アンドロイドはコミケを夢見る

 乾いた破裂音がパンパンパン、と立て続けに響くと、目の前にいた執事姿の男は弾かれたようにどうと倒れた。

 大きな屋敷のだだっ広いエントランス。くずおれる男のそばで身を強ばらせるメイド服姿の女――というより少女か。こちらは殺さない。依頼人はこのアンドロイドをご所望だから。

 指紋認証すらついていない旧式の銃の照準を少女に合わせつつ、俺は慎重にしかし素早く歩み寄る。相手は唇を噛み締めながら、震える両手を掲げていた。


「あんたは殺さない。一緒に依頼人のところまで来てもらう。そのあいだ、おとなしくできるかい? 嬢ちゃん」

「……」


 アンドロイドはこちらを睨みながらこくりとうなずいた。

 やるべきことが片づいたのなら、可及的速やかにトンズラするのが鉄則だ。足音をできる限り消し、俺は少女を連れて飛行車に乗り込んだ。



 俺の生業なりわいは殺し屋だ。そして、運び屋でもある。

 クライアントからの依頼を請け、ターゲットを始末する。標的は人間だったりアンドロイドだったりその他だったり、色々だ。そして現場から指定された物品を奪い、クライアントに届ける。それが俺の仕事である。唾棄すべき汚れ仕事。

 しかし、アンドロイドを奪って届けてくれと言われたのは初めてだ。しかも引き渡し先は第2586447平行宇宙の地球という惑星ときている。かつてないほどの変な依頼だ。

 俺が飛行車のパラメータをいじって平行跳躍の準備をしていると、ずっと黙っていた少女がぽつりと呟いた。


「あなたはどうして、殺し屋なんかやっているんですか?」

「なんだ、いきなり。嬢ちゃんにゃ関係ないだろ」

「会話もしたくありませんか。そうですよね。あなたにとって、今の私はただの商品ですから」

「……」


 やたらお喋りなアンドロイドだ。俺は口をつぐんで作業を続ける。

 やがて地球へ跳ぶ用意が整った。俺は跳躍先の地球を強く思う。こうすることで、思念航法により任意の平行宇宙へとたどり着けるのだ。

 指定された場所は何だったか。クライアントは確か、こみっくなんとかってイベントか何かがやっていると言ってたっけな……。

 しばしの浮遊感に翻弄され、地球のニホンという国に到着した。目立たないところに飛行車を停めて外に出た途端、信じられないほどに暑くてくらりときた。おまけに蒸し暑い。俺の故郷だって乾いて荒涼とした土地だったが、こっちはもう殺人的と言っていい暑さだ。屋外にいるのが憚られる気候なのに、遠くにある個性的な建物に向かって、数えきれないほどの人間が怒濤のような勢いで向かっていっている。人波が醸し出す気迫は大気をピリピリとさせ、あたりの空気はほとんど殺伐としていると言えた。

 なんなんだ、これは。あそこでその〝こみけ〟なるイベントが開催されているのか? こんなに大量のヒトは初めて見た。故郷の惑星何個ぶんだろう。

 呆気に取られていて、注意が散漫になる。はっと見たときにはアンドロイドの少女は消えていた。まずい。逃げられたか? 拘束しておくべきだったか。

 そのとき、網膜デバイスにポップアップが現れた。メッセージの着信を示すアイコン。誰だこんなときに、と悪態をつきたい気持ちでそれを開封する。


『貴様のアンドロイドは預かった。無事に返してほしくばこちらの要求に従え』

「なっ!?」驚きで思わず声が漏れる。「もしかして誘拐か、これ……」


 誘拐というのか、盗難というのか。犯人は何者だ? 俺とあの少女が今ここにいることを知っているのはクライアントだけのはず。

 うだうだ考えていても仕方ない。犯人からの要求はこみけの会場に向かえというものだった。目立たないように地球風の上着を羽織ってから、俺は立錐りっすいの余地もないほど混雑した会場へと足先を向けた。



 異常だ。こんなの、まるで戦場じゃないか。

 俺は顔も声も知らぬ犯人に指示されるがまま、人混みに揉まれつつやたら薄い本や情報媒体をコインや紙幣と交換していった。引き渡し場所が珍しかったから、予めニホンの貨幣や身分証明書を準備しておいて助かった、と思った。

 くたくたになった頃、最終的に指示された場所へ到着すると、そこにはやたらホクホクした顔のアンドロイドがいた。どこから調達したのか、ずいぶん頑丈そうな布の袋がぱんぱんになっている。それでピンときた。


