4/2日(火)自分の色に染めようとするヒーロー
カラカラとピーナッツをいる音と、緩やかなギターの旋律が聞こえる。 バターが焦げる香りにタバコが混じった甘い匂いが鼻腔を刺激する。 落ち着きを取り戻した店内は、大人の空間そのものだ。 これに血の匂いがなければ最高なんだけどなぁ。
「なぁ、そう思わないか」
「あの晃司さん、言ってることがちょっと……」
隣にいる健がそう言う。 固いこと言うなよな。 お前の隣にいた方が揉めないと思うんだ。 健は言ってもしょうがないと思ったのか、テーブルの上にあるノートPCを起動した。
「それで健、何してんの?」
「中野区長選、そろそろじゃないですか? 政見放送やるらしいんで見ようかと」
「お前暇だねぇ。 働きなよ」
「働いてますよ? ここのHP作ったのは僕ですし、入院中だって個人で請け負ってましたから」
「えっ!? マジで!?ちょっとここのHPを見せてよ」
反応が嬉しかったのか、健はニコニコしながらタマナシのHPを開く。 カマイタチやギターマンの動画や、美味しそうな料理の写真やスタッフブログなどがある。 どれもこれもクオリティが高い。
「へぇ、こりゃすげぇわ! 兄ちゃんちょっと見てみてよ!」
「……どれどれ、おお健くん! 本当に凄いね! 大したもんだよこれ!」
呼ばれてやって来た兄ちゃんも驚きを隠せない。 大友兄弟の反応に機嫌を良くした健は、立ち上げたときにこだわったポイントや苦労したところを自慢げに語りだす。
「なぁ健。 うちのHPも作ってよ」
「うん、俺からもお願いするよ健くん! 金払いがいいお客さんだけ集客できるHP作ってください」
「えぇ……いくらくれるんですか? これと同じくらいするなら友情価格でも10万は頂きたいです」
「健くん、10万は厳しいよ。 10円だったら即払いするけど」
「ははは、友彦さん面白いこと言う人だったんですね」
「なぁ健よ。 お前、俺らに貸しがあんだろ? カマイタチと仲直りできたの誰のおかげだと思ってんだ?」
「えっ……それはまぁ、あれですけど……本気で10円って言ってるわけじゃないですよね?」
「「本気だ」だよ」
「何なの、この大人たち……!」
その後、渋る健を説得して大友屋HP立ち上げ料金を1万で請け負ってもらった。 予算オーバーじゃないのかって? おいおい、俺らはそんなに鬼じゃあない。 選ばせたんだよ……即払いで10円か、ある時払いの分割で一万かってな! 毎月100円くらいは払ってやろう。 たまにパチンコで大勝ちしたら、利子つけて12000円とか払って「健さん太っ腹!」とか言わせてやんよ。 騙されてるのも気づかずに、健は「じゃあSNSからやりますね!」と、ツイッターやインスタ、FACEBOOKでアカウントをパパっと作ってくれた。 至れり尽くせりとはこのことだ。 後は兄ちゃんが運用してくれんだろう。
「ありがとうな健!」
「うちの弟がムリ言って本当に申し訳ない。 でも、ありがとう!」
「いえいえ、そんな! 僕らの仲じゃないですか! 良いHP作りましょう! 明日にでもHPに使う写真撮りに行きますから!」
「健、友彦さんなら大丈夫だろうけど、お人好し過ぎると痛い目見るってことだけ覚えておきなさい……それより、そろそろ始まるんじゃなくて?」
「あぁそうだった!! ヤバイ! 始まっちゃう!始まっちゃう!」
健はいそいそとPCで政見放送を流す。 ちょうど候補者の一人が所信を述べ終わったところで、次の候補者のプロフィールを紹介しているところだった。 それにしても、なんなの? 中野ケンタッキーって? 中野から始まるブロイラー宣言ってどういう意味なわけ? そもそも、そのひげと白いタキシードって完璧あれだよね?
