02 束の間の休息
「――…さて。これから、如何するか?」
…万全を期して挑んだ儀式――僧侶認定試験・「
…――時刻は午前10時ほど。昼にするには早過ぎ、宿屋「小麦色の猫亭」で二度寝するのも少々憚られる…。……嫌いではないのだが……あの宿屋の娘・ルルのお相手を此れから丸半日するのは、流石に嫌すぎた……。「如何したものか?」っと。今だ受験者達の長い行列の出来る、大聖堂前の広場の噴水の縁へ腰を下ろし。軽やかな、水が滴り流れる音に耳を澄ませ。周囲に見える小さな出店や露店、そして楽し気に危なっかしく走る子供達が遊ぶ光景をぼんやり見ていると。ギュゥッ――っと小さく腹が鳴る。……小腹が空いた、微妙な腹加減に。本当に如何しようかと悩み始め……ふと、子供達が手に持つモノに目に留まる――…。
……直径3センチぐらいはありそうな、少し歪なきつね色の球体?が3つ木串に刺さった"お菓子"――"スフィー"を片手に持ち。口の周りをベタベタにしながら、食べ終わった木串でちゃんばらをしだす様子を見て。もう一度、腹の虫が鳴った頃……ユスレスは立ち上がり。広場の端でせっせとスフィーを揚げている出店を見つけ、真っ直ぐに、そちらへ歩いて行く…。そうして近づいてきたユスレスへ、愛想のよい。商売人の笑顔で迎えてくれた、スフィー売りの親父さんに一本売って貰うも。代金5ルカ(丸鉄貨で1枚)という、ユスレスが知っているスフィーより約1.5倍程する値段に少し驚いていると。ちょっと悪そうな顔で親父さんが「うちは、主に油を扱ってる商会の露店だから。ちっとばかし、お高いのさ。」っと笑い。その代りいい油を使ってるから、美味いよ――っと言うので。
そのまま、代金を支払い。油屋印のスフィーを手に、出店のすぐ横に。都合よく植えられた、低めの街路樹の滓かな木陰が落ちる。丁寧に削られた、石の腰掛へ座り直し。早速、スフィーへと齧り付いたユスレスは。その味を噛み締め………一言。
「………あまっ。」
シンプルかつ、完璧なスフィーへの感想を口にしたユスレスに。小さく笑い声を上げる、スフィー売りの親父さん……。
沸騰させた水にバターを溶かし、適量の小麦粉を入れ練り上げて。溶き卵で程よい固さに伸ばし、薄い柔らかな革の絞り袋に詰め。薄く油を塗った鉄板に丸く絞り、その生地を熱した油へ落としてこんがり揚げ…。最後に粗熱を取った後、たっぷりの薄茶の三等砂糖――驚く事に、手間な粉砂糖にしたもの――を
既に自身も買って食べている事に、開き直って。引き続きスフィーを堪能していると。遠くで、呆れた事に……ここの出店のものであろうスフィーを、3つも手に持ち。「祈心の試し」の列の中、平然と立ち食いする受験者が目に留まり。同じく目に留めたであろう、硬派な神官によって何かしら注意を受け。……哀れ、スフィー全没収を受けた若者の姿を見ながら。すっかり食べ尽くした、スフィーの木串を手持ち無沙汰に振り。喉が三等砂糖の少しくどい甘さに悲鳴を上げ始めた頃、気を利かせた親父さんから――一杯1ルカ(円鉄貨1枚)の香料水を売りつけられ…。渋々、それを購入し。爽やかな清涼感のある多年草の
――…暖かな日差しが広場へ照らし。まだ少し冷ややかな…サラリと吹くそよ風と、サワサワとそよぐ緑葉の音が心地良い……。
春期・「水礼の月」の7日目……4日後に控えた『
「……まぁ、また来ればいいさ……。」
…意気揚々と古巣の田舎教会から出て来たというのに、何とも締まらない……。
そんな事をぼんやり思い……あ…っと、少し問題に成りつつあった事案を思い出し。ゆるりと、その視線を自身の右手へ移し……溜息を零す…。
「…如何するかな……。」
ユスレスの視界に映る、右手の甲部分のみが四角く繰り抜かれた黒い手袋…。その四角い窓からは。今日早速、新たな刺青が足された僧侶印と――四級・認可薬師印が見える筈だが……。その部分、手首近くまでは窓が広がっておらず。残念ながら、その横棒に黒丸の刺青の姿は見る事が出来ない…。薄く柔らかな黒皮の窓をグッと人差し指で引っ掛ければ、その姿は容易く拝めるが。やはり一目で、その印を確認できるに越したことはなく。そもそも、毎回そうやって窓を引っ張っていたら流石に丈夫な革であっても"傷み"が出てしまう。
