4/2日(火)良いわぁこのヴァージン!
「タマナシ」を出て、金も用事もないけど中野駅前をブラブラしている。 一人の理由は簡単。 マッチが店に来たんだ。マッチと言ってもアイドルじゃないぜ? いや、アイドルがIdleで単語の意味通り「偶像」って意味だったらあっているのかもしれないな……
--回想なんだからね!--
30分の政見放送が終わる頃、すでに「タマナシ」は開店していた。 ポツリポツリと来客がいるが、軽くいっぱい引っ掛けて帰っていくくらいのライトな客層ばかりで、俺も兄ちゃんも「まだいても大丈夫だろう」と居座り、健にSNSの書き込みをさせていた。
「あぁ健くん。 ここの「葉っぱ広いから溶接します!」はちょっとまずいかな」
「えっ!? ダメでした?」
「うん。 葉っぱだからね。 溶接したら燃えちゃうでしょ? 正しくは「葉っぱ拾いから接着まで致します!」だね」
「分かりました! 『葉っぱ広いから密着します!』これでどうでしょうか!?」
「うん。 バカなのかな?」
あ、健がびっくりして血を吐いた。 そんなことを兄ちゃんに言われると思わなかったろ? 残念だったな、我が兄は最強の内弁慶なんだよ。 少しでも気を許すと上から来るから。 現に見てみろよ。 お前が血を吐いても、すでに事務的にコップで受け止めて足元のバケツに移し替えてるから。 白いバケツに赤い水玉を作ったのはお前らだぜ? 二人の初めての共同作業は白いのに赤いのを垂らす汚す作業ですってか? やかましいわ……
なぁ、宮崎さゆりよ。 なぜお前は包丁片手に柱の影から笑顔で俺を見てる? その時だ、来客を告げるカウベルが鳴った。 現れたのは、黒い髪で結った三つ編みを両肩に垂らし、頭頂部が禿げ上がった筋骨隆々の推定50代男性が現れた。 俺と兄ちゃんは、交通事故に遭ったような突然の出来事に身動きができなくなる。 ただただ見つめることしか出来ない俺らを無視して、男は真っ直ぐにカウンターへと歩いていく。 先客たちはいそいそと帰り支度を済ませて出ていこうとすらうが、カマイタチは男を見つめながら微笑んでいる。 ついに男がカマイタチの前に立つ。 その距離はお互い共に拳を振り抜けるほどだ。 男は鋭い眼をしながらカマイタチを見つめていたが、重い門扉が開くように口を開く。
「……どぉ---もぉおおお!!! マッチでぇーーーーす!」
「とんでもない自虐ねぇ。 こ汚い自分のものをマッチ棒扱いするのは止めなさいなジャスミン。 それって公害よ」
「ちょっとカマイタチ! ひどい! なんの公害だって言うのよ!」
「存在自体が公務執行妨害。 公然わいせつじゃないわよ? 公務執行妨害。 トドメは騒音ね、体格を考えなさい」
「ひどおおおおおい! 私、あそこがブルースみたいに渋いって言われるんだからね!」
「まったく可愛くないわぇ。 見た人が「ブルーになるっす」「目が渋くなる」って言ってるのを都合よく脳内で自動変換したんじゃない? ねぇ童貞? そう思わない?」
……なんで俺に振るんだよ。 意味わかんねぇ。
「ねぇ童貞! 私って可愛いでしょ!?」
「答えなきゃいけねぇのかよ? お前ドMか? 傷つきたいのか?」
「ワァオ! 良いわぁこのヴァージン!」
「相性良いみたいね。 ジャスミン、アイツの処女奪ってやりなさいな。 童貞なのに非処女ってわけのわかんない男にしてやんなさいな」
「アイアイサー!!!!」
「こっち来んなレッドリスト野郎!」
迫りくる巨漢の接吻を拒絶して俺は店を飛び出した。 残された兄貴がどうなったかは知らんが、良くも悪くもカマイタチに惚れられてるから大丈夫だろう。 もしも、カマイタチたちに掘られているとしたら……僕にはどうしようもないかな。
--お、終わるんだからぁ! Bakaaaaa!!!--
時間は21時を少し回ったあたり。帰宅途中の勤め人や酔客はもちろん、今から仕事なのか仕事を失ったのかのような力ない目をして改札の中へと向かう人もまだら。 北口のちょっとしたスペースでは、区長選に立候補しているであろう候補者が演説をぶっているが、誰もが一瞥して通り過ぎていく。 その内の一人である俺は、ふと中野通りが気になって目をやる。 遠くに見える市役所の前にある桜の木に、葉が付き始めている。