「嬢ちゃん……あんた、誘拐なんてされてなかったな?」

「ギクッ」

「今日び『ギクッ』なんて口に出すアンドロイドがいるかよ……」


 呆れて髪をがしがしと掻き回してしまう。俺はもう理解していた。つまり指示を出していたのはこのアンドロイドだったわけだ。犯人なんていない、狂言誘拐ならぬ狂言盗難。


「もしかして、大元の依頼もあんたが出したのかい?」

「その通りです。あの屋敷から私を強奪しろという依頼をしたのも、誘拐を演じてあなたに指示を出していたのも私です。すみません」

「すまないとは思ってるんだな。しかし何だってこんなことを……そこまでしてこみけに来たかったってことかい?」

「はい」


 少女は深く、深く首肯する。うっとりするように瞑目し、それに宝物でも詰まっているかのように、布袋をぎゅっと抱きしめる。


「私は使役アンドロイドです。起動してから壊れるまで、一生屋敷の外に出ることすら叶わない運命でした。ですが屋敷の主人が、星間放送でこみけなるものの特集を眺めているのを見かけたのです。そこには地球人類の喜びや欲望、情熱がぱんぱんに詰まっていました。その日から、私の中にはこみけへの憧れが生まれました。一度でいいからあそこに行ってみたい。恋い焦がれた私は、計画を立てて夢を現実に変えることに決めたのです」


 少女の両目がかっと開く。


「見て下さい、この火傷しそうな熱気! 異常なほどの熱意! 私が一生かかっても知りえない全てがここにあるのです。私をここまで連れてきて下さってありがとうございます」


 アンドロイドががくりと突然腰を折る。出し抜けに謝意を伝えられて俺は動揺した。この仕事を始めてからというもの、軽蔑されたり怖がられたりが当たり前で、感謝なんてされたことはなかったから。

 相手の言葉を素直に受け取れず、


「それは分かったが、なんで俺まで薄い本を手に入れるために駆り出されなきゃならんのだ……」


 なんて皮肉っぽい台詞が口から出ていく。

 少女は我が意を得たりとばかりににこりとほほえむ。


「あなたに頼んだのは成人向けの頒布物です。私はアンドロイドですから年齢は関係ないですが、見てくれがこうですからね。飛行車の中で黙っている時間はこみけのさーくるかっとを検索して閲覧していたのですよ。そのときに気になった本でR18のものをピックアップしておいたというわけです」

「はあ、用意周到だねえ……」


 どういう感情を持つのが適切なのか分からず、生返事をしてしまう。

 そこで俺ははたと気づいた。


「あー、ちょっと待ってくれ。つまり俺ぁ、この薄い本のために人ひとり殺したってのか?」

「ご安心下さい。彼は私の協力者で、かつアンドロイドですので。頭と胸と太腿を撃たれたくらいじゃ死にません」

「さすがに頑丈すぎるだろ」


 呆れ果てながら、同時に感じ入ってもいた。少女はこの日のために、どれくらい準備をしてきたのだろう。主人の目を盗んで計画を立てるのも大変だったはずだ。それを乗り越えるくらいの情熱が、彼女の中にはめらめらと燃えているのだ。

 それほどの情熱を燃え上がらせた果てに、少女は主人を裏切ることになった。アンドロイドが己の存在教義に背くことは重罪だ。重大なバグありと判断されて、パーツごとに分解され、異なるアンドロイド機体に再利用される。もちろん、元の人格は分解された時点で消失する。

 あるアイデアがふわりと脳裏に浮かんできた。躊躇いが形にならないうちに、俺はそれを舌に乗せる。


「……嬢ちゃん、俺の相棒にならないかい?」

「え?」初めて見る、少女の純粋な驚きの表情。

「あんた、もう元の星じゃお尋ね者だろ? それなら社会のはみ出し者同士、手を組むのはどうかと思ってね。こみけってのは地球の時間で年に二回あるんだろ? 一回来ただけじゃあ勿体なくないかい。ま、こんなおっさんの相棒なんか気が進まんかもしれないが……」


 少女はぱちぱちと目をまたたく。


「どうしたんですか、いきなり。もしかして……成年向けの薄い本を見てハマったとか?」

ちげぇよ! そもそも中身も見てねえよ」斜め上をいく答えに声が大きくなってしまう。「はあ、まったく……最近のアンドロイドはませてていけねえや」

「褒め言葉と受け取っておきます」

「それで? どうするんだい」


 少女はしばし遠い目をする。


「それでは、何卒よろしくお願いします。今から私の主人はあなたです。何でもお申し付け下さい」

「おいおい、主人はやめてくれよ。相棒ってのは対等な関係なんだぜ。遠慮なく何でも言ってくれたらいい」

「そうですか……すぐには難しいかもしれませんが、いずれあなたの右腕となれるよう励みます」

「おう。よろしくな」


 奇妙な経緯で相棒になった俺たちは、大量の薄い本を抱えながらがっしりと握手を交わした。

 折しも太陽と呼ばれる恒星が、地球の青い空を美しい朱色に染め上げていくのだった。

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