縁結びの神様、Vtuberになる

「あたしを元の世界に帰してよ。ねえ、早く」


 縁結びの神様(自称)に拐われてから早四ヶ月。初対面はつたいめん時にはヒョロヒョロだった神様は、あたしが考えた筋トレメニューを地道にこなす素直さのおかげが、見違えるような細マッチョに変身していた。全身バキバキとまではいかないが、上腕や胸筋は盛り上がっているし、腹筋もしっかり割れてきている。

 四ヶ月前、あたしを異界に連れてくるのに力を使い果たしたという神様は、今や筋肉から湧き上がるエネルギーに満ちみちているように見える。これなら、あたしを元の世界に帰すのもパパッとこなせるに違いない。

 というわけで帰してくれと頼んだのだが、相手の表情は渋かった。


「……もしかして、帰さないつもりとか、そういうわけじゃないよね?」

「いっいや、そういうわけでは」

「じゃあ、まだ体力が戻ってないわけ? 見た感じ元気いっぱいだけど」

「力は……大丈夫だ。もう、そなたを送り返す気力は充分にある」

「だったら、何が問題?」


 神様はしばらく躊躇ったあと、意を決したように顔をばっと上げた。その勢いに腰が引けそうになる。


「その……私もついていく! いや、ついていかせてくれ! そなたと離ればなれになるのが嫌なのだ」

「ええぇ……」


 そんなわけで、なぜかあたしは神様を連れて現世に帰ることになった。

 ちなみに、神様の友達的な喋る狐が「主様!? 座を留守にするおつもりですか! 言語道断ですよ」と騒いだが、当人(当神?)は「石で分身を作っておいたからしばらくは問題ないだろう。たぶん」と平然としていた。神がそんなテキトーで大丈夫なのか。あたしには関係ないことだから別にいいけど。



 現世では、あたしが神社で行方不明になってから二日とちょっとしか経っていなかった。時間の流れが違うのだろうか。びっくりだ。

 娘と急に連絡が取れなくなり、両親は警察に相談していたらしい。もう少しで捜索願を出すところだったという。こっぴどく叱られたけど、怒ってくれる人がいるのは幸せだと思う。


「……で、そちらの人は?」


 リビングの椅子にしれっと腰かけた神様へ向かって、ママがおずおずと声をかける。

 気後れするのも当然だろう。何せ神様ときたら黙っていればエグいくらい美形なのだ。アイドルが泡を食って逃げ出しそうなほど整った顔立ちに、見たことのない銀髪。仰々しい和服も、筋肉がしっかりついた今となっては自然に見える。

 あたしが神様に「ママはおもしれー女だから本当のことをありのまま言えばたぶん大丈夫」と言った通り、彼女は神様と娘の説明をふんふんと聞いた後に「何それー」と笑い転げた。あたしが体験した常軌を逸した出来事を何それの一言で済ませるなんて、我が親ながらすごいとしか言えない。

 神様のもふもふの襟巻きに変化へんげしている狐が「おもしれーおんなとは何なんだ?」と訊いてきたが、巧い説明が思い浮かばないので聞こえないふりをした。

 仕事から帰ってきたパパに同じ説明を繰り返したが、彼は「へえ。面白いことを言う奴は好きだぞ!」と豪快に笑っていた。ちなみに、神様が神通力で何もない空間から指定されたもの(アイアンのゴルフクラブやブランドもののネクタイなど)を虚空から取り出してみせたけど、パパはマジックだと思ったようだ。

 翌日、あたしはトレーナーとして働いているボルダリングジムに三日ぶりに出勤した。

 唐突な腹痛に襲われてトイレの住人になっていたと尤もらしい説明をにし、無断欠勤を詫びると、責任者からは次は気をつけて下さい、もう体調は大丈夫なの?と言われただけで終わった。

 四ヶ月も異界にいた証拠に、あたしの金髪はかなりのプリン状態になっていたのに、少しの説明と言い訳だけで生活はほとんど元に戻った。それがすごく不思議に感じられた。

 神様と狐には既に家を出ている兄貴の部屋を貸し、それから一週間ほどが過ぎた頃。あたしは神様から相談を受けることになる。

 曰く、「暇だ」と。


 * * * *


「……暇だ。何か、やることはないのか」

「とれーにんぐは続けてますけど、勝手に出歩くわけにもいきませんしね。このままだと主様、あの娘っ子のヒモまっしぐらですな」

「自分の主に向かってヒモとはなんだ。……しかし、この状況ではそれも否めんな。彼女に相談してみよう」


 * * * *


 というやり取りが、主従のあいだで交わされたとのこと。

 勝手についてきて三食しっかりかっ食らい、暇だと言うのもどうかと思うけど、出勤前で忙しいあたしは適当に「それならVtuberとかやったらいいんじゃん?」と返した。


「ぶいちゅーばー? なんだそれは」神様は長い睫毛をしばたたく。

「んー、自分で調べてみて。あたしのパソコン使っていいから」

「いっ、いいのか!」

「……変なところ、触らないでね。動画見るだけだから」

「うむ、もちろん、それは分かっている」


 こくこくとうなずく神様に、苦笑しつつボルダリングジムへ向かう。まあ、Vtuberなんて口から出任せだし、もう少し別のことを提案できるよう何日か考えようかな、なんて思ってた、のに。


