38 グランブルー④

海に潜ると 俺の身体はダイバーになる



水深30m

肺が潰されて、どんどん浮力がなくなって

重力にひっぱられ海の中にただ落下していく


水深50m

音が消えて、手足の先から血液が逆流する

骨が浮き出るほどの水圧で、海が俺を抱きしめる




このあたりで 俺の身体はダイバーでなくなって 魚になる




水深80m

何かを考えることで脳が酸素を消費する。

頭の中を真っ白に。もっと単純な生物に。


そして水深100m

身体の温度が無くなって、頭の中には何もなくなる。

冷たさも水圧も感じない、心地よい浮遊感…




苦しい気がするけど…


いける…

いけるぞ…


水深120mの世界。


きっとそこ辿りつけば…


俺は人間で無くなって 魚でもなくなって 


ただひたすらに海になる




地上では…

俺は何の役にも立たない人間だ。

誰にも求められていない人間だ。


妻が死んで…仕事もなくて…

俺は一人だ。


どうかずっとこのままで…

俺をあなたの一部にしてください。


この世界の最も大切なものの一部にしてください。









「…うじ!…龍二ッ!」


「…あ…かり。」


「龍二…ッ!」





俺が龍二さんを海から引き揚げてから10分後…

龍二さんは息を吹き返した。


龍二さんの身体は…辛うじて人間の形をとどめてはいたが

手の平だけだった透明部分が全身におよび、水が溶けだすように身体から流れ出していた。

心臓や脳、肺の動きが鮮明に見える。


その姿はもはや人間ではなく、人間の形をした何か。

ダストの能力発動光と太陽の光で、キラキラと輝いていた。




「龍二ッ龍二ッ…!」




溶けだしていく身体を少しでも長持ちさせるため。

海から引き揚げた後、俺たちは龍二さんに水をかけ続けていた。


ダストの活動を抑えるお香『ピケ』も屋外だとあまり意味が無いように思えたが

それでも持って来ていた分を全て使いきるまで船の上で炊き続けた。


俺は自分の能力を使う事も考えた。

しかし、おそらく俺の能力では元にもどらない。


龍二さんの手の平は、ダストの光を放っていない状態でも透明だった。

つまり、『透明になる』というのは『能力が発動中』だからではない。

能力によってもたらされた結果が『透明になる』ということなんだ。


俺の能力は『透明にする能力』を奪うことはできても『透明になった結果』を元にもどすことはできない。


俺にできることは、なにも無くなっていた。




「龍二…なんで…あんな無理な潜り方なんて…馬鹿!馬鹿!」


「…」




朱里さんは、ずっと龍二さんを責めた。

けれどその手は休まず、ずっとバケツで水をかけ続けていた。


龍二さんの眼球はすでに透明になっており…

俺たちが見えているのかいないのか、頭をゆっくり動かしている。




「龍二さん!」


「龍二さんッ!龍二さんッ!」




俺たちも声をかけ続ける。

呼びとめておかないと…

今にも龍二さんの意識はどこかへ行ってしまいそうだったから…



「ぁ…あ……か…り」



龍二さんを見ると、朱里さんの方を向いて何か言っている。

その声は、まるで水の中で話しているかのようにどもっている。




「龍二!?なに!?なんて言ってるの?」


「な…なん…で…」




朱里さんの問いかけに反応してる。

耳は聞こえているようだ。





「な…んで…そんなに…泣い…て…る…」




その言葉を聞いたとき、朱里さんの顔からぶわっと涙があふれる。

濡れた腕で涙を拭きながら、朱里さんはこたえた。




「だって…龍二が…どっかへ…海へいっちゃおうとするから…」




朱里さんはとぎれとぎれになりながら必死に言葉を繋げた。




「俺が…どこへ…いこうと…かってだ…ろ…おれの」


「私は嫌だよ!」


「…」


「私は龍二と一緒にいたいよ!大好きなんだよ!…愛してるんだよ!」





俺とかなちゃんは、必死に水をかけ続ける。





「私は…龍二がいなきゃ…だめなんだよ…」


「…」


「私には、龍二が必要なんだよッ!」




その時…

龍二さんの身体に、何か暖かいものを感じた。


かなちゃんも何かを感じたようで、2人で目を合わせる。




「…あ…か…り…いい…のか…?」


「…?」


「俺みたいな…くずで…本当に…」


