第5話 ビジネスパートナー①


 フォロクは今日もモニターに向かい幾つかのグラフと数字と、手元の資料とを見比べている。ここでの主な仕事は都市のある区画での資源の管理と保守だ。例えば日々変動する電気の使用量が安全圏に収まっているか。或いは異常な変動が見られないか。とは言え、異常を検知すればすぐさまそれが現場の担当者に通達され、その結果が返ってくる。処置はあっという間に終わり、殆ど彼が何かをする事はない。一見すれば実に楽な仕事であるが、問題なのはそう言った監視の目をかいくぐってくる何者かが居る、という事だった。彼の居る都市は三大企業の一つ、オーナメントの本社がある。大なり小なり、手を変え品を変え襲撃行為をしてくる者は後を絶たない。

 今もとある区画での水資源の推移を示すグラフがせわしなく上下に動いている。誰かが上水施設で「悪戯」でもしているのだろう。やっている事があからさまだった。ため息を一つついて現場の警備員達に通達を送る。この程度なら一時間後には鎮圧される事だろう。同じような事象はこの後、三回程度発生した。どれも些細なものだ。それらを片手間で終わらせると、途端に静かになった。どうやら今日の「悪戯」は終ったらしい。今日は小さいし少ないな、とため息をつく。

 再び視線をモニターに戻すと、片隅で「CALL」のサインが表示されていた。暫く、ぼんやりとそれを眺めていてそういえば今日は来客の予定が入っていた事を思い出した。念の為に警備システムを自動運用に切り替えて、椅子にかけていた背広に袖を通しテーブル脇の鏡を覗く。わずかに曲がっていた寝癖を戻すとフロアを後にする。ホコリ一つ無い廊下の脇の、大きな窓ガラスの向こうから景色と光が飛び込んできた。

 オーナメント本社のある都市は、自社の権威をこれでもかと象徴するような景観を形作っていた。多くの企業は他社との差別化を測るため、その外観にも手を加えている。それは三大企業のオーナメントでも例外ではなく、彼らは自分たちが手をかけたものに曲線を用いる。今、フォロクが見ている景色も同様に、眼下に広がる居住区の建物に角ばった箇所は全く無く、大なり小なりの曲線の造形を持っている。高層建築にもなれば円錐状にもなり、その周りをまるで螺旋を描くように道路がぐるぐると取り囲んでいる。上層部曰く、これが最も人間の生活に馴染み、そして生命との極めて自然で合理的な調和をもたらすらしい。フォロクはそんな光景を、まだ地下都市で生きていた幼い頃に絵本で見た事があった。快適な居住空間、不満のない平和で理想的な世界。魅力的な文章と併せて、子供でも伝わるように大きくて分かりやすい絵が幾つも載っていた。そんな絵本を。

「地上だって、こんなもんなんだがなぁ」

 円柱状のエレベーターに乗り込み、視線が下がっていく中でフォロクは呟く。オーナメント本社はこの都市では一番高い建造物だ。それでも、その窓から見える風景はこの都市の中だけなのだった。

 一瞬体が浮いた感覚を感じた。エレベーターの扉がスライドして開く。一階のエントランスも兼ねた大広間に出た。ここは特に角を意識させない造りになっている。まるで一枚の巨大な布を広げたようなドーム状の赤い天井。薄いベージュ色をした壁は緩やかなカーブを描きスリット状の穴から光が差し込んでいる。しかし、ここを往来する人々はそんな造形美にまるで目もくれない。社内外問わず、誰もが見飽きた景色でしかない。

 足早に移動する彼らの脇をフォロクは歩く。大広間から続く廊下を通り、小部屋が並ぶフロアに出る。ため息を一つつく。そして、その内の一つのドアの前へ進み、脇の装置に手をかざした。軽快なビープ音とともに扉が開く。

