第2話
そうして、隣の椅子に掛けていたスーツの内ポケットの名刺入れから、飴の包み紙を出した。
「女々しいな~と思ってはいるけど、とても助かったから、俺の宝物なんだ」
それは、私がバイト中にこそっと食べていたものだった。
***
「いらっしゃいませ!おはようございます!」
「おはよう。エッグサンドセットひとつ」
ファストフード店の朝のバイトをしてわかったこと。
大々的にCMをしていても、さほどのお客さんは来ないこと。
新規のお客さんがなかなか増えないこと。
毎日会っていてほぼ顔見知りだろうと、おはようございますと言ってもそれに返す人はほとんどいないこと。
だからいつも「おはよう」と返してくれるこの人は、バイト内では「良いお客さん」だった。
私の様な高校生の新米バイトでも、ベテランのおばさん店員も、深夜出勤の店長にも、誰が担当しても変わらなかった。
いつも土日しか入らない私の毎日稼げる夏休み。寝坊してしまったけれどギリギリ出勤時間に間に合ったその初日に、彼は別人かと思う程ゲッソリした顔で現れた。
「だ、大丈夫ですか?」
土曜にしか会わなかった人にマニュアルを破ってつい話しかけてしまった。それほどにひどい顔色だった。
なのに彼はにこっとして、
「大丈夫、食欲はあるんだ。病気じゃないよ」
と穏やかに応えた。
「し、失礼しました。少々お待ち下さい」
そうしてコーヒーとハンバーガーのセットをトレイに準備する。
「ありがとう」
儚く笑って、定位置の席に着いた。
その後何人かの注文を終え、すっと隙間の時間が出来た。
店内の予備の紙ナフキンを補充するふりをして彼の側に行った。
「あの・・・」
と、こそっと声を掛け、今日は制服のポケットに出勤時に何個か入れた飴を一つ、彼に差し出した。
驚いた彼は、私を見上げる。
「あの、疲れた時には甘い物をどうぞ」
もちろん、バイト中に何かを食べるのは禁止されているし、ポケットに入れるのも禁止だ。ただ、今日みたいに朝ごはんを食べ損ねた時にはこそっと食べていた。
いつも「おはよう」と返してくれるお客さんは、おみくじで大吉を引いた様な気持ちにさせてくれる。店長すらそう思うらしく、彼の受付をしたその日は仕事に張りが出るそうだ。
そんな彼の元気が無いだけでカウンターの内側では皆動揺していた。誰もそんな素振りは見せないけど。
ていうか。顔見知り程度の店員に飴を出されるって、キモい?
はた、と思いあたったら急に後悔した。挨拶を返してくれても彼は社会人だ。大人の世界には社交辞令がある。
しまった~~っと顔の熱が上がってきた。
「ありがとう」
穏やかな声と共に手に乗せた飴が無くなった。
「懐かしいなこの飴、まだ売ってるんだ?」
その飴はスーツのポケットに仕舞われた。
「お店を出たら食べるね」
ふわりと笑って、こそっと言ってくれた。
一礼し、食べ終えていた様なので片付けを申し出た。
「行ってらっしゃいませ」
そう声を掛けると、外に向かう彼が振り返った。すると、
「「「 行ってらっしゃいませ~!」」」
手の空いている従業員が声を揃えた。私もびっくりしてしまい、その様子が可笑しかったのか彼は笑って皆に小さく手を上げてくれた。
その後の休憩時間に店長に飴を持っていたことを怒られたけど没収はされず、給料天引きでセットを食べさせられた。
給料が減るのは嫌なので、それからは寝坊をしないようにした。
次の日の朝。
「いらっしゃいませ!おはようございます!」
「おはようございます。エッグセットをひとつ下さい」
昨日より顔色の良い彼が現れた事にほっとした。
***
「あの時は人生で一番落ち込んだ日の次の日で、大口の取引が決まるかどうかのプレゼンもサボろうと思ってたんだ」
可愛い店員さんに飴一個もらうだけで持ち直したんだから、俺も大概チョロいよな~
ハハハと笑うお客さん、だった人。
バイトは夏休みまでしか許されなかったので、最後の休みの日まで働いて辞めた。
それ以来、会うことは無かった。
お店でも、私だけ特別な事も無かった。
カウンターで、ちょっと話す事が増えただけ。
「今日は俺もよく君に気づいたと思うよ。自分でびっくりだ。まそういう訳で、君は俺の恩人です。元気が無いなら飯を食わせるくらいします。・・・悩みを話したいなら聞きます?」
傘をさされた時はこの人を巻き込む気だった。
だって、私一人では私の望むようには出来ないから。
だけど、私の望む事もきっと許されない。
そんな事に巻き込んではいけない。
通りすがりのサラリーマンだ。
それなのに何も聞かず、お風呂もご飯も、下着まで買わせてしまった。
飴一個で散々だ。と思う。
これ以上頼ってはいけない。
「まあ、聞いたからって必ず助けられるわけじゃないからね。それでも良いなら、だけど」
助けてもらえなくていい。
それでいい。
でも、家に帰る前に誰かに聞いて欲しい。
きっと反対される事は分かってる。
そしてその勝負に私の勝機がこれっぽちも無いことも。
だから、その為の心の準備をさせて欲しい。
顔を上げると彼は、私を真っ直ぐ見ていた。
その真剣さに震えたけど、その震えは私の弱さなのは分かった。
息を吐いて、吸って、一息で言った。
「私、妊娠してるみたいなんです。生理が2ヶ月無くて、検査薬は陽性でした。それを、か・・・彼氏に伝えたら、5万円渡されて、足りない分は出せってフラれました」
男を見る目が無かった。この一言に尽きる私で、彼氏だった。
友達が止めるのも聞かず、一目惚れした先輩に告白。
最初のデートが即ホテルだった。
処女だから優しくするよと言われて、初めての事にどんな優しさかも分からずに痛みに翻弄されていると、上手く入らないなとゴムを外され、そのまま果てられた。
鈍い痛みを感じながらベッドの上で自分からピンクの液体が出てるのを見た時、その事に恐怖するよりも大好きな先輩に処女を捧げられた事が嬉しかった。
もしもの時は責任とるよ。
なんて言葉をまんまと信じて、今日の待ち合わせ場所で嬉しくて耳元で小声で陽性反応が出た事を伝えたら、5万円をそのまま渡された。
ちっ、マジで妊娠したのかよ。それやるから別れるわ。お前バイトしてたから金はあるよな?足りない分は自分で出せよ。後、父親のトコ、俺の名前書くなよ。空欄で出来るから。じゃあな。
・・・・・・もしもの時って、こっちか。
彼の後ろ姿が見えなくなってしばらく経ってから、そう気づいた。
二人とも高校生だけど、私16歳だし、結婚?結婚しちゃう~?キャーッ!
と思っていた自分が物凄く馬鹿で、「滑稽」ってこういう事かとどこかで冷静に思った。
雨が降りだしていた事に気づいたから、待ち合わせだったその場から離れた。
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