4/4日(木)朝の東中野。トマトジュースは生理現象。

 東中野ってとこは何とも言い難い街だ。総武線で各駅、もしくは大江戸線でアクセスできる。二路線を使えるってのは魅力的だが、いかんせん街がなんとも言えない感じなんだ。


「晃司さん、あの駅ビルきれいですね」

「atreだよ。JRがやってんだ。中には成城石井とか入ってるけどさ、たいていの人は商店街の中にあるライフに行くよ」

「街だけ見たらセレブの街みたいですけどねー」

「二子玉とか田園調布っぽくしたかったんだろうけど、中野なんてセレブってガラじゃあないわな。大体あの裏に単館映画館とか、スナック横丁あるから」

「成城石井で買い物して、アートすぎるフランス映画見るとか中野っぽいですけど……うん、なんか中野にも新宿にもなれてないですね」

「健、わけのわからない方に背伸びするとシュールな人間になる。そうなると社会と仲良くなりずらくなるからな。良く覚えとけ」

「なんか晃司さん、すごい説得力です」

「うん、ごめんね。俺が言ったことに納得してくれてあれだけど……どういうこと?」

「あはは……さて、お仕事お仕事。もう来てるかなっ?」


 そうなのだ。なにも朝4時に健と東中野に遊びに来たわけではない。仕事に来たのだ。それなのにどうだ? 駅前のターミナルにはバスやタクシーどこらか人影すらない。大体朝4時にやってる洋菓子店なんてあるか。


「なぁ健、これだまされてんじゃない?」

「いやぁ……手付金もくれてるんですけどねぇ」

「その金、返せよ。なんか怖いじゃん。多分マネーロンダリングとかじゃね? オレオレ金とかだったら嫌だよ」

「俺の金をそんな汚ねぇ金と一緒にすんじゃねぇよ」


 俺たちの会話に違和感なく低くハスキーがかった中年男の声が混じる。それに驚いて誰だ、と体ごと振り返った瞬間、腹に鈍くて重い痛みが走った。腹に溜まっていた空気が強引に押し出されて息が止まる。


「おはようございます。朝から童貞面ぶら下げたお2人さん……あぁ、君は童貞面じゃねぇな。わりいわりい」

「あの、芦澤さんですか?」

「そうそう。ごめんな、待たせちまって。とっ捕まえたチンピラが歯向かって来るもんだからさ、ちょっと歯ぁ折ってやってたら楽しくなっちゃってね。お詫びがてら仕事の話しつつ朝飯でもおごるわ。ちょっと行ったとこにココスがあるから行こうか」

「ははは……お任せしますけど、仕事って大丈夫なんですか?」

「あぁ大丈夫大丈夫。俺こう見えて忙しくてさ、今日のこの時間ぐらいしか直近じゃ時間なくてさ」

「僕らにとってはありがたいですけど……お忙しいならメールや電話でも」

「まぁ普段ならそうすんだけどさ、時間がないうえに確実にやんないといけない案件でね。悪いけどミスは許されないヤマだからね」

「……お菓子作る手伝いでそんなん負わされたくねぇよ。俺らはなんでも屋でパティシエじゃねぇんだよ」

「おはよう童貞。エロい夢見れたか?」

「見るか!」

「勃ってんじゃん」

「勃ってねぇわ!ここにはシャツの裾が詰まってんだわ!」

「おぉそうかそうか、悪かったな。じゃあ行こうか」

「待て! 一発殴らせろテメェ!」


 そう言って後ろから殴り掛かったが、ひらりとよけられた。そして奇妙な浮遊感を覚えた後に、背中に衝撃が走った。人間、あまりも鮮やかに投げられると痛みよりも先に呆然とするもんなんだな。覚えとこう。そして、一時的に体が動かなくなって呼吸すらしんどくなることもだ。痛いとかじゃない、動けない、息もできないだ。


「俺と少年は先にあの車乗ってるからさ、童貞も呼吸が整ったら来いよ。ところで少年……君、口端からトマトジュース出てるけど大丈夫?」

「大丈夫です。飲みきれない分が、ちょっと出てきちゃってるだけなんで。言うなれば自然現象です」

「へぇ、いつ飲んでたのかさっぱり分からなかったよ。君、マジシャン? なんでも屋っていろんな人がやってんだね。 それより知ってる、あそこの横断歩道?」

「あぁ、元アイドルがアルファードで城門突破しようとした?」

「そうそう、あそこ今なんて言われてるか知ってる? ブッチモニ。仕事も人生もブッチしちゃったモーニングの略らしいよ」


 健と芦澤と名乗る男が、そんなことを言い合いながら車に乗りこむ。その車を見たとき、俺は「嘘だろ……」と呟いていた。 激痛で涙目になっていても、車のルーフに据え付けられていたものがパトランプだって、しっかりと分かったからだ。

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