「お待たせしました。ミス・フェリス」

「フェリスで構いません。本日はお時間を頂きありがとうございます、フォロク様」

 室内には既に来客がテーブルを挟んで向かい側に座っていた。薄い化粧であったが、鼻筋はスッキリと伸び、綺羅びやかな口紅がその先にあってなんとも映える。艶のある金髪は頭の後ろの方で結っていた。解けば腰のあたりまで伸びるほどの長さだろう。そして、濃いめの青いスーツがそんな彼女の表情を引き立たせていた。つまるところ、美しい女性だった。

 フォロクは腰の辺りを思いっきりつねる。危うく口説きそうになった。自分の軽率さはともかく、とんでもない女性がやってきたと思った。幸い、彼女は気づいた様子もなく彼女は立ち上がって握手を求めていた。ほんの少しに自分の表情が緩んでいたことに気がついて、再び腰をつねった。

「まさかこんな美人がいらっしゃるとは考えてもなかった。こちらも貴重な時間を過ごせるようで嬉しいですよ。ま、自分も固いのはどうにもむず痒いものでしてね。様付はご容赦願いたい」

「あら、お互い似た者同士のようですね」

「嬉しい事を仰る。ま、自分みたいなジイさんとは釣り合わんでしょう」

「あいにく、私はそういう事を気にするような軟弱さはありません。あと十年も早ければ、きっとお会いする場所は違っていたはずですよ」

 握手をかわした後、彼女は微笑んでみせた。フォロクにとって、一挙一動に全く心を揺さぶられるようであった。お陰様で腰を下ろす時、思いがけず椅子を大きく引きずってしまって大きな音を出してしまった。

 だが、ここからは仕事の時間だ。フォロクは自分にそう言い聞かせて、目の前の美人について思い起こす。

 フェリス。グローバルライト所属のオペレーター。同社に属する傭兵達に仕事を振り、クライアントとの間を取り持つ。彼女はそういう人間だ。成る程、だから美人なのだと納得する。どんな癖のある傭兵でも、彼女は自分みたいに丁寧にいなしてしまうのだろう。しかし、そんな人材が、わざわざ自分の所へ来る用事とは何だろうか。

「ま、ご挨拶は終わりにして本題に入りましょうか。俺みたいな閑職でお答え出来る事であれば」

「そうですね。先日弊社へ依頼をされた内容について、少し聞きたい事がありまして」

 思わずフォロクは唸った。

 確かに彼女はグローバルライトの人間だ。しかし、自分は決して彼女個人に対して依頼を出した訳ではない。この突然の行動は暴走にしか受け止められない。結果的に断ったとは言え、企業が受け付けた依頼内容の中身はおろか、依頼してきた人間を探し出して、しかも直接会いに行くなど上が知ったら大事も大事になる。

 ところが、彼女は至って穏やかに微笑んだままだった。

「驚いたかしら。そうね、これは個人的な依頼。私はコッドを探しているの。勿論、グローバルライトとは違う目的で」

「俺のあの依頼はコッドに関係していた、って思ってるのか」

「それは多分、違うと思う。同じだったらラッキー、なんて思ったりもしたけど」

 いつの間にか彼女の口調は変わっていた。地の強さを微塵も隠そうとしない。けれども、フォロクはそれを真に受けても決して不快感を感じなかった。彼女の姿勢には、ある種の潔さがあった。

「コッドのファン、にしちゃあ随分と熱狂的だな」

「いくらファンでも、彼に会おうとしてお得先を巻き込んで、それで押しかけに行くような事はしないわね。そういうのは暴徒、と言うの」 

「じゃ、アンタは暴徒か?」

「まさか、私は自分の立場もしっかり利用して、取引をしに来てるだけ。貴方にとっても悪い話では無いわよ」

 フォロクの皮肉に、フェリスは堂々と返す。

 その殆どはとんでもない事だったが、フォロクが気に入るには十分すぎる程だった。たまらず膝を叩く。乾いた綺麗な音が響いた。

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