大聖堂側からも「僧侶印・神官印(※神官にも別に印がある)は、出来るだけ外からでもすぐ確認できる状態を心掛ける様に。」っと御達しがされており。今はまだ、僧侶印も一段階目だが。五段階目辺りからは十字の先端部に印を押していくので。将来的、もっと高位の僧侶を目指すのなら避けては通れない事で。そうすれば今の革手袋では、余りよろしくはない……。なので、そのうち最低でも窓を大きくするか。新たに手袋――穴あき(手の甲)革手袋を特注しなければならなくなる。勿論、一番の解決策は「手袋を外す。」であるが――…。
「――…論外だな。」
っと、バッサリとそんな発想を切り捨て。そんな、何か一人でポツポツと"独り言"を呟くユスレスの様子を。面白気に横目で見やってくる、スフィー売りの親父さんの視線に気づき。うっ……と心中で小さく呻きながら。気まずく…軽くそっぽを向き、残りのミット水をガッと飲み干すと。カツンっと音をたて、肘掛けに木のコップを置き。その儘立ち上がり、ユスレスが歩き出すと。「まいどあり~」と、間延びした親父さんに声を掛けられ。それに適当に手を振って、それを応え替わりに立ち去って行くユスレス……。
――…スフィー売りに捕まって、たっぷり30分は時間を浪費したものの。…されど30分しか潰せず、まだまだ昼食には早過ぎる感が否めないと感じ。折角王都へ来たのだからと、少しばかり見損ねてしまっていた大通りの散策にでも行こうと舵を切り始めた時………。
「――あ、あのっ!すいませんっ!!…えっと、"ユスレス…スミンズ"?さん?で、合ってますか?ちょっと、お話したいんですけど。いいですか?」
「………。」
誰だお前……という昔の癖で、少し乱暴な言葉が出かかるのを何とか留め。その反動で直ぐに答えを返せず、沈黙してしまった事に心中嘆息するユスレスは…。目の前へ突然、姿を現した――艶やかに整った明るく短い茶髪に、くりっと大きい青の瞳と。…農民・下民では在り得ない、綺麗な白磁の柔肌を讃える。愛くるしい美しさのある、仕立ての良さそうな服を着た"見知らぬ美少女"は。何故か、自身の問いに沈黙するユスレスを不思議そうに見て。ひとしきり眼をパチクリさせ、ユスレスの返答を待っている…。
「…君の名前は?」
「へ?」
一応…最も無難で、早急に確認しておきたい彼女の"名前"を問い返したが。何故かそれを聞いて困惑の表情を滲ませ、「何言ってるの?この人?」みたいな目と反応を返され。思わず眉が僅かに寄り、彼女のその反応の意味が解らず。少なからず苛立ち始めたユスレスの心情を………恐らく、全くと言っていい程に、悟れていないであろう少女は。あッ!!……っと何かを思い出したかのように叫ぶと。ほわほわとした雰囲気を崩さず、ユスレスへ話しかける。
「ごめんなさいッ!私てっきり、貴方は話の名前知ってるかと勘違いしちゃって。」
「はぁ……。」
「あの時、貴方はもう居なかったから、知らないのは当然だったのに。ごめんなさいね?私、ちょっと、"おっちょこちょい"みたいで…。」
「……あの時?」
若干噛み合わない会話?の中の、"あの時"やら"居なかった"という言葉に。ユスレスは、僅かに引っ掛かりを覚え――…その"答え"らしきものに辿り着く……。
……恐らく。この少女がいう"あの時"とは、今日ユスレスが受けた「
「改めまして!私の名前は"アミラ"――アミラ・トートンと言うの。よろしくね、ユスレスっ!!」
「ああ、此方こそよろしく、トートン。」
「もうっ、アミラって呼んで!私達はもう"お友達"でしょ?」
「……お友達。」
