4/3日(水)魔が伏せる殿方たちの一幕
「ねぇ、いつまでいるつもり?」
「つれないわねぇ。昔なじみが久しぶりに来たのに酷いじゃない」
「あんたみたいな疫病神は……ジャスミンだけで充分なのよ」
「じゃああんた、疫病神専門のイタコなのよ」
そう言って、カウンター越しに座る時代遅れの服装と化粧をした大男が笑った。愉快な客も一部不愉快な大友兄弟もはけた深夜2時。店内には私とこの男しかいない。正確には酔いつぶれたギターマンがいるけど、カウントするだけムダ。彼はギターでしか会話しないし、アタクシが嫌がることはしないわ。
問題は、目の前にいるバブル時代のミッシングピースみたいな男……谷田川力男が何しに中野に戻ってきたかってこと。詳しくは知りたくもないけど、旧友の変わり様は気になるわね。
「ねぇ、その恰好なぁに?昔からファッションセンスを考える海馬が無い人だけど、女装はしなかったじゃない? ゲイだけじゃなくて、ドラッグクイーンも始めたわけ?」
「あら、覚えててくれたのね。嬉しいわぁ」
「嫌だけど思い出したのよ。アンタみたいなバケモノ、一度見たら忘れられないわ。 あぁヤダヤダ、シナプス泥棒は帰れ」
「ヒドイ言い草ねぇ」
散々小バカにした後に、力男が好きな酒を出してあげた。ヴェルモットのストレート。ハーブ臭がキツイのに、彼はこれしか飲まない。
「あら、私のこと良く覚えてるじゃない。気があるの?」
「アンタみたいな濃い男、嫌でも覚えるわよ」
そう言ってやると、心底嬉しそうに笑い、カクテルグラスに口を付けた。喉仏が数回動いた後、彼はグラスをカウンターに置いて薄くほほ笑んだ。 たったそれだけだった。でも、アタクシは言い表せない違和感と言うか、不安というか……とにかく悪い予感がした。
「嬉しいわねぇ。ヴェルモット、私が好きなお酒。そして、今の名前」
「……ねぇ、本当にアンタ何しに来たの?」
「そりゃあ仕事よ。生きるためには働かなくちゃ」
「……噂には聞いてるのよ」
「へぇ?そう」
店の中が、しんとした気がした。例えるなら、雪国の夜のように押し殺した静寂。雑音が絶えない中野の街が、何者かに「黙れ」と命じられたような、そんな重い雰囲気に包まれた気がした。
「……5年前に警視庁の四課によって解体された広域暴力団阿久津組。 その中でも武闘派として知られた藤健組最後の若頭、谷田川力男。 幹部以下の組員全員を愛人とし、気にくわない奴がいたら暴力で消し続けた無法者。 解体前に強盗殺人を始めとした実刑で無期懲役でブタ箱に突っ込まれたはずなのに、なぜかヴェルモットと名乗ってアタクシの目の前にいる。 本当にイタコになったんじゃないかしら。不気味ねぇ」
「サリー、あんた良くしゃべるわねぇ」
ヴェルモットと名乗る男は、カクテルグラスの底に指を通してテーブルの上で弄んでいる。 微笑みを絶やさないが、その目の奥には言い表せないほどの闇が見え隠れしている。
「昔は粗野で考えなしで話していたのに……容姿も心根も不気味になったわね」
「うるさいわよ。でも、そんなに聞きたいの?」
「……まぁ言わなくていいわ。あんたに深入りしたくないもの。 店と大事にしている人に被害がなければ何しててもかまわない」
「賢明ね。私もそうなるように努めるわ」
「努めるじゃなくてそうなさい。もし破ったら……アタクシの持てる全てを使ってでも、それなりの償いをしてもらうから」
「あなたとは仲良くしていたいの、分かったわ。約束する……さて、ご馳走様。お代は置いとくわ。お釣りが出たら、貴方との楽しかった時間に充てて頂戴」
ヴェルモットがテーブルに一万円札を置いて出口へと向かう。 アタクシは一万円札を注視する。それは皴ひとつなく、アイロンをかけたようだった。それが谷田川力男の癖。いつ死んでも良いように、細部にまで神経を尖らせるヤクザの美学。 彼が本物の谷田川力男だと証明しているのだ。
「ひとつだけ本当のことを教えてあげる。私が中野に来たのはね、仕事だけじゃないの……復讐よ」
アタクシは耳が鳴っている気がした。それがドアが閉まったときのカウベルの余韻だと気付くと、少しだけ安心できた。
「谷田川力男が女の姿をしてヴェルモットと名乗る……大友兄弟には深入りするなって言わなきゃね。 場合によっては、あの人たちが働かなくて良いようにしないと」
ハンドバックからiPhoneを取り出し銀行残高を確認する。 少しだけ疲労感を感じて、ため息をついた。
「……めんどくさいわねぇ」
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