4/2日(火)大友屋と愉快なタマナシ一味

 開店前の「BAR タマナシ」を形容するなら「優雅で妖艶」といったところであろう。 それは入る前から分かる。 アコースティックギターを弾く音がするが、ギターマンが来客へ披露する楽曲のために、神経質に調律を合わせているのだろう。 扉からバニラのようなタバコと芳醇なバターの匂いが漏れだしている。 店主がタバコを燻らせながら、お通しのソルトバターピーナッツを仕込んでいるんだろうな。

「なんかお菓子でも作ってるのかな?」

「兄ちゃん、これはピーナッツとタバコの匂いだよ」

「違くない? とうとう鼻までおかしくなった?」

 これだから違いが分からない奴は……真面目一本でやってきてると型にハマった考えになるんだな。 甘い=スイーツだったら、誰も青酸カリで殺されないわ。 そんなことを考えながら「タマナシ」の扉を開いた。


「ごめんなさいね、まだ開店前なの……どなたかしら?」

「カマイタチ、俺だよ俺」

「ご無沙汰してますサリーさん」

「あぁ友彦さんとヤラサーのクズね。 お入りなさいな」

 長いキセルを指先で弄んでいる黒髪美人、カマイタチことサリーがそう毒づく。 立てば芍薬座れば牡丹歩く姿は百合の花と形容すべき美しい容姿を持っている。 俺らは、カウンターの向こうにいるサリーと対面するように掛ける。 

「その格好はなぁに? セレブ気取り?」

「実はひどい花粉症でして……お見苦しくてすみません」

 兄ちゃんはマスクとサングラスを外す。 俺はカマイタチが「相変わらずいい男ね」とつぶやいているのを見逃してはいない。 だが、全然羨ましくはない。 なぜならこいつは男だからだ。 だから、ヤラサーとか言われても何も傷つかない。 ホントだからね?

「ところで、なんの用かしら?」

「実は何でも屋を再開することになりまして……」

「あら、就活はどうされたの?」

「……やむにやまれぬ事情から断念することになりまして」

「そう、多くは聞かないでおくわ……童貞、友彦さんを困らせないで頂戴」

 なんで今ので俺のせいって分かんの? お前ら熟年夫婦かよ。 さては……お前らやったな?

「兄ちゃん、心底軽蔑するよ」

「はいはい、そろそろ残念な頭アップロードしてもらっていいかな? それでサリーさん相談なんですが……仕事ないですか?」

「今日の今日は何もないわ。 それとなくなくお客さんに聞いてあげるけど期待はしないで。 それと、そこの壁のスペース、空けているから使っていいわよ。 ポスターを貼るでも、チラシを置いとくでも好きに使っていいわ」

「そうですか……ありがとうございます」

「浮かない顔ね。 そんなに切羽詰まってるの? いつまでにいくら欲しいのよ?」

「来週の月曜までに……10万」

「切羽詰まってるのねぇ。 童貞、あんた臓器でも売ってきたら?」

「いい加減にしろ童貞童貞って。 何回も言うけど俺はヤリまくりだ。 荒川くらい激しい男だぜ? 心配してくれんなら金貸せよ、30万くらい」

「相変わらず悲しい頭をしてるのねぇ……荒川なんて下手したら歩いて渡れるくらい穏やかな川じゃない。 友彦さん、弟さんが金貸せって言ってるけど……どうする?」

 カマイタチは挑むような誘うような笑みを愚兄に向けた。 しかし、この図体がデカイ男は目を泳がせて、焦ってますアピールを送ってくる。 しっかりしろよ。 お前が一晩寝てやれば30万入ってくんだぞ? 考えようによっては美味しいじゃねぇか。 

「いいじゃん兄ちゃん。 一晩付き合ってやれよ。 そして家賃払って余った金額を俺に渡せ。 そしたら利子つけて返せるくらいに勝ってきてやるから」

「お前他人事だと思って勝ってなこと言ってんじゃねぇ! そもそもお前がギャンブルで負けた借金でこうなったんだろうが!」

「大丈夫、このごろオートレース研究してるから。 鈴木だけ買っとけば負けないから!」

「ほんとに醜くくてバカな弟ねぇ。 友彦さん、縁を切ったらいかが?」

 と、そのとき吐瀉物を吐き出す音がした。


 ふと目を向けると、一番最奥の席で人影が動いた。暗がりになっていて良くわからなかったが、そこにいたのは西条健だった。 ギターマンが座っているソファー席の一方で寝転んでいたようだ。 健はトマトジュースを傾けていた……いや、正確にはトマトジュースを生成しているのだ。 あんなことがあったけど、ずいぶんと懐かしい感じもする。