"心を開こう"……そう思って、こんなに早く後悔出来るものなのか…。予想以上に気安く、若干厚かましく早急なアミラの「お友達宣言」に。今度こそ頬を引き攣らせ、小さく狼狽するユスレスを見て。アミラは一瞬怪訝そうな顔をしたが、直ぐに取り繕い。唐突に、ユスレスの左横へ回ったかと思うと……。
「――ッ!!お、おいっ。」
「うふふ、そんな驚かなくていいのに!…さっ!行きましょ!!私、今甘いものが食べたいのっ。」
「は?え、ちょっ……。」
唐突に……ユスレスの左腕へ手を差し入れたアミラは。其の儘、ユスレスの左腕に自身の差し入れた手を巻き付け。ユスレスの非難の声を適当に流し、グイグイと腕を引いて何処かへ向かってゆくアミラに。終始困惑と僅かな苛立ちが募る、自身の状況に歯噛みするも。……正直……自身と同じぐらいの歳頃の"異性"との交遊経験が、ほぼないと言っていい僧侶ユスレスに。アミラの様な見掛けはしっかり可愛く美しく、しかし…気が強いだけの我儘な女性の「正しい捌き方」など知りようもない……。因って。ユスレスはアミラに
…本当の処の事情を知らない人々からの、欠片も嬉しくない視線をマチマチに受け。もう全てがどうでも良くなってきた、ユスレスの"死んだ眼"に。誰も気づかないと思われた、その時――…。
「――おっ!いらっしゃぁ…い……。」
……聞き覚えのある男の声が聞こえ。はっ、と意識を引き戻すと。ユスレスはいつの間にか、数分前に立ち去ったばかりのあのスフィーの露店まで戻ってきており…。そのスフィー売りの親父さんは、さっき立ち去ったばかりのお客が数分足らずで戻って来たかと思えば。どこぞの見知らぬ美少女と親し気に腕を組み、何故か死んだ眼をしている構図に困惑を隠せない様子であったが。そんな、二人の何とも言い難い空気に気づく事無く。アミラは元気よく、親父さんへ声を掛ける。
「美味しそうねっ!うーん、じゃあ、コレを頂戴!」
「あぁ、はいはい。お代は……。」
客であるアミラの声に、何とか反応し愛想よく応える親父さんは。スフィーを手渡し、アミラからお代を貰おうとするも。其の儘スフィーを手に持つと、脇目もふらず露店横の腰掛の方へ迷いなく向かって行ってしまったアミラを見て。親父さんは少し怪訝そうな顔をし……ユスレスの顔を窺ってくる。それに、ユスレスは致しかたなく……。自身の
「あ、ごめんなさい!私、ミット水苦手だから……ユスレスが飲んで?」
「……ああ、そうする。」
思わず、コップを力一杯に握り潰したくなったが……。折角ただで施してもらったミット水と、安価な木製コップでも店の備品を壊す訳にもいかず。堪えて平静を装いながら、有難くミット水を貰い。口の周りに油と砂糖を着けぬよう、お上品にスフィーを頬張るアミラの横へ仕方なく座りミット水で口を湿らせると。そろそろ、ユスレスに一体何の話を聞きたいのかを聞く為。気乗りしないながら…ユスレスからアミラへ話を振るが……。その声、顔は既に隠しもしない"素"のもであり。アミラへ当初向けていた、なけなしの"丁重さ"は最早なくなっていた…。
「それで…確か、俺に何か話があるんだったよな?何なんだ?」
「………"お話"って?」
「…始め、お前が俺に話しかけて来た時言っていただろ?何なんだ?俺は別に、お前と知り合いでも何でも……。」
「……"お前"って言わないで…。」
「え?ああ、それは悪かった…。で?話ってなんだ?俺は…明日には王都を出るから、あまり時間を…――。」
「――えっ!!そうだったの?なら、早く言ってくれれば良かったのにっ!!王都は初めて?そうよね?じゃあ、私案内するから行きましょ!いっぱい好い所、知ってるのよ私っ!!」
「……。」
妙に
「――…案内なんて要らない。それと、俺はもう、お前とは話したくない。」
「え?要らないって……だからッ、"お前"って言わないで…!…。」
「…何度でも言うぞ。俺は、もうお前と一緒に居たくなんか、ない。………もう、十分だろ?」
「!?」
