2/15日(金)健って名前なのに不憫ねぇ
「なんでお茶飲んで落ち着いてんだ! 違うだろ!」
「あわわわわわ……探偵さん! すみません! お口に合わなかったら、その、何か買ってきますので! ポカリとかカプリとか!」
「さゆりさん。悪いのは僕だから僕が行くよ」
「ケンちゃんはダメ! ここにいて!」
「ねぇ。 アタクシ眠いんだけど。言いたいことあるなら早くして」
「サリーさん、ギタリストの方、ギター抱えたまま寝てますけど大丈夫なんですか?」
「少し休ませてあげて。 昼からバイトなのよ」
「バイトしてるんですか?」
「タクシー運転手をね」
「えぇ!? そっちが本業じゃないんですか!」
「本人は認めないのよ。 世を忍ぶ仮の姿だって」
「お前らいい加減にしろ!」
好き勝手言いやがって。なんで、この状況で普通に会話できんだ?異常さに慣れてんじゃねぇよ。血が固まって、畳が黒いマットみたいになってんだぞ? 大事なことだからもう一度言うぞ。 異常さに慣れてんじゃねぇよ。
――異常と言えば、稲川さんどうなったの?
「なぁカマイタチ……稲川さんって……」
「カマドウマのこと?」
「カマドウマ?」
「隣にいた男でしょ? そう、稲川って名前なのね」
カマイタチはそう言って、ポーチから細いタバコを取り出して火をつける。それを見た宮崎さゆりが、キャップで開閉できる400mlの空き缶を持ってきた。カマイタチが「どうも」と言うと、宮崎さゆりは照れながらも「とんでもないです」と返した。
「お前ら、もう仲良しなんじゃね?」
「そうでもないわよ……で、カマドウマが何?」
「ここに来る前に隣に行っただろ? 何したの?」
「あぁ、久しぶりに見つけたからね。ボコボコにしてやったわよ」
「いや、だから何で?」
「ツケは踏み倒すわ、常連客にたかるわ、人の男を寝とるわで、大変なヤロウだったのよ。 あまりにも汚い生き方してたからカマドウマ。 便所虫よ」
「それがたまたま……」
「そう。隣にいたのよ。 最初は『ゴメンナサイね、間違えたわ』って出ていこうとしたんだけど……よくよく見たらカマドウマじゃない? これ幸いで、イビキするくらいボコボコに潰してやったわよ」
当然の如くに言い放って細い煙を吐き出す。なんとも衝撃的な真相だ。稲川さんとカマイタチが顔見知りってことより、稲川さんが男も女もいける能力をもっていることが。どんだけ変態なんだよ……
「あの、晃司、サリーさん。 そろそろ」
黙れ愚兄。俺は帰ろうって言ってたんだ。でも、もっともだ。 俺たちに時間はない。 時間は9時。11時には銀行へ行きたい。
「んじゃカマイタチ、西条健。 やろうか」
マットを挟んだ地獄の会談が始まる。
※ ※ ※
「えーでは、只今より西条健と中野のカマイタチこと……サリーさん、下の名前は何ていうんですか? 西条?」
「サリーでいいわ」
「いや、ちゃんとしたいんで。 本名教えてもらっていいですか?」
「こんな状況でちゃんともクソもないでしょ? サリーでいいわよ」
「承知しました。中野のカマイタチことサリーの討論会を始めたいと思います。 まず原告の西条健。 主張を述べてください」
兄ちゃんに主張しろと促され、西条健は「ぼ、僕からですか!?」とテンパっている。それを見た宮崎さゆりが「頑張って!」と励ましている。
「そ、それでは、私、西条健の主張は、兄さんの、ゴハァ!!」
「ケンちゃん!」
「健! 大丈夫!?」
宮崎さゆりとカマイタチが西条健の吐血に心乱される。俺は、完全にうんざりしている。ちゃんと話し合えって、こういうことじゃない。裁判みたいなもんじゃない。
「これ、違うだろ」
兄ちゃんは”ちゃんと”にこだわりすぎて本質を忘れているんだ。これは兄弟喧嘩。家族同士じゃなきゃ出来ない喧嘩。感情と感情をぶつけ合っていい喧嘩だ。他人同士でも出来る正当性のぶつけ合いじゃない。こいつらに必要なのは、納得じゃなく理解だ。
「なぁ、西条健。 お前、なんでカマイタチから逃げたんだよ?」
「逃げたんじゃないです! 自分の足で生きていこうと思って!」
シンプルな言葉で。
「嘘だね。 それだったら、退院した後にでも話し合って独り立ちって方法もあったはずだ」
「兄さんは、僕の話を聞かないから、実績を作ってから報告しようと」
「それが逃げたっていうんだよ」
「違う!」
相手を煽る。
「違わないね。 自分に惚れてる女を騙して、カマイタチから逃げだした。 そして、不完全な体をぶら下げて、ここで血を吐いて、またも大事な人たちを心配させている。 お前は自分が良ければ全て良い卑怯者だよ」
「あんたに何が分かるっていうんだ! 俺が、どれだけ苦しんだと思ってるんだ!」
そうすれば本音が出てくる。ポツリ、ポツリと、感情を紡ぎ出していく。
「……子供のころから悩んでたんだ。 スポーツが出来ないどころか、 食事をしただけで疲労困憊になってしまうような、体になって、どうやって生きていけば、いいんだって」
口角から血がとめどなく流れていく。体内では血が噴出しているんだろうな。しかし、話すリズムが途切