かが違う。

 布団に顔を押し当てて匂いを嗅いでみる。すると鼻一杯に洗剤の香りと俗にいうお日様の香りが広がった。恐らく美金が布団を干しておいてくれたのだろう。

 ああ、なんていい香りなんだろうか。そういえば最後に布団を干したのっていつだっけなぁ……

 お日様の香りに包まれると体の中に溜まっていた疲労感がどっと押し寄せてきた。もうこのまま寝てしまいたい。どうせひな姉か美金が起こしに来てくれるだろうと考え、俺は瞼を閉じた。


………………


…………


……


ドアが開く音が聞こえた。俺はどれほど寝たのか? 誰かが部屋に入ってきたみたいだけど瞼がいうことをきかない。開かない。どうやら変なタイミングで寝てしまったせいで体が疲れを解消しようと起きるのをを拒否しているようだ。

それにしても、今入ってきたのはどっちだ? ひな姉か、美金か? どちらにしてもなぜ早く声をかけないのか。


美金:「……」


 誰かがベッドの前に、俺の真隣にいる気配を肌で感じる。


ヒロヤ:「……っ」


 目の前の誰かが俺の頬を撫でた。最初は恐る恐るといった感じに指先だけ触れたが、徐々に慣れてきたのか掌で頬全体に触れてきた。


美金:「ふふっ、やっぱり可愛いらしい顔をしてらっしゃいますね。いつもは強がっていらっしゃいますけど、殿方の寝顔はなぜこうも……」


 この声は、美金か。


美金:「髪も、男の人のものとは思えないくらいさらさらしていますし、肌の艶だって羨ましいです。こんなにもモチモチで水分もどれだけこの皮膚の下に蓄えているのですか?」


 美金は何を言っているんだ?

 美金の手は俺の顔を弄り回していた。耳にかかった髪をかき上げたり、親指で頬を擦ったり、しかも陽気に鼻歌までして。しかもCMの曲かよ……


美金:「い、いけません、早くヒロヤ様を起こさなくては」


 頬に触れていた手が遠のいていく。その手は俺の肩を前後に揺らし始めた。


美金:「起きてください。ヒロヤ様、夕食の準備が整いましたよ。ヒロヤ様、ヒロヤ様」


 指先が動く。美金が体に刺激を与えてくれたおかげで体が起き始めたようだ。


ヒロヤ:「ん、ああ。おはよう」


美金:「はい、おはようございます。もうできていますよ」


 欠伸をする俺を見て、何が面白いのか美金はクスクスと笑った。やはり口元を袖で隠す仕草はポイント高いよなあ。うん、かわいい。

 俺は美金に連れられてリビングへと向かった。夕飯は肉じゃがだった。定番とも呼べるメニューでもあり、家庭によって味に大きな違いが出る食べ物ベランクインする食べ物(個人感想)だ。やはり味付けの方はひな姉のものだが、美金も調理場に立って一緒に作業をしていたらしい。ひな姉曰く「手際に関しては私なんかより何十倍もいいわ」だそうだ。何年も何百年何千年も生きてきたのだ、そりゃ思いもしないような経験を積んできたに違いない。まあ、そんなことは俺たちが考えてもよくわからないから仕方がない。

 今日は特に何をするでもなく早々に眠ることにした。


・同日 十五時四十五分




ヒロヤ:「また明日」




マモル:「ああ、また明日な」




 マモルはヒロヤと校門で別れた。


 妹を待っている間、暇を持て余すことになったマモルは校門の塀にもたれて空を見上げた。紅が絡みつき始めた空。昼の時間が長くなる季節だ。この時間だと空はまだまだ明るさを保ち続けることだろう。青と紅の境目が黄金色に輝いている。


 空を見上げることはマモルの隠れた趣味である。マモル本人も気づいていない無意識の趣である。




生徒会長:「さようなら、また明日です」




 マモルの耳は下校途中の生徒の雑音の中から一人の声を見つけた。


 生徒会長だ。マモルとは反対の塀の位置で帰る生徒に対して挨拶をしている。生徒会と風紀委員による挨拶運動だ。




みき:「あれ、マモル君? 何やってるの?」




 マモルのクラスメイトのみきが声をかけてきた。ポニーテールの彼女の腕には風紀委員と書かれた紅い腕章がされていた。




マモル:「みきさんか。妹を待っているだけだ」




みき:「へぇー妹さんいたんだね。ごめんだけど、そこどいてもらえるかな?」




 ミキはマモルの位置を指さした。




マモル:「すまない。邪魔だったか」




みき:「こちらこそ場所を取るようなことしてごめんね。でも仕事だから許してね」




 みきは生徒に向かって挨拶を始める。


 マモルは反対側にいる会長をじっと見つめた。


 機械的に挨拶をしているがその言葉は誰に宛てるでもなくただ垂れ流されている。だが、適当という訳ではない。心の籠った言葉が垂れ流されているのだ。




(本当、なんでそんなに真面目にやっていられるのか)




 マモルは真面目に勤務をこなす彼女を見てますます興味が沸いたのであった。




生徒会長:「――――っ!」




 マモルと会長との視線が合った。


 会長は一瞬驚いた顔をする。そしてすぐに不快と言わんばかりに視線を逸らして校舎へと足早に入っていった。




マモル:「……会長様戻っちゃったけどいいのか?」




みき:「うん。いいんだよ。生徒会は他の仕事があるから。そんなことよりマモル君、会長様と何かあったの?」




マモル:「さあ」




みき:「ふぅん、あまり会長様にたてつかない方がいいよ。前にたてついた人が会長様のお怒りに触れて休学処分になったっていうし」




マモル:「――」




みき:「それじゃ、私も戻るから。あんまりやんちゃしちゃ駄目だよ。クラスメイトを取り締まりたくはないからね」




マモル:「おう。お疲れさま」




みきもいなくなりマモルはまた一人になった。


校舎の方を見るとこちらに向かって手を振ってくる小さな人影が目に入った。




さゆき:「はぁはぁ……お兄ちゃんごめんなさい、HRが長引いちゃって……」




 肩で息をする妹が小走りでマモルの下へやってくる。




マモル:「いいよ、さあ帰るぞ」




 マモルが先に歩き出し、それを追って妹が後を歩く。仲の良い兄妹は自宅へと続く長い長い道を歩き出した。


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揺蕩う魂々 五月九日 @itsukikonoka0509

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