今までにない、明確な"拒絶の言葉"を並べられ。暫く驚愕の表情を浮かべ、固まったアミラだったが。その後直ぐ、我に返ると。ユスレスへ…終始みせていた"愛らしい美少女"の仮面を脱ぎ去り。その整った美しい顔立ちに、険しい"苛立つ女"の表情を張り付け。くりくりとした瞳の目尻を吊り上げ、ユスレスを睨み上げるアミラに対し。特に痛痒を感じる事無く。にべもなく、言葉を続けた。
「…別に……お前が何を思って、何が遭ってこんな事をしているかなんて、興味なんかないが…。流石に、我慢の限界だ。」
「……。」
「悪いが。俺にお前の求める物を求められても、応える気は毛頭ない。……他を当たってくれ。」
「…………何を偉そうに…。」
小さく…低い声音を零したアミラの、豹変の仕方に。特に驚く風でもなく、何ら臆さない態度を崩さないユスレスに。アミラは更に顔を顰め、睨み言い募のろうとするも…。それを許さないユスレスの言葉の"防壁"に阻まれ、それは敢え無く頓挫される……。
「…そうだな?でも、それはお互い様だろ?」
「……ッ!…。」
「ここに居座っても。また砂糖だらけのスフィーと、お前の嫌いなミット水しかないが。それでもいいなら、好きにしてくれ。」
そう言って。ミット水を飲みながら素知らぬ顔で寛ぎ始めた、ユスレスの嘘ではなさそうな態度に。アミラは口を開きかけ…閉じると。腰掛から立ち上がり……その刹那、手に持っていた食べ掛けのスフィーをユスレス目掛け投げつけるが…。それに動ずる事なく、ユスレスは素早く左手を伸ばし。見事、空中を飛翔していたスフィーの木串部分を掴み。アミラの呆れた"当てつけ"の道具とされた罪なきスフィーを救い出す。すると、その思いもよらぬ早業にアミラは驚きに目を見開くが。すぐその表情を険しく歪め、最後に一睨みして足早に怒り足でその場を後にしていくのを見送り。その姿が十分に小さくなった処で……。ユスレスは盛大に、溜めに溜めた溜息を吐きだし。グィッとミット水を飲みその鼻を抜ける清涼感に、ホッと息をつくと…。今迄の一部始終をバッチリ見ていた親父さんは、苦笑した様子でアミラの後姿を追っていたが。ふい、っと視線をユスレスの元へ戻すと。又も人が悪そうな笑顔を見せ、ユスレスへ気さくに話しかけてくる。
「――…いや~、お客さん…いや、僧侶様。災難だったねぇ…。
でも、アレは凄い。ここで何年か「
「……それは、誉め言葉なのか?」
「勿論!誉め言葉ですよ、僧侶様っ!」
「……。」
……いち"善良な僧侶"として。微妙に貶しているのか、誉めてるのか良く分からない親父さんの言葉に。何度目かの溜息が零れるユスレスだが。はた、と……アミラが今しがた投げつけて来た、食べ掛けのスフィーが目に入り。暫し考え後……食べ掛けのスフィーの両端を、両手の手の平の先に乗せ姿勢を正すと。囁く様に…静かに、その"言葉"をユスレスは紡ぎ始める――…。
「――我らが貴ぶ、偉大なる"
貴方の肉、貴方の血により生じ。貴方の微笑によって実る、この"食物"を。どうか、貴方の元へお返しする事を御許し下さい…。この、貴方によって育まれた"恵"に報いれれますように。どうぞ、私の"祈り"を御聞き届け下さい……。」
厳かに響く、ユスレスのその"祈り"に応える様に……。両の手の平に乗せていた、食べ掛けのスフィーへ。ふわりと…淡い光が灯り。その瞬間、スフィーは音も無く淡い光に溶け消えると。ユスレスの手へ残ったのは、さっきまでスフィーが刺さっていた筈の裸の木串のみ…。その光景を見て。ユスレスは無事、自身の"祈り"が届いた事に安慮の息を吐いた時……。
「…こりゃ凄い……まさか…生きて、この目で"
…ユスレスが何か始め出したのを、横から、興味半分で見ていた親父さんの。多分に"畏怖"と、"敬意"が込められた声が響き。しまった……っとユスレスが思うのを他所に。親父さんは、数秒間…ユスレスの手に乗った一本の木串を真剣な眼差しで見つめていたが…。その後「……いいモンを見させて貰ったよ。」っと小さく、呟きを溢すと。次の瞬間には"何事もなった様な顔"で、ユスレスを見つめ。