「よう健、大声あげて悪かったな。 しかし、相変わらず名前負けしてんだな。 フラジールって名前にしたほうが良いんじゃね?」

「嫌ですよ晃司さん。 僕だって吐き出す前にグラスを用意できるくらいの余裕は出来たんですからね」

「回復しているどころか、慣れているあたりがヒクくわぁ」

「僕だって成長してるんです。 強くなってるんですからね」

 

そういって健は笑った。 口元に血の泡を付けながら。 お前、やっぱり入院してたほうがいいよ……なんで一日中血を吐いてんのに、なんでそんなに元気なのよ? 一周回って誰よりも健康なのかもしれない。 常人よりも血ができるスピードが早いとか、そんなのじゃないのかな。 健がいれば吸血鬼とかメチャクチャ友好的になるんじゃね?

「ねぇ童貞、今日のおすすめはレッドアイよ」と、背中ごしにカマイタチが語りかけてくる。  絶対にいらない。 金もらってもいらない。 すると、後ろにことりと硬い音がする。 なんだろうと振り返ると、テーブルの上に黒焦げた何かが盛られた小皿が置かれていた。


「Kさん、今日のお通しはコーヒー豆です。 よかったら味見してください」

 顔をあげると、丸い顔をした小柄で可愛らしい顔立ちの女が微笑んでいる。 健の恋人である宮崎さゆりだ。 こんな可愛い子が作ったお通しなら、コーヒー豆でも喜んで!

「おぉ、ありがとう! なに? ここで働いてんの?」

「はい! 休みの時と昼勤の時だけですけどね」

「ねぇ、さゆりさん。 病院で仕事ってない? 俺の血とかさ、晃司の臓器とか買ってくれないかな?」

 お前なんてこと言うんだ。 もし買ってくれるって言ったらどうすんの? 大事な弟を売るなんて、兄貴の風上にも置けないぞ。

「うーん……それはないですけど、事務局に何かないか聞いてみましょうか?」

「お願いします! 葉っぱ守る仕事なら前にやって出来るから!」

「あ、それダメです! 今枯れてませんし、そもそも花粉症だったら外仕事なんて無理じゃないですか?」

「クソぉ!」

 兄ちゃんが大げさにテーブルを叩いて悲観している。 葉っぱ守る仕事がなくなったのが死活問題ってなんだよ……だいたいあの仕事って、駆けつけたときには葉っぱ落ちてて、事務局に泣きついて金を恵んでもらっただけじゃん。 事務局に聞いても心象最悪だと思うぞ。 


 お通しに手を付けてみる。 へー、コーヒー豆ってこうやって食べたの初めてだけど、ボロボロしてて焦げ臭いもんなんだな。 これがちゃんと手仕事でローストした豆かぁ。 食べ終わったら手についたバターを舐めて、口の中にコクを加えて味を変えるんだな。 うんうん、悔しいけどサリーのとこらしく、こだわりが強い食いもんだな。

「ところで、さゆりちゃん。 今日のお通しいつ変えたの? ソルトバターピーナッツだって言ってたじゃない?」

「そうなんですよ! ちょっとお姉さん聞いてください! 私も最初はそのつもりでピーナッツをローストしてたんです。 生のピーナッツに火を加えるうちにだんだんと色が変わっていくじゃないですか? 味見をちょくちょくしてたんですけど、素材の風味が足りないなって炒り続けたんですよ。 そしたら、これが一番だって気づいたんです! あんなに硬いピーナッツが、一口頬張ると溶けるようになくなり、大人が好きそうな苦味があって、そこにバターを加えることでコクが出て……私、気がついたんです! これ、コーヒーじゃないかって! コーヒー豆ってこうやって作ってたんだって!」

「さゆりちゃん、焦げてるだけよ」

「キャハハハハハハ!!! そんなの知らなあああああい!!! これはコーヒー豆よ! ねぇ童貞!? あんたもそう思うでしょ!? このカマ野郎に言ってやんなよ! コーヒー豆ですってさあああああああああ!!!!!!!!」

「ピーナッツだったダークマターだわボケ!!!!!」

「違うわあああああああ!!!! コーヒー豆よおおおおおお!!!!!」

「ゴハァ!」

「健ちゃあああああん! 大丈夫うううううう!!!????」

 さゆりはカウンターを飛び越えて、健の元へと駆けていく。 たどり着くとギターマンを突き飛ばして、テーブルにいくつも置かれていた健特性のトマトジュースを健に飲ませ始めた。 それを見たカマイタチが静かにマドラーを投げつけるも、さゆりは振り向きもせずに後ろ手でそれを掴む。


 あぁ、もう嫌だ……そうだった、この女はヤンデレだった。 こうなったらどうしようもないわ。 しばらく静観しよう。

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