4/5日(金)億の話を朝からする奴はたいてい嘘つき

 4月5日金曜日の朝7時。青梅街道を走る車はトラックから乗用車が増えてきた。俺は一人、丸の内線中野坂上駅を出たところで焦燥感に駆られている。


 確かにね、待ち合わせの時間よりも早く来たよ。だけどさ、ほんの10分前だよ? さらにさ、駅とオフィスビル直結してんだよねここ。そんなとこで1時間待ちぼうけくらってみ? もうね、ビルの中から警備員がメッチャ見てるから。見てるだけじゃなくて、ビル内の警備員全員集合しているから。俺に何しているか聞きに来る担当を決めるためにじゃんけんとか始めてるからね、あれ。


 そりゃあそうだもん。背中に「大友屋」ってロゴが入ったツナギを着た、強面のデカい男がずっといる場所じゃないもん。つーか、スーツを着ている人しか許されない場所ですもん。あの人たちのお仕事って、俺みたいな奴を警戒することですもん。分かりますよ、えぇ。

 

 せめてもの善良な社会人アピールをする必要がある、そう思った。しかし、職を失った俺が年相応なふるまいって何だろう……

 

「はい、大友屋です。あぁ、おはようございます、早いですね。先日のブリーフィングでのアジェンダ、私に送って頂けました……ですよね、それマズイですよ。ひとつビジネスが無くなりかけてますんで。えぇ、なるはやで……」


 答えはエア電話である。ショルダーバックから取り出したガラケーを耳に当て、あたかもビジネス談義をしているかのようにふるまう。これが正解だと思ったんだよ。一番若い警備員がビルの中から出て、俺の方に歩いてくるまでは。こっからは演技力で押し通すしかないな……がんばれ、大友友彦!!


「あの、ちょっといいですか?」

「あぁ、ちょっと待って……今ね、億のビジネスをしてるの! ダメになったら責任取ってくれんの⁉ 向こう行ってくれる⁉」

「それ、中学生の時に流行って、私も持ってたんですけど……通話中は後ろのランプ光るんですよね」

「……へぇ~、そう」


 完敗だ。持ってたとかなんだよそれ。そんな機能あること初めて知ったわ。大体だね、失職してから電話なんて金がかかるからしねぇっての。かける友達もいないし、まともに会話するのなんて晃司か、最近ではサリーさんと健君とかいるけど、タマナシに行けばたいていいるし、電話かけるほどの話とかないし……この人なんでそんな電話ばっかかけてんの? 仕事? いや、中学の時とか言ってたから、親の金で彼女とか友達に電話してて気が付いたとかかな。 え? 俺、中学の時からバイトしてましたけど? なにそれズルくない?


「ずるくない⁉ それずるくない⁉ ねぇ!!」

「おっしゃっている意味が……」

「親の金でさぁ! 散々中学時代を謳歌しちゃってさぁ! あげくの果てにはちゃんと就職しちゃってさぁ! 俺なんて電話する友達もいないし、中学の時なんて新聞配達してましたぁ! だけど底辺ですう!! 君はズルい!ズルい! ズルいよ! よくよく見たらイケメンよりだしさぁ! まだ若そうだしさぁ」

「何言ってんの⁉」

「そんなリア充が何!? 俺にどっかいけっての⁉ 残念でしたぁ! 待ち合わせですぅううううう!! 仕事の待ち合わせですうううう!!! 君みたいな若者と違って未来なんてないから! 小金集めて100円ハンバーガーを食うのが目標のアラフィフですよ!」

「いや、だからさ、大友さんでしょ? 新しい公設秘書の。お迎えに来たんですよ」


 思わぬ答えに呆然とした。警備員が総出で俺を出迎えに来たってこと? なにそれ怖い。いや、それが本当でもだよ、1時間も待たせて何食わぬ顔で「迎えに来た」って良く言えるよね。だからガツンと言ってやろう。


「あ、あぁそう? それならそうと早く言ってくれれば良いのに。うん、いや僕も全然待ってないですよ。むしろお待たせしちゃったかなって心配してたくらいですし」

「いや、こちらこそ申し訳ないです。本当は1時間前からお見掛けしていたんですが……確認に時間がかかっていまして」

「確認?」

「えぇ、その……今まで何人か秘書の方はいらっしゃってたのですが、その、えぇっと……あぁ、もういいや。皆さんね、スーツを着ていらしてたんです。政治家の秘書ですからね。ツナギを着ていらした方は初めてだったもので、第一秘書の米沢さんからクライアントに確認してもらってたんですよ。米沢さんを捕まえるのに時間が掛かってまして。だって朝の6時でしょ? 電話するのは常識的にまずい時間じゃないですか」

「僕。そんな時間に呼び出されているんですけど」

「まぁ、久世様はお忙しい方ですので、朝食の時間くらいしかご挨拶できないから大目に見てください」

「誰ですか久世様って?」


そう返すと怪訝な顔をしながら、警備員は「あなたを雇う方ですよ」と答えた。


「いや知らんがな。立候補者とは聞いてたけど、どんな人物かもしらんし、秘書って言ったって、どうせビラ撒くだけでしょ?」

「いやー違うと思いますよ。多分ですけど、辞められる米沢さんの代わりですし」

「いや米沢さんも何やっている人か分かりませんし。僕は政治のことなんて分かりません」

「詳しいことは米沢さんから聞いてください。さ、久世様をお待たせすることになるので行きましょう」


警備員は先だってビルに向かっていく。俺は彼の背中を追って中へと進んでいくが、俺でもはっきりと言えることが、ひとつだけある。


「不安なんですけど」

「何か言いました?」

「いえ、何も」


不安だ。

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