ニカっ!…っと笑う親父さんの「七変化」に、軽く驚き、気が抜けたユスレスへ。
今度は突然、申し訳なさそうに眉を下げ。親父さんは、ある事実を話し始めた…。
「…あー、後さっきの。アミラって娘の事なんだが…。実は、自分……ちょっと知ってたんですがね…?」
「………それは、どういう…。」
「いや!悪かったよっ、謝るから許してくださいよ、僧侶様っ!この通りっ!!」
「……。」
親父さんの唐突な、「実はあの子の事、知ってました発言」に。思わず流され、不可解そうに顔を顰めたユスレスを見て。慌てて両手を包み込む様に握り、肘を横へ突き出す様にして。その手を前へ出し、頭を下げる(手の平を合わせ、合掌して謝ってるみたいなイメージ…)親父さんの姿に。多少なりとも毒気を抜かれ、「…口が上手いなぁ。」っと心中で呟きながら。構わない、っと伝え許しを与えると。ホッとした容姿で、頭を上げた姿勢を正し直した親父さんを見て。ユスレスは気になった、先の言葉の真意を親父さんへ問い掛け始める。
「それで?"知っていた"とは、どういった事なんだ?……まさか、知り合いなのか?」
「いやいやいやっ。知り合いでは、ないんですがね?ちょっと、ウチの商会繋がりの"噂"で、耳にしたというか。チラッと、眼にしたというか……。」
「…?」
…以外にも、いち商人らしからぬ曖昧な煮え切らない言葉に。ユスレスが首を傾げていると。親父さんは頭を掻きながら、「…僧侶様に嘘つけねぇしなぁ…。」と弱った風な言葉を零すも。そんな表情をコロッと変え。ユスレスへまるでいたずら小僧が今まさに、"いたずら"を決行しようとしているかの様な……。逆に気持ちがいいぐらいの、"したり顔"を向けて。「…ここだけの話しにして下さいよ?」っと、囁く様に言うと。…「ちょっと訳アリの娘」・アミラについての話しを、ユスレスへ粛々と語り始める……。
――…どうも、アミラという娘は。この王都アルカンデラの中心域に店を構える、大商会・『トートン商会』を率いる"頭領"の一人娘であるらしく…。昔から王都に在り続けている、「老舗・宝飾品販売卸売り業者」の可愛らしい"お嬢さん"として。その筋では有名な、元は"普通の美少女"だったのだが……。彼女を生み落とした際、体の弱かった母親は力尽き、帰らなぬ人となってしまった為…。その妻の忘れ形見であるアミラを、父親である頭領は甚く可愛がって可愛がったので。そんな甘やかしに慣れ切ったアミラは、美しく可愛らしいその容姿で我儘を言い続け。その我儘を娘可愛さを言い訳にして、ある程度目を瞑っていた頭領だったが。つい最近……。贔屓の太客であった上級貴族家の本物の御嬢様へ、「成人祝い」にと特注の豪勢な髪飾りの発注があり。何ヶ月も掛けて。お抱えの宝飾職人達との話し合いや、他商会にしかない…如何しても使いたい商品の仕入れや交渉を経て。出来上がった、"最高・最上級の髪飾り"を………。
あろうことか。今日から数日前――品物納品日の前日に、何とアミラがその髪飾りを持ち出し。身に着けるまでは良いが、其の儘外へ友人(取り巻き)と共にお茶へ繰り出し。
ちょうど運悪く、その修羅場に遭遇し固まっていた"見習い従業員"の青年は。アミラが投げ捨てた髪飾りの、ちょうど飛翔沿線上に居た為。見習い青年は咄嗟に手に持っていた、高級反物の見本の布束で見事髪飾りを捕まえたが。……徹夜就労で悲鳴を上げる職人達のちょっとした不手際か……髪飾りに付いた宝石――「一級魔石」の小石が数個取れて、布束の上に転がったのを全員が(アミラ除き)青ざめた顔で見たが。石に傷はなく、再取り付けも可能であった為。今度はしっかりと専用の薬剤で固定し。無事、何事もなかったかの様に納品が叶ったが……。それから、娘の我儘さ加減に目が覚めた頭領は。アミラを自ら嗜める事が多くなり、過度なお小遣いもあげなくなったらしいが。今迄の我儘放題の反動で、今ではその他大勢の"囀り女"の一人として。その美貌の評判を落としつつあるらしい……。
