第7話

「藍に触るな!!」


 お父さん、私が抱きついているんだよ。鷹木さんは支えているだけだよ。

 この子と私を助けてくれると言ってくれた人だよ。

 鷹木さんの手の温かさに、お父さんを見上げた。


「お父さん、私、産みたいです」


「馬鹿を言うな! お前はまだ高校生だ! 子供だ!」


 そう子供だ。

 だから先輩は逃げた。

 私だって本当は妊娠を無しにすればと思ったけど、あの日のお母さんが私の中にずっとある。


 最後まで助ける


 最後っていつまで?

 最初にこんな事になって、後悔してない?

 鷹木さん、ごめんなさいごめんなさいごめんなさい。


 手を離せなくて、ごめんなさい。


「これくらい織り込み済みだよ。大丈夫、俺、丈夫に出来てるから」


 背中に触れる大きな手が温かい。


「丈夫でも、痛いのは変わらないよ」


「ちょっと我慢するだけで済むよ。お得でしょ?」


 ゆっくり離れた鷹木さんがその手で私の涙を拭う。

 彼の笑顔が私にも移る。こわばっているのが自分でも分かったけど。


「藍!!絶対許さん!! 絶対に許さんからな!!」


「あ、あなた!」


 お母さんを振り払ってお父さんがリビングを出て行き、お母さんが追いかけて行った。


 追いかける気にもならなかった。

 冷凍庫から保冷剤を取り出し持っていたハンカチにくるんで鷹木さんにあてる。

 一瞬眉間に皺が寄った。


「ごめんなさい、こんな事になるなんて・・・」


「織り込み済みって言ったでしょ。あんなに怒るなんて大事にされてるね」


 でも。

 お父さんは、あっさりと「堕ろせ」と言った。


 私が子供だから仕方のない事なんだろうけど・・・


 頬に手が触れる。さっきの様に。


「泣かなくていいよ。お父さんも突然の事だったから混乱してるだけだよ。ま、冷静になったとしても簡単には許してくれないだろうけど」


 なんで鷹木さんは笑えるのだろう。

 何がこの人の強さなんだろう。

 私に会ったばかりに、理不尽に殴られたのに。


 私の不安を無くそうとばかりしてくれる。


「ねぇ藍さん。こんな短い付き合いじゃまだ不安だろうけど、最後まで一緒にいさせて?」


「・・・最後って・・・?」


「そりゃあ最後の最後は、どちらかが墓に入るまで、さ」


 ・・・そこまで・・・


「俺はその覚悟があるって覚えていて。いつか、藍さんがやっぱり無理だと思うまででいいから」


 へにゃりと笑う。

 駄目だよ

 安心しちゃうよ

 頼りきっちゃうよ


「・・・鷹木さんは、やっぱり無理だと思う?」


 無理のある事だと思い始めた。

 だって私たちは、恋人でもないし、友だちだった事もない。

 申し訳なさすぎて、確認すると、鷹木さんはふふっと笑った。


「考えてみてよ藍さん。俺は25歳だ。16歳の嫁さんなんてそれだけで最高だよ?」


 おどける鷹木さんに、ほんの少し呆れてしまった。


「それだけでも俺は生きる事にハリが出るよ。なんたって可愛いし」


 か、可愛い!? 

 言われなれない単語に赤くなる。友だち内では言われた事はあるけど、男子から言われた事は今まで無い。先輩にも言われなかった。

 そんな事を知らない鷹木さんは、また私の手を取る。

 ・・・手を取るの、好きなのかな。うぅ、今ので手汗が・・・


「言ったろ? バイトしてた時からいいなと思ってたって」


 ますます赤くなった気がする。今、そんな場合じゃないんだけど・・・

 うらめしく鷹木さんを見れば、鷹木さんも少し赤くなっていた。


「まさか、こんなに近づくとは思ってなかったから、触って確認しないと妄想なんじゃないかと思うんだ。嫌だったら言ってね」


 そして、少し声をひそめて続けた。


「それに、君は若い。いつか俺より相応しい男が現れる。

 だから君が無理だと思うまで、だ。これも保証する」


 鷹木さんが不安に思っていることを知って、ちょっとだけ笑ってしまった。

 私よりずっと大人だけど、不安がない事がないことにちょっと安心する。


 嫌じゃない。それが伝わればいいと握り返した。




「仲が良いのね」


 二人でびくりとして振り向くとお母さんは苦笑していた。


「お騒がせしてすみません」


 鷹木さんがサッと正座をする。


「確かに驚いたけれど、騒いだのはこちらだわ。頬は大丈夫?」


 私たちの正面にお母さんも正座をしながら、鷹木さんを気にかける。


「はい。一晩冷やせばそんなにひどくなりません。学生の時に経験があります」


 どんな経験!?と気になったけど、それは後で聞こう。

 今はお父さんの事だ。どう聞けばいいのか。


「お父さんも、少し時間を置いた方がいいわね」


「すみません。明日も来ます」


「あらそう? 古風ね」


「古風も何でも、許してもらう為なら毎日通います。藍さんに安心してもらえるように」


 お母さんはゆっくり微笑むと、私の方に体を向けた。

 私も畏まる。


「どうしても産みたいの?」


「はい。わ、私は、私の出生の経緯を聞いた時から、中絶はしないと決めてました」


 説教ではいつも丁寧語になる。緊張するから。


「・・・それは、嬉しい事だけれど、早すぎる事には変わらないわ。私も反対です。あなたはまだ高校生になったばかりで、親になるよりもまだ友だちといる時間が必要よ」


「確かにそうだと思います。お母さん、私はまだ高校生になったばかりの子供ですが、それでも、この子を産んで育てたいのです」


 お母さん。


「私、お母さんのようになりたい」


 お母さんの真っ直ぐな目に立ち向かう。

 いつも優しく穏やかで、趣味の華道に向かう時は凛とした雰囲気になる。

 お父さんが仕事で忙しくても寂しさがあまりなかったのは、お母さんがたくさん構ってくれたから。


 だから、一人でも産もうと思った。



 冷静になったとしても簡単には許してくれないだろうけど



 そうだね、鷹木さん。

 一人じゃ何もできない事に打ちのめされたけれど、あなたがいてくれるなら。


「早すぎます。反対です」


 ・・・うん。


 鷹木さんがいつも手を繋いでいてくれるなら。


 何度でも。


「それでも、お願いします」


 指先を揃え手のひらをつき、いつか作法として教えられたお辞儀をした。










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