第3話 運ぶ者③
「依頼はきちんと傭兵に流した。出来ることなら今後はきちんと正規ルートを通して欲しいのだが」
閉店後のR's Hidden店内、マスターはあっちこっちのテーブル上に雑然と置かれたグラスや皿を一瞥しモニタ越しの男へ恨み節をぶつけた。その男はマスターよりも一回りほどシワが深く刻まれている。だが、作業着の上からでも分かるがっしりとした体躯でその顔つきよりもずっと若い印象を与える。そんな彼は、マスターからの言葉にも動じるどころか悪びれる様子もなく笑みを浮かべていた。背後には山積みになったファイルが見える。その内の一山がゆっくりと崩れるのが見えた。だが、彼はまるで気づかない。拝むように両手を眼前で合わせて、マスターに向かっていかにもわざとらしく、頭を下げた。
『悪いなぁ。ほら、最近グローバルライトもピリピリしてるじゃん』
「Call of Death。死を呼ぶもの。コッド、か。今や三大企業にも肩を並べる傭兵斡旋会社が、かつて抱えていた傭兵に随分手を焼いているようだな」
『そういう事。俺の知ってる限りじゃあとうとう問題対策室も動き始めるとか。お陰様でオーナメントの名前を出しても暗に渋られるんだよ』
マスターが今、話をしているこの男。フォロクと言いマスターと古くからの友人の一人で、地上を支配する三大企業の一つ、オーナメントの社員でもある。
かつて、地下都市での生活を余儀なくされていた時代。政府と呼べる統治機構は存在はしていたが完全に形骸化しており、その地下都市を管理していたのは建造に携わっていた企業達であった。オーナメントは、そんな時代の商業に大きく寄与していた複数の企業が母体となっている。人類が地上に再び移り住み始めた頃からは完全に統治機構を退け、地上で採掘される資源を利用し強い影響力を獲得。今や地上を文字通り掌握する三大企業の一つとして君臨していた。
だが、そんな企業でも、結局組織、そしてその組織に属する人と小さく切り分けて行けばフォロクのような人間に行き着く事になる。つまり、オーナメントの名をちらつかせながら独自で傭兵に仕事を依頼するような人間に。
『ま、おかげさまで俺は依頼出来る。その傭兵は仕事を回してくれる。それから、マスターの懐には金が入る。それで良いじゃないか』
「少し、傭兵には分が悪いんじゃないか? 直接企業から来る依頼どころじゃない、もっとダーティな部分をやる羽目になるんだ」
『おっと、それはそうだったな。お互いマトモじゃあない。ま、次もまた頼むよ』
モニタの向こうで、大げさに手を振ったフォロクが通信を切った。その後モニタに浮かび上がった初老の男の表情を、マスターはじっと見つめる。地上は今日もどこかで争いが起こっている。そこには使い勝手の良い傭兵の姿があった。火種の消えないこの世界ではどうしようもない犠牲だったし、どうしようもない需要もある。グローバルライトはそんな傭兵を斡旋する企業だ。殆どの傭兵がこの企業の持つツテを利用して仕事にあたっている。それでも、自分のようにバーを経営する傍ら、独自のルートで傭兵に仕事を回す者も居る。それは一企業からあぶれたり、渋られたりするような仕事だ。時にはろくな儲けにならなかったり、儲けがあったとしても極めて危険であったり。或いは反企業的な性質だったり。そして、そんな仕事を仲介する自分も目をつけられる未来もあるかも知れない。だが、そういう事を続ける事はマトモだと考えている。思い込んでしまっている。
醜い顔だな、と感じた。そして、そう思う自分を少し恥じた。
※ ※ ※
「せめて外に出るまでは付いてきてくれ。ここまで来て、あの警備ロボの相手をするのは嫌だ」
ナガツキの言葉に対して、アンジェと名乗ったその少女は少しの間沈黙した。どうやら現在自分がここのセキュリティを支配しているという事を忘れていたらしい。改めて彼女の姿を一瞥する。特に何か、セキュリティにアクセス出来る端末のようなものを持っている様子はない。それでいて彼女は自身の行動について気にした様子もない。全くゾッとさせる。
「何故、僕が来たタイミングでここから逃げようと?」
「うーん、何となく?」
ナガツキはすっかり毒を抜かれてしまっていた。普通でないのも、常識が自分とかけ離れている事もわかっていながら、警戒する気が起きない。その気になればナガツキを捕縛する事はいつでも出来るというのに。彼を、手のひらの上で踊らせている事にすら自覚していない性格は、無邪気と表現する他に無い。