「龍二じゃなきゃ…龍二じゃなきゃだめなんだよッ!」




その瞬間…ダストの光が強くなった。

俺は龍二さんの身体を見渡したが…特に変わった様子もない…

しかし、触れている龍二さんの身体は、さらに暖かくなっていた。




『…気づいたんだ。奥さんもいなくなって、俺を必要としてくれる人間が、この世に一人もいなくなってしまったことに。』




もしかして…

龍二さんが失ったモノは、仕事でも奥さんでも無く…。

「誰かに必要とされている」という漠然とした感覚だったんじゃないのか…。


一番大切な人を無くして…

自分が生きている意味がわからなくなった…


だとしたら…取り戻せる…

龍二さんの失ったモノ…




「朱里さん!もっと…もっとたくさん伝えるんだ!龍二さんに、貴方の想いを!」




俺がそんなこと言わなくても

朱里さんは言い続けた。





「龍二ッ!大好きなのッ!あなたが楽しそうに話す海の話!…グランブルーの話!好きなことに夢中になることができるあなたが、私は大好きなのッ!」


「心配する私に気をつかって…龍二は私をダイビングに誘わなかった…。私は龍二の想いを知っていたから何も言わなかった…。けど、本当は、あなたと一緒に海に潜りたかった!」


「龍二がいなかったら…私が困るの!あなたのタメなんかじゃない!龍二は、あたしのために…この海のために必要なのッ!」




なぜ龍二さんを好きなのか。

龍二さんが自分に何をしてくれたか。

龍二さんがなぜ生きていく必要があるのか。

どれだけ彼が必要か…


気がつけば日が暮れるまで、何度も何度も、声が枯れるまで…大きい声で。

水と涙で顔をぐしゃぐしゃにしながら…朱里さんは叫びつづけた。











陽が落ちる頃になると、龍二さんの身体には色や温度が戻ってきていた。


完全ではないにしろ、もう内臓もほとんど見えない。

大分色が戻ってきた。もうきっと大丈夫だろう。




「…ねちゃったみたいです。」




龍二さんも龍二さんも、いつの間にか眠ってしまっていた。

とても疲れたんだろう。


当然だ。


俺とかなちゃんも、すでに水をかける手をとめていた。

今は身体を温めることが必要だ。




「2人…これから上手くいくといいですね。」


「…うん」




恋人ではないと言っていた2人は。

きづけば恋人のように寄り添っていた。


きっと平気さ。




「つかれたね。」


「…はい。」




海をみる。

沖縄にきてから何度も海を見たが。

時間が変わるだけで、場所がかわるだけで…

こんなに表情が違う。


龍二さんと朱里さん…

上手くいくといいな。


きっと…俺にはできない生き方。

どうか幸せになってほしい。




「…」




かなちゃんは、寄り添って寝ている2人をじっと見つめる。

水のしたたる船の上が、夕日に照らされてキラキラ光る。

幻想的な、フォトモンタージュのように美しい場所。




「イノさん…」


「ん?」


「私にも…いつか…素敵な人が現れるのでしょうか。」




素敵な人…




「…現れるよ。」


「…本当ですか?」




海をみると…その広さに驚かされる。

地平線の先までずっと続いている海…


たくさん海を渡ったが…

今まで…こんなに海をまじまじと見たことがあったろうか。





「絶対現れるよ。」


「…イノ…さんにも?」


「…え?」


「イノさんにも、素敵な人が…現れるんですか?」


「…」





とても広大で深い海の音が

沈黙を繋ぐ





「そうだね…」





俺は、かなちゃんのまっすぐな視線に気づいてしまった。




「…」


「…イノさん?」


「もしかしたら…もう現れてるのかもしれないね。」


「…」







No11.篠海龍二

能力名:グラン・ブルー(命名・執筆:失慰イノ)

種別:亜人系 瞬間効果型

失ったモノ:誰かに必要とされること


海に潜ることで、自らの身体を水性化させる能力。

現実逃避と海への異常な憧れから能力が発言したと思われる。

水性化した身体は徐々に透明になっていき、水が滴りだす。

身体の水分を常に対外へ放出し続けるようで、ずっと喉が渇いているらしい。

失ったモノを得たため能力消滅。

龍二さんと朱里さんは付き合い始めた。



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