「こんこんこんにちはー、神仏系Vtuberの稲荷いなりサクでーす! そなたたちの縁、結んじゃうぞ! というわけで初めまして、よろしくね~」


 神様はとんとん拍子でVtuberデビューしてしまった。機材は通販ですべて手配したらしい。画面に映っているのは生身の神様――もとい稲荷サクなので、バーチャルでもなく本物の姿なのだが、液晶越しに見るその外見は確かに、この世のものとは思えない。

 初めてだというのに、サクの台詞や仕草はこなれている。たくさんのVtuberを見てだいぶ勉強したらしい。ちょっと現代人間社会への適応が速すぎやしないか、この神様。さすがギャルが好きだと恥ずかしげもなく口に出すだけはある。

 コメントもぼちぼち届いていた。


『初めまして こんこん』

『イケメンすぎ~ ママ誰なのか知りたい』

『髪の挙動えっっぐ…本物みたい』

『神仏系Vtuberてなにww』


 突っ込みどころは多いが、概ね好意的に受け入れられているようだ。縁結びの神様って、こんなんでいいんだ。

 サクの動画やライブは、基本的に雑談や異界での日常を披露するものだった。とはいえ、彼の日常は現世の人間にとっては非日常だ。『設定細かー!』とみんな盛り上がっているものの、サクとしては当たり前の毎日を話しているに過ぎない。

 チャンネル登録数はあれよあれよという間に伸びていった。その間も、彼は筋トレを欠かすことはなかった。基本、律儀な性格なのだ。

 ライブを終えて飲み物を飲んでいるサクに声をかける。


「Vtuber、向いてんじゃない? 収益化もそろそろイケそうじゃん」

「そっ、そうか? そろそろそなたも私を認めてくれるか?」

「認める認めないって話じゃなくない……? 頑張ってるなあとは思うけど。そういえば、あっちにはいつ帰るの?」


 長らく気になっていたことを訊いてみると、相手の全身が硬直した。そして突然がっくりと肩を落とす。


「その……ひとつ訊きたいことがあるのだが。私とそなたは、付き合っているのか?」

「え? なんで?」


 突拍子もない問いに目を瞠ってしまう。あたしの反応がよほどショックだったらしく、サクはそれから数日しょんぼりしていた。

 そして、〝今夜はスーパームーンだ〟としきりにテレビから声がする日の夜。

 あたしが仕事から帰宅すると、珍しく髪をきっちりまとめたサクが、リビングから神妙な顔つきで出てくるところだった。


「え、どうかした? なんか怖いんだけど」

「その……ひとつお願いがあるのだ。私は一度、そなたとデエトというものをしてみたい」

「デート?」想像外のワードに思わず声が高くなってしまう。「その外見で? ハードル高すぎるっしょ。それに、Vtuberが動画の通りの姿してるのが知られたら、大騒ぎになっちゃうかもよ」

「心配は要らぬ。私にひとつ考えがあってな。今宵は満月、共に月見と洒落しゃれこまないか?」


 サクはタキシードを着こんだ紳士のように、洗練された動きで手を差し出す。

 そこまで言うなら誘いに乗ってあげてもいいかも。だって、満月の夜には人はおかしくなるらしいから。

 私の指先をそっと握ると、サクはあたしの体をぐいと抱えあげた。


「えっ、なになに」

「ゆくぞ。月夜のデエトへ」


 サクの足取りが軽々と躍動する。外へ出るなり自宅の屋根の上へと簡単に跳躍して、高い建物のある方へ、簡単にひょいひょいと屋根を伝っていく。ひんやりとした夜気が頬を撫で、蜂蜜色をした大きなまん丸い月があたしたちを静かに見下ろしている。空の光は冴えざえとして、家々から漏れる光は温かい。

 何これ、すごすぎ。

 いつしかあたしたちはものすごいスピードで中空を駆けていた。サクの腕はちっともぶれずにあたしを支え続けている。筋肉がそれなり以上についた体は軽くはないはずなのに、トレーニングで鍛えられた肉体は頼もしかった。

 ヒョロかった彼の記憶はもはや薄れてきている。その逞しさに少しでもきゅんとしてしまったなんて、こいつには知られたくない。サクの腕の中で、あたしはぐっと下唇を噛んだ。


「いかがかな、斯様かような夜は」


 問われ、「……いいんじゃん?」とひねくれた言葉を返す。それなのに、彼はからからと愉快げに笑い声をあげるのだった。


「そうか、そうか! それは良かった」

「……ねえ。ずっと聞いてなかったけど、あんたの名前、なんていうの」

「私か? 私は神仏系Vtuber、稲荷サ――」

「そっちじゃなくて。本当の方」


 サクはちらりとあたしを一瞥すると、ちょっと得意気な顔をした。


「ううむ、そうだな。神の真名はみだりに他人に教えてはならぬのだが……そうだな、他ならぬそなたであれば、教えるに吝かでは――」

「調子に乗るなら言わなくていいし」

「ああっ! すっと言う! 言います!」


 サクはそっと、あたしの耳元に口を近づけた。ほんのりとお香のような匂いが鼻をかすめる。

 潜めた声で、彼はその名前を教えてくれた。



 サクがあたしを好いているのは分かってるけど、神様と付き合うとかそういうの、今のあたしにはまだよく分からなくて。

 けれどこうやって彼に支えられ、秘密のデートをする気分は悪くない、と思う。思ってしまう。

 ――彼は、私だけの神様になってくれるだろうか。

 なんて、不意に浮かんだ浮わついた疑問ごと、私の体はしっとりした夜風を切り、非現実的なところまで運ばれていくのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る