第4話 運ぶ者④
目の前の傭兵に手を差し出した。彼は片腕に強烈な電気ショックを受けて、その腕が動かなくなっていたらしい。だから、立ち上がるのも大変だと思い、それに彼から「手を貸して欲しい」と頼まれたのでそうした。そこまではハッキリしている。でも、突然、自分の視界が視点が逆さまになった事には理解が追いつかなかった。特に体に痛みは無かったけれども、背中と頭の後ろの方には冷たい感触があった。視線がぐるりと、一瞬で変わってしまって驚いた。でも、すぐ目の前に彼の顔があった。だから、一瞬の内に世の中がどうにかなったのでは無い、と思って安心した。
ただ、少し世の中が変わってしまったのかな、と戸惑った。彼が拳銃を手にして、その銃口を自分の鼻先に突きつけていたから。もしかしたら、何か、彼の機嫌を損ねるような事をしたのだろうか?
「僕は傭兵だ。君がどこに行きたいか、何故僕に助けを求めたのか。それは今はどうでも良い。改めて聞く。君は何者だ」
ナガツキが彼女の手を掴んだ瞬間に彼女の体を強く引っ張り、その勢いのまま彼女と位置を入れ替えるように起き上がっていた。彼女の腰辺りに思いっきりのしかかり、彼女の両手を巻き込み押さえつける形で両足を広げて。今、彼女が自分の自由で動かせるのは首より上ぐらいだ。それでも、彼女の体を地面に体を打ちつけないように、呼吸が少しでも楽になるようにわずかに緩めるなどという、普段やらないような配慮をしたのは少なくとも直前まで相棒だったから。
しかし、『ここから』は違う。手段不明で彼女はここのセキュリティを掌握しながらも、自分の為せる事の大きさをまるで理解していない。彼女の正体をつかもうと、この研究所の中枢にアクセスした時に探りを入れたが、そこにも資料が何一つ無かった。更に、彼女は、今こうして銃を突きつけられているという事実にも動じてすらいない。常軌を逸した存在だった。歩く最重要機密。生ける超常兵器。色んな言葉が出てくる。この無邪気さが持つアンバランスさは、はとてもではないが、放置する訳には行かなかった。
アンジェはぽかんと口を開けていた。彼女の目は一切の震えも無く、まっすぐにナガツキの目を捉えている。こんな表情が出来るのは、目の前の相手を心底信じているからだ、とナガツキは思った。「彼は、自分を撃つ事など絶対にない」と。
「名前はアンジェ。あ、これはさっき言ったね」
「そう、それは聞いた」
「ええと。アタシ、あんまり自分の事で話せる事無いの。気がついたらこんな研究所に居て。たまにロボット暴れさせて、で別の研究所に移されて。それは本当」
あるだろうが。とナガツキは睨みつけ彼女の眉間に銃を突きつけた。それでも彼を、彼女は相変わらず信じた。
「アタシの中には、もう一人居るの。ここのセキリュティをどうにかしたのは、彼の仕業」
「彼?」
「君に連絡した人。ううん、アタシの中に居るから、人なのかわからないけど」
彼女の肩が少し震えていた。死への恐怖だとは思えなかった。ただ、裏切られる事への嫌悪だ、と悟る。
観念して、彼女の信頼に応えた。彼女の上から降りて、側に座った。
「つまり、君の中のソイツが、僕の質問に答えてくれるんだな」
「うん。でも、今は多分、眠っているんだと思う。疲れたんだろうね」
「だから、セキリュティは復活した、と」
「そうよ」
その行動が、随分と彼女にとって嬉しかったらしい。跳ねるように起き上がって、あぐらをかいて座り直す。
「でも、そのせいで君は怪我をして。だから、ごめんね」
そして、彼女の視線はナガツキの左肩へと向けられていた。どうやら先程から無意識の内に肩を揉みほぐしていた事を気にしているらしい。
妙に、ナガツキは恥ずかしくなり、その手を止めた。確かに怪我は怪我だが、こんな自分にとっての日常茶飯事に注目される事はかえって自分の弱点をさらけ出してるように感じられたのだ。
それにしても、自分の中に誰かがいるだなんて話。聞く人が聞けばとうとう恐怖心が振り切って、思考が爆ぜてどこかへ飛んでいってしまったのだと残念がるだろう。或いは、そんな性格だからいつまでもこうして無邪気でいられるのだと納得するだろう。何にせよ、ここで分かれるつもりは無かったのだが、すっかりその理由が変わっていた事に気づいてナガツキは笑った。「R's hidden」でマスターと話している時ですら感じることのない感覚があった。
「さて、君の中に居る誰かさんに色々聞きたい所だけど、セキュリティ弄っちゃった以上誰かが調べに来る。その前にとんずらしよう」
「これからどうするの?」
「まずは今日の仕事の報酬を貰わないと。君達との話の続きは、その後にさせてもらうよ」
「それじゃあ、ついて行っても良いんだね?」
「勿論」
ここで置いていく事も出来ない、という言葉をぐいと飲み込みナガツキは腰を上げた。左の手のひらに力を入れる。指先が曲がるようになっていた。それから、トラックの中を思い出す。少し、助手席側を整理すれば大丈夫だろう。
アンジェも彼と肩を並べてついて行く。腰を下ろした時に白衣についたであろうシミが気になっているようだった。それでも、隣の歩幅にピッタリと合わせて歩く。その表情は、すっかり彼女をこの施設からから開放した時に戻っていた。先程まで銃を突きつけられていた、と言われても彼女自身がそうであるように誰も信じようとしないだろう。
高度なセキリュティにたやすくハッキングをしかけ、意のままに操る力をもった少女。ただの襲撃任務にとんでもない副賞が付いてきた。結局、それだけが今分かっている事だった。とんでもないことになる。それに巻き込まれてしまった。マスターに今回の件はきちんと対応してもらうとして、そして、彼女の中に居る厄介なおせっかいにも聞くべきことは多くあった。
だが、ナガツキはまず祝杯のシュガーミルクだ、と決心した。
※ ※ ※
「ねえアル。逃がすの。彼女を」
「依頼なんて、本当はどうでもいいんだ。そんな事、わかってるだろ。リィ」
「そうね。どうでも良いことね」
ナガツキ達が去って一時間ほどの後、同施設の敷地内で相変わらずのルーチンで飛行する警備ロボを見上げる一組の若い男女が居た。
男は女をリィと呼び、女は男をアルと呼んだ。どちらも足元まで伸びる外套に見を包んでいて、多くは窺い知れない。唯一分かるその表情はぼんやりとしていて、そして、どちらも目の前を往来する無用となったセキュリティを目で追いながら、抑揚のないやり取りを交わしている。
「誰かが告げ口したのかしら」
「そうだと思いたい。ただの偶然なら困るよ」
「でも、それもどうでも良いことね」
「そうだね」
アルが踵を返して歩き始めると、少し間をおいてリィも歩き出す。警備ロボはすれ違い様僅かな反応を示したが、フラフラと漂ってやがて元のルートへ戻っていった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます