4/5日(金)格上を見せつけられると不安になるよね。

 俺がいる”中野セルリアン”は中野の中で高級商業ビルだと思う。駅と直結しているオフィスビルなんて世の中腐るほどある。新宿のミライナタワーなんていい例だろう。しかしだ、なぜここが高級かと言えばね、レジデンスフロアがあって人が住んでいるってことだ。エレベーターにカードをかざすないと目的のフロアに行けないエレベーターなんて初めて見たよ。


「大友様、間もなく久世様のフロアに着きます」

「あ、はい」


 若い警備員の言葉に、俺はそう返すだけが精いっぱいだ。音もなくゆっくりとエレベーターは上がっていく。あまりにも暇だったので彼と打ち解けてみようと雑談を持ち掛けた。しかし、完璧なビジネストークで返されてしまい、彼の名前が井上ということと、久世という人間に尊敬と畏怖していることしか分からなかった。晃司みたいな奴しかいない世の中も問題だけど、キビキビしている人間しかいない世の中も嫌だなあ。やがてエレベーターは速度を落とし、目的のフロアに着いた証である電子音をならした。




 エレベーターが開くと男が立っていた。体形に合わせて仕立てた品の良いブラックのスーツを着ていた。小奇麗に整えた短髪を整髪料で整え、サイドを刈り込んだ髪型は清潔感と若々しさを感じた。警備員は彼を米沢さんだと紹介した。さきほど話に出ていた退職する第一秘書だろう。彼は警備員と代わり、俺を内部へと誘っていく。本来なら会社の事務所があるであろうフロアは、数十のフロアに区切られ、何人かのスーツを着た人たちとすれ違った。その全員が俺を見ては目を逸らす。すでにご理解いただいているだろうが、ツナギ姿の俺は明らかに浮いていた。


(これオフィスじゃん。危険手当って何? こんな場所で危険なことなんてあるか? )


 思わずつぶやいた言葉を米沢さんは聞き逃さなかったようで、振り返って「後でご説明しますよ」と言った。整った顔に張り付けたほほ笑みが不気味だ。そうこうしているうちに、最奥の扉に着いた。エレベーターを降りて、3枚のゲートをくぐってたどり着ける扉。高級そうな黒みがかった木材で拵えられた扉は、中にいる人間の格を表しているようだった。米沢さんは「少しお待ちください」と告げ、扉をノックをし「失礼します」と扉を開けた。見た目と違い、音も抵抗もなく開く。米沢さんは中に入ると扉を閉めた。 ビルの中に入って初めて一人。中を見渡してみると、さっきまでと違って窓もなく、人影もなく、物音ひとつしない。何かいたたまれない気持ちになって、手を組んで下を向いている。そうしていると、ふと晃司の顔が浮かんできた。あいつはちゃんとしているだろうか? 健君とお客さんに迷惑を掛けてないだろうか? 大丈夫かなぁ……


「大友さん? 大丈夫ですか?」

「ひゃお!」


 唐突に声を掛けられて情けない声を出してしまった。この人いつからいたんだろう? 米沢さんは俺の反応を見て、俗にいう苦笑いをした。俺は何とか場を取り繕うとして「へへへ……」と笑って見せた。きっと気持ち悪い顔をしていただろう。


「久世様は来客中です。その間に業務の引継ぎをせよとのことでしたので、応接室に行きましょう」

「あ、はい」

「……ところでお聞きしたいのですが、あなたは黒井様をご存知ですか?」

「いや、知りませんけど?」

「そうですか。いや、あまりにも似ていたものでして。では行きましょう」


 そう言って米沢さんは来た道を戻っていく。俺は黙ってついていく。応接室に着くまでに、黒井という人物がキーマンなのかと思い、知人を懸命に思い返していたが、やはり心当たりはない。





 俺はこれからどうなるんだろう?

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