肩を並べて歩く二人は、難なく外へのドアの前に立つ。そろそろ本来の仕事であるデータの破壊も済んだ頃だろう。後は車に戻って撤収するだけだ。今回の依頼、思わぬ助けもあって、今となってはすっかり割のいいものになっていた。
だが、急にアンジェが眉間を寄せて小さく唸る。ほんの少し、頭を抱えると、そのままナガツキを見上げる。そこには先程までの余裕は無い。ただ一言、限界みたい。と消え入りそうな声だけが聞こえた。走れるか? と尋ねて頷いたのを確認し、ナガツキは右手でアンジェの腰を掴む。悲鳴が聞こえるよりも早く、ドアを開け、彼女を肩に担いでわずかに開いた隙間から飛び出した。
待ち構えていた警備ロボ達が放った何本もの針がナガツキの体の直ぐ側を通り、研究所の外壁に突き刺さる。たちまち焦げる臭いが立ち込め、アンジェはたまらず鼻を摘んだ。一方のナガツキは振り返らずにコンテナの物陰を縫うように駆ける。間もなく追撃する警備ロボは高度を上げ、挑発するように見下ろしながら繰り返し針を撃ち出し続ける。
「アンジェ、目と耳塞いで」
ナガツキは腰にぶら下げていた手榴弾を引き出す。ピン、と金属音を立てたそれを前方の地面へ叩きつけ、直後一足大きく前に踏み出した。足元で輝きと共に炸裂音が鳴り、辺りに粉のようなものが舞い上がる。お手製のジャミング装置だ。振り返るだけの余裕は無かったが、追撃者が放つスタン針の軌道が大きく反れているのは分かった。だが、直ぐにでも軌道修正して来るだろう。案の定、5秒と保たず攻撃が再開された。もう一度、と手榴弾を手にした左腕を振り上げた瞬間、狙ったように左肩へと針が突き刺さる。
一瞬、腕の感覚が消え去ったかと思えば小刻みに震え、硬直する。激痛が走り、目の前がぼやける。アンジェの悲鳴が聞こえた。その声を手繰り寄せるように強く踏ん張り、地面を蹴った。左肩から左腕にかけてだらりとぶら下がっている。着込んでいた防護板のおかげでほんの少しマシだったらしい。暫くすれば動くようになるだろう。持っていた手榴弾は全く検討違いのところで起爆したのは疑いようもない。再びコンテナの影に隠れる。頭上に警備ロボの後ろ姿を見たかと思えば、旋回してこちらを捉えたようだった。
「狙われてるよ!」
頭の後ろの方でアンジェが叫ぶ。そんな事は分かっていた。追いついた他の警備ロボットも一斉にアイカメラを自分へ向ける。僅かな光源が一箇所に集まり、まるでスポットライトのようであった。さすがにこの数に狙われたらひとたまりもない。
「ま、都合の良い話なんて無いって事さ」
「えぇ、夢物語って奴?」
「そういう言葉は知ってるんだ」
「それはまあ。というか、そうじゃなくて」
「大丈夫、時間だけはキッチリ稼いだから」
相変わらず、このアンジェという少女はどこか、基本的な所がひどく欠如しているような気がした。多少の羞恥心は持ち合わせていたようだが、この抱きかかえられた状況でも、もがこうとも暴れようとせず頭上を見上げている。おかげで、ナガツキはこの事態を冷静に見る事が出来た。それはつまり、これから起こる出来事が確実なものであり、一切の淀みも無い、という事でもあった。
警備ロボ達が空中で静止する。と、ほぼ同時にナガツキは尻を着いた。アンジェを下ろし、空いた手で左の三角筋辺りに刺さっていた針を引き抜き、肩を軽く揉む。感覚は鈍かった。だが、やはり致命的な一撃にはなっていないようだ。しばらくして、警備ロボ達が研究所の方へ飛んでいくのを見届けてから、ようやくアンジェへと視線を向ける。尻もちを付いたまま、彼女は寂しそうに空を見上げていた。
「どういう事? アタシ達を追い掛けてたのに」
「正確には君じゃなくて、侵入者の僕を、だ。さっき、中枢にアクセスしてた時についでに奴らのセキュリティシステムをイジったんだ。完全に切り替わった今、もう、何を見ても反応しない」
「ふーん、何だかツマラナイね」
アンジェは立ち上がって一度伸びをする。危うく捕縛されるところだった事も、まるで忘れたかのように。
「あ、でもこれで今度こそ本当に外に出られたんだよね?」
「そういう事になる。ところでまだ左腕が言う事を聞かなくてね。起きるのに手を貸してくれないか」
「うん、良いよ」
錠を破壊してやった時と同じように、彼女は笑顔を浮かべた。屈託の無い純粋な笑顔を。ナガツキは心の奥底でヒリヒリとしてものがよぎった事を確かに感じながら、彼女の差し出してきたその手を掴んだ。
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