「なぁ健……本当にコイツ区政をやる気あんのかな?」
「ないですよ、泡沫候補ですもん」
「ないのになんで立候補すんのよ? これだって金かかってんだろ?」
「多分ですけど、広告じゃないですかね?……ほら、中野ケンタッキーで検索かけたら、山梨の養鶏所会社社長みたいですし。 100万くらいで広告打てたら安いって思ってるんじゃないですか? 都知事選とか、そんな人ばっかですよ」
「コイツが中野でやる意味って何かあんのか?」
「……そもそもこれ中野だけの放送ですよね。 区民以外は見てないだろうし。 えっ!? もしかしてこの人マジでやりたいの!?」
健が一口吐血をした。 血を吐くほどの驚きだったわけだが、俺もビックリだ。 こんな奴らばっかだったら、中野が終わってしまう。
「な、なぁ! 健! こんな奴らばっかじゃないよな!? まともなやつもいるよな!?」
「そ、そうですよ晃司さん! 言うても中野って東京でも力のある区ですし! 人材はいっぱいいるはずです! 現に他県からも立候補しているわけですし!」
「俺、この町では変人奇人しか見てないんだけど。 そんな奴らが普通に暮らせるとこだと思ってんだけど。 住民がそうなら、区長だって……」
「そんなことないですよ! 立派な人だっていますよ!」
「ほんとに? この町で顔役やってるカマイタチ見ながら絶対にいるって断言できる?」
「失礼な童貞ねぇ、言えるに決まってるじゃない。 ねぇ健?」
「……ほら、次の候補者とかまともそうですよ! ハーバード大卒でコンサルティング会社経営ですって!」
「ちょっと健。 言いなさいよ」
まさかの弟の本音に不満げなカマイタチはさておき、なるほど、次の候補者である薬師寺洋人はまともそうだ。 清潔感がある服装と髪型をした、いかにも出来るビジネスマンって印象だ。 さっきの山梨の兼ねるオジサンと比べたら悪いが、第一印象ってやっぱ重要なんだなぁ。 話を聴く気になるもん。
(中野区の皆様。 はじめまして。 この度区長に立候補いたしました薬師寺洋人と申します。 中野で生まれ育ち、現在は会社を経営していおります。 育ててくれた中野に恩返しがしたく立候補させていただきました。 さて、時間も限られていますし、早速ではございますが所信を述べさせていただきます。 私が区長になってやりたいことは、端的にこの街に住んでいる人が自慢したくなるような街作りをしたいと思っています)
ほら、ちゃんとしてるもん。 年金事務所を潰して島忠の横にブロイラー建てるとか言わないもん。
(自慢したくなるような街、そう言っても分かりづらいかと思います。 そこでこのデーターを見ていただきたい……グラフの通り、外国人観光客の増加に伴って区の財政は右肩上がりになっていますが、子育て世帯の増加がし託児所や幼稚園などが不足している現状です。 さらに、転入も増えていますが転出が年々非常に増えている。 この背景には外国人就労者が増えて文化の違いによる軋轢や治安悪化があると考えられます。 住人に「中野は怖い」と思われないように、区役者に治安維持の専門家を常備させようかと思っています。 放送をお聞きの住民の皆様の中には、中野はそういう町だと思われる方もおいででしょうが、これからの時代はそうはいかない。 クリーンで安全が最低限のスタートラインです。 この街は「中野らしい」に甘んじて、世間の流れから目を背けて来続けてきた。 私が施政を任せていただければ、まずそこにテコ入れします。 名付けて"中野浄化ミッション"です。皆様! 何卒私を中野区長に推してください!)
なんか難しくてわかんない。 何? この街をキレイにするっての? それって清掃局や俺たち何でも屋の仕事だろ? 何言ってくれちゃってんの? ただでさえ家賃払えないってのに。
「俺、絶対にコイツには入れない! ケンタッキーに入れる!」
「えっ何でですか!? 一番まともじゃないですか!?」
「バカ野郎! ケンタッキーは継続的に仕事くれんだろ!」
「そのケンタッキーじゃないです! アイツはやべぇケンタッキーですよ!」
「私も入れないわ」
「兄さんまで何で!? ハーバード大卒で社長だよ!? これ以上ないくらいに頼りになるじゃん!」
「薬師寺さんの言葉はキレイだったわ。 だけど人への温度がなかった。 多様性を認めてくれないって感じたのよ。 多様性を認めてくれて、そこに入って楽しんでくれる人じゃなきゃ、怖くて票を入れられないわ」
「……まぁそうか。 うん、そうだね」
「自分の色に染めるヒーロはもう懲り懲り。 友彦さんみたいに、どっしりと何でも受け入れてくれる男だったら喜んで委ねるんだけどね」
思わぬとこから評価され、兄は苦笑いを浮かべている。 良かったな、受け入れてやれよ。 オカマから熱視線を向けられるなんて誰しもが経験することじゃないよ。 それにしても、中野も変わっちゃうのかねぇ。 青山とか田園都市線沿いの街みたいにはなってほしくはないなぁ。 そうなったらうちの大家みたいに家賃待ってくんなそうだもん。
そんなことよりだ、まず今月の家賃をどうにかしないとな……
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