……因みに、先の見習い青年は。その危うく商会急転落という危機を防いだ"功績"で、「見習い」から「普通役員(一般従業員)」へ昇格するという。「棚から牡丹餅」ならぬ、「アミラから髪飾り」という……ただの偶発的な"幸運"によって。非常に愉快な「商人人生」を踏み出しているという…――。
「――…なるほど。あの子の事情は分かったが…………随分と詳しいな…。」
「そりゃぁ、自分だって"商人の端くれ"ですからね?このくらいの、噂話も掴めなきゃぁ、商人なんて名乗れませんからねぇ…。」
「そうか…。」
親父さんの、"商人の端くれ"という言葉に少しばかり…胡散臭いなぁ、と思いながら。ユスレスは最後のミット水を飲み干し……空を仰ぎ見てから、顔を顰める…。その様子に何か感じたのか、親父さんが気遣わしげにユスレスへ「どうかしたかい?」と尋ねると。ユスレスは気持ち元気のない、小さめな声で。ある事を…。親父さんへ、密かに告白する……。
「…実はあの……アミラと、一緒にいた時……"祈った"んだ………。」
「ほぉ?祈ったって……うーん……何に祈ったんだい?」
「…『神』だ……私の、"守り主"(※「弔いの神」)に……"祈って"しまった……。」
「……ん?」
何となく、ユスレスの口調が変わり。一体、何を憂いているかと思えば……。
自身の"守り主"――自身が奉ずる『神』に、"祈って"しまった事に。何故か、非常に残念がり……"後悔"してさえいる様子に。流石の、百戦錬磨(…かは、判らない)の商人である親父さんも。…何のこちゃっと…思考が付いて行かず、処理に困ったが……。ユスレスの、その後投じられた言葉により。それは、直ぐに、氷解する――…。
「…"守り主"に……つい、魔が差したばっかりにっ…!…。」
「…ばっかりに?」
「く、くだらない!……あの
まさか、"守り主"へ……祈りを捧げてしまうなんてッ…!!…。」
「………。」
そんな、ユスレスの。器用に大声にはならない声量の、けれどしっかりとその内情を叫び上げた様子に。親父さんは、「そ、そうか。それは……ざ、残念だったなぁ。」っと若干震える声で慰めの言葉を贈るも。その顔と喉は密かに痙攣しだし、口へ手を伸ばし覆い隠す様に塞ぐと。その顔・体をユスレスが座っている方とは真逆の、あらぬ方向へやると。その大きな格好の良い体を震わせ、それに耐える様に空いた手を腰に添えるが。其れは全く効果を発揮せず、声は漏れないまでも。その手で隠しきれていない顔上部はからは。優し気な茶色の瞳が潤み、目尻に微かに涙が溜まっており。その同じく茶色の短い前髪から覘く眉は、喜んでいるとも悲しんでいるとも判らない形に歪んでしまっていた……。
…そんな、親父さんの状態――――必死に笑いを堪える汚い大人の、"挙動不審"な態度に気づかず。
ユスレスは顔を黒手袋をした両手で覆い、肘を膝辺りに付ける様にして項垂れ。何事か、ぶつぶつ「…ああ、何て事を…。私…私は……。」っと唸り始め。元々少し暗い…根暗そうに見える黒髪黒目(今は瞳は見えないが…)も相まって。ちょっと僧侶らしからぬ、黒い空気が漏れ出しているかの様な様子に。偶々、そんなユスレスを見た通行人がギョッと、体をビクつかせる…。そんな周囲の反応に気づいた親父さんは。「この儘だと、客が寄り付かなくなるかも…。」と危惧し。漸く、笑いを納めると……。
今だ、余程ショックだったのか…。本当に元気がなくなっているユスレスの姿に、僅かでも苦笑を隠せない親父さんは。仕方ないなぁ…、っと言った様子で。たっぷりの茶砂糖の
「――――あんたは…本当に、
っと。何とか聞き取れるか、聞き取れないかといった声音で。ポツリっと、そんな事をひっそり……零したのだった……。
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