第2話 転生


 音はない。なぜだろう。少し懐かしい匂いがする。目を開けると、どこか見覚えのあるような顔が二つ並ぶ。

 何年も前に死んだ親父とお袋のようだ。

 おかしい。ここがあの世だとしても、二人が若すぎる。写真で見た二十代後半ぐらいの頃の姿をしている。

 俺はどうなっているのだろう。普通なら、二人とも死んだときの姿で会いに来るのではないだろうか。いや、死後の世界に普通などという概念はない。誰も語り得ないのだから。

 分からない事だらけで頭が重い。首に力が入らず、周りを見回すことも出来ない。手を動かしてみて驚いた。手が小さくなっているのだ。小さいなんてもんじゃない。これは赤ん坊の手だ。

 もしかして、本当にやり直しているのだろうか。あの少女が言った通りに。

 良く分からない。だが、そんなことはどうでも良い。

俺は確かに今、もう一度生を受け、二度目の人生が始まっているのだから。


 佐野俊昭と名付けられたとき、少し違和感があった。以前の名前が思い出せないからだ。

かけ算の九九も覚えていない。解の公式も覚えてない。学生時代のことも思い出せない。最も低迷していた最後のころのこと覚えていない。

 結末しか覚えていない。だが、結末を知っていればそれを回避する方法はあるはずだ。

 かなりよい条件のやり直し、つまり俺に対する救済。俺を救うためのやり直し。ならばこのチャンスを上手く使わない手はない。


 小学生になると塾に通い出した。自ら塾に通いたいと言うと、両親は許してくれた。塾の勧めにより、中学受験をすることになった。両親ははじめ難色を示していたが、小学受験もあるのだから中学受験でも遅いぐらいだ、という話を聞いて考えを改めてくれた。

 三年生から本格的な受験指導を受け、無事、難関私立男子校に合格した。

中学生になり、テストの校内順位が発表されるようになると、更に勉強に力が入った。入学からずっとトップを守り続けた。

 思い返してみれば、つまらない中学校生活だった。家に帰れば机に向かい、家族で出掛けるような事があっても、勉強のために断り、部活動も入部をしただけで、一度も顔を出すことなく引退した。

 一年生の時に行った野外教室も、二年生の時の職場体験も、三年生の時の中学校生活最後の合唱コンクールも、体育大会も、思い出など無い。

 中高一貫校だったため、中学部上位をキープしたため、高等部へ進級した。

 高等部からの編入組には私よりも勉強が出来る人間が何人かいたので、中学校の時よりも勉強に熱が入った。二年生の三学期にトップに立つと、その座を譲る事無く、卒業した。

 やはり、高校生活も楽しい思い出など無かった。だが、勉強が苦痛ではなかったので精神的に病むことなども無く、三年間無遅刻無欠席で通学することが出来た。

 大学も自分の希望した四年制大学に受かり、一人暮らしを始めた。

 遊ぶことなど無く、ひたすら家で勉強をしていたので、仕送りの額少なかったが、あまり金に困ることはなかった。

 異性と遊んだことなどない気がする。いや、性別に関係なく人と遊ぶことなど無かったのかもしれない。サークルに入ろうとも思ったが、趣味などもなく、なにか新しいことを始める気にもなれなかったため、一人で過ごしていた。

 四年間を終え、大手の企業に就職先も見つかり、心残りなど無く無事卒業をすることが出来た。

社会人生活が始まり、一年経つと仕事にも慣れ、少し余裕が出てきた。今から中学校、高校、大学で遊ぶことが出来なかった分を取り戻す為、暇があれば街に出て、酒を煽り、多くの人と出会った。

 人と出会うたびに自分と比べ、心の中で罵った。

――所詮あんたは中小企業にしか就職出来ない負け組。

――収入が少ないくせに、こんな店で酒なんか飲んでて良いのかい?

――私のことを羨ましく思うんだったら、私よりも勉強をすれば良かったじゃないか。お前が言ってるのはただの負け犬の遠吠えなんだよ。

 親友と呼べる人間は決して出来なかった。私が作らないからではない、私に見合った人間が少ないからだ。

 四十を迎えると、職場の若い娘の陰での話のネタとして使われるようになった。職場の配置でも隅の方へと追いやられ、一人デスクに向かい、ただひたすら働くばかりになった。

 金もある。職もある。学歴もある。どれをとってもそこら辺にいる人間には負けない。給料も中小企業のサラリーマンとは比べものにならないし、今、働いている会社の名前を知らない者の方が珍しいような大手企業だ。学歴も高校、大学、どちらも世間一般で難関と言われている学校を卒業している。

 だが、私には家庭がない。

 今の職場では職場結婚などは考えられない。かといって、仲の良い女性がいるわけでもない。男の知り合いに紹介してもらおうにも、紹介してくれそうな男にも心当たりがない。

 人間関係の大切さが今になって分かった。が、結婚を考えるのも結局は私が世間体を気にしているからだ。

 両親は大企業で働き、給与の一部を仕送りしているおかげか、あまり私の事をグチグチと言うことはない。だが、少なからず母親は早く結婚をして欲しいと思っているようだ。

 仮に結婚し、家庭が出来ると、休日は妻、子供のために時間を使わなくてはならない。 私の自由な時間が減るのだ。趣味などは無いが、自分だけの時間を侵されることは気に入らない。

 やはり結婚はしたくない。結婚をしていないからと言って、職場を追われる訳ではない。それに職場では人間性など、すでに疑われている。特別、今更になって世間体を気にする必要など無かったのだ。

 そう思い、結婚することもなく、職場の仲間に媚びを売ることもなく、自分のやりたいように生活を続けた。

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