だが気になったのは、それよりもずっと手前。 なんなら3m先くらいで、手書きで「女芸人パブ」と書かれた看板にサンドイッチされたマーシーが手を振っていた。 サンドイッチマンのパンクスだけでも珍しいのに、「女芸人パブ」の案内看板にサンドイッチされていることが何か可笑しくて、俺は笑ってしまった。
「先生、なんで笑ってんですか!?」
「わりぃ、わりぃ。 革ジャンで髪ツンツンした金髪パンクスが、サンドイッチマンしてるの初めてみたからさ」
「笑わんでくださいよ! 仕事をしなければならない生活苦に対して、せめてものポリシーなんですから!」
「まったく意味わかんないけど、消しゴムの角は特別な時だけしか使わないってのと同じ?」
「えっ!? すいません、まったく意味わかりません。 何言ってんですか?」
「俺も一緒の気持ちだよ」
そう言うと、マーシーがツボにはまったように大爆笑をする。 つられて俺も笑ってしまった。 そんな俺らを街人が避けるように歩き、怪訝な目を向けているような気がした。
「ところでマーシー、その女芸人パブってキラーワード何?」
「あぁこれは、中央4丁目にある駆け出しの女芸人が集まるパブなんですよ。 ショーも見れますよ」
「へぇ、あの辺って再開発されて金持ちどもが多いのに。 あそこでやってても目立たないだろうなぁ」
「そうなんです! しかもマンションの地下にあって、マジで目立たないんですよ。 だから、僕がこうやって駅前で宣伝を申し出たわけです!」
「へぇ、偉いねぇ。 まぁとりあえず食い扶持ゲット出来てよかったじゃん。 日給、時給?」
「いえ? ボランティアですけど?」
「はぁ!? こんな恥さらしといて金貰ってないの!?」
「先生、これはね。金とかじゃないんです。 チャンスを得たい創作者同氏が魂を響かせあった化合物です」
「ゴメン、意味が分からない」
「心意気ってやつです。 ご飯食べさせてくれるし」
「へぇ。飯を食わせてもらう代わりに働くなんて、囚人みたいだな」
「ハハハ……それはそうと、もうすぐ選挙みたいですね。 先生は誰に入れるんですか?」
「何も考えてないよ。行かないかもしれないし」
「それはダメですよ。僕たちの生活が変わる人を自分たちで選ぶんです。票を入れるってことは、その人を信じるってことですから」
「信じられる人なんていねぇよ。 やることが変われば、人間関係も変わるからな。 絶対なんてねぇんだよ」
「だからこそ信じるんです。 信じるって裏切られてもいいって思えるほど期待することですからね」
「良いこと言うねぇ。 じゃあ、あいつを信じられるか?」
そう言って、広場で講釈を垂れている候補者を指さす。 マーシーは困ったような笑みを浮かべているだけだった。 まぁ……年金事務所を潰して、養鶏所で働けるようにするって語っている奴じゃダメだろうな。 自給自足の街・中野ってなんだよ。山梨帰れ。
「僕、この街に来たばかりですけど、この街って面白いですよね。 北口に行けばこだわりの強い人と人情にあふれた人ばかりですし、南口はロジカルで社会的な勝者も多くいて。 そんな人たちを中野って街が包み込んでいて……この街の人間臭いとこ、残してもらいたいなぁ。 そんな人だったら入れたいですね。 逆に、あの人みたいに、一色に染めようとする人はないかなぁ。 自給自足ってのも素敵ですけどね」
なんか俺の方がパンクスじゃねぇの? ずっと不平不満ばっか言ってるし、人生嘆いてますけど?
「ねぇ、君ホントにパンクスなの? 言ってることメチャクチャ甘いし、優しすぎない?」
「優しさを忘れたパンクスはパンクスじゃないですからね」
そう言われたら何も返せねぇよ。そんな俺をほっといて、マーシーは候補者に熱心に耳を傾けている。そのとき、ラインの着信が聞こえた。あ、俺のスマホだ。 開いて見てみると、兄貴からだった。
「シゴト ハイッタ シキュウ タマナシ」
……なんで電報風なの?
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