第6話

 頼りない感触の紙に、白黒の写真がプリントされている。

 教えてもらわなければ何が写っているか分からない。

 それをタクシーの中でもずっと見ていた。


「家に電話を入れていて良かったね。想定してたよりも遅くなっちゃったなぁ」


「あ、すみません!」


「うんまあ、俺としても都合は良いからいいんだ。この時間ならお父さんは居るかな?」


 にこやかな鷹木さんの表情にホッとした。


 検査をして、産婦人科のドクターから妊娠九週目かな?と言われた。

 やっぱりとショックを受ける事も何も考えられず、写真から目を離せなかった。服の上からお腹にも触れる。

 一緒にいてくれた鷹木さんを振り返った。

 その笑顔に泣いてしまった。


 大変な事はこれから山の様にある。

 まずは私の両親を説得しなければ。


 お父さんはだいたいこの時間に帰ってくる。

 確かに早く話をしなければならないから鷹木さんが都合がいいと言うのも分かるけど、ものすごく緊張してきた。


「そんなに緊張しなくて良いよ。ってのは無理か。実は俺もちょっと緊張してる」


 と、へにゃりと笑いながら右手で私の左手を包む。

 私もその温かい手に笑った。



 家の前でタクシーを降り、玄関を開ける。

 お父さんの靴があった。

 緊張が高まったけど、今までより少し強めに握られた手に勇気をもらった。


「た、ただいま~」


 裏返った声に、隣で鷹木さんが小さく噴いた。恥ずかしい・・・


「ふふっ、ごめんごめん。可愛いなと思ってさ」


 小声で言われてますます恥ずかしくなった。

 いやだって、男の人どころか男の子だって一人だけ家に連れて来た事が無いんだもん。余計に緊張してしまった。


 パタパタとスリッパの音が近づく。


「お帰りなさー・・・あら」


 キッチンから現れたお母さんが目を丸くした。


「こんばんは。突然にお邪魔して申し訳ありません。鷹木と言います。ご挨拶に伺いました」


 穏やかに言って頭を下げた鷹木さんに、お母さんはあらあらあらあらと驚きながらも、鷹木さんと私の手が繋がれたままなのを見ていた。

 怪訝な顔をされなくて、少しだけホッとした。




「良かったわぁ。今日はお肉が安かったから、残った分は冷凍しようと思ってたくさんハンバーグを作ったのよ」


「突然に来てしまったのに僕の分まですみません。ありがとうございます。デミグラスソースだなんて手が込んでますね!」


「うふふ。実は戸棚の奥にしまいこんでいた缶を見つけたの。少し手は入れるけど簡単で美味しいのよね。期限切れになる前に使えて良かったわ。三人で食べるには多いから来てもらって丁度良かった。遠慮しないでどんどん食べてちょうだいね」


「盛り付けもお店で出される様に綺麗ですね。写真とっても良いですか?」


「嫌だ~、恥ずかしい!」


 初めて訪れた彼女の家でその母親とここまで会話できるのは大人だからなのか、そういうスキルを持っているからか・・・それとも自分で思うよりも母親が特殊だったのか・・・


「少し静かにしなさい」


 いつもよりも格段に低い父親の声にビクリとしたのは私だけだった。

 先に食べ終えたお父さんは席を立ち、ソファのいつもの場所に座り、いつもの様にテレビをニュースチャンネルに変えた。


「そうですね、美味しそうな食事に昂ってしまいました。失礼しました。では、いただきます」


「私もうるさくしてごめんなさいね。さ、温かいうちに召し上がれ」


 お母さんは私にもにこやかにご飯をくれる。

 でも、嵐の前の静けさなんだろうと、お父さんの気配に大好きなハンバーグを味わえなかった。


 お母さんはそれを分かっていて、明るくしていてくれている。

 砂を噛んでいるようという表現はこういうことかとぼんやり思った。

 あの食堂と同じペースで食べる鷹木さんを尊敬する。



 お父さん以外の三人で会話は続き、洗い物を終えたお母さんが改めて冷蔵庫から麦茶を取り出してコップに注ぐ。それをお父さんのいるリビングに運んでお母さんもソファに腰を降ろす。


 それを確認して、私たちはリビングの床に並んで正座した。

 お母さんもそれには何も言わなかった。


「改めまして、鷹木祐介と申します。藍さんとお付き合いさせていただいてます。今日はそのご挨拶と、お許しをいただきに来ました」


 チラッと鷹木さんを見ると、背筋良く指の先までピシッしていて、握りこんだ自分の手を彼と同じように直した。

 ・・・何だか私の心臓は今にも飛び出しそうだ。


「許し?」


 鷹木さんの真っ直ぐな視線を無視していたお父さんが反応した。

 お母さんはなに食わぬ顔で麦茶を飲んでいる。


「はい。藍さんが妊娠しましたので、結婚の許しをいただきたいのです」


 全てを鷹木さんに任せるのも変だと、恐かったけど頑張って顔を上げていた。

 だから、両親のポカンとした顔から、お父さんが憤怒の様相に変化していくのを全て見ることになった。


「本当に、妊娠しているの?」


 小刻みに震えているお父さんの代わりというように、震える声でお母さんが聞いた。

 私はお守りのようにポケットに入れていたエコー写真をお母さんに渡した。

 お母さんの眉間にシワが寄った。


「九週目です」


 ビシャッ!


 私の代わりに答えた鷹木さんに、お父さんが麦茶をかけた。


「ふざけるなっ!!」


 少し頭を振った鷹木さんは、また真っ直ぐお父さんを見つめる。


「ふざけていません。私たちは確かに付き合い始めたばかりですが、真剣にお互いを思っています」


「黙れっ!!」


「子供が出来てしまったのは予想外でしたが、」


「だったら堕ろせ! 藍はまだ高校生だぞ!!」


「分かっています。成人まで我慢できなかった私が悪いのですが責任は取らせて下さい。もしもの時はそのつもりで手を出しました。私は藍さんを愛していま、」


 ガッ!!


 お父さんが鷹木さんを殴った。

 仕事仕事であまり家に居ない、家に居ても小さい頃から構ってくれなったけど、一緒に出かけることもあまりないけど、誰かに手を上げる事はないと思っていた。

 だから、鷹木さんが後ろに倒れる音がしてやっと、何が起きたか分かった。


「あなた!」


 お母さんの声が聞こえた時には、お父さんは鷹木さんに馬乗りになっていた。


 ガッ! ゴッ!


「止めて!止めて下さい!」


 お母さんがお父さんを後ろから羽交い締めにする。

 私は混乱しながらも、倒れた鷹木さんに手を伸ばした。


「・・・痛っ・・・」


 ここまでの、事なのか。

 私の妊娠は。

 怒られるだろうと思ってはいたけど、何度も殴られる様な事なのか。


 そんなに、間違っているの?


 赤くなった顔の鷹木さんがヨロヨロと起き上がる。

 お母さんがどうにかお父さんを引き離し、蹴ろうとしているのか足を伸ばしても届かない。


 ねぇ鷹木さん、私、すごく間違えたみたいだよ

 あなたがこんなことになるなんて考えてなかったよ

 お金だけ渡すこの子の実の父親じゃなく、私の不安を取り除くように笑ってくれる赤の他人なのに


 私、どうやってあなたに報いたらいいの?


「そばに居てくれればいいんだ」


 きっとあの笑顔なんだろう。

 涙で見えないけど、分かる。


 こんなに泣いてばかりの私を、鷹木さんは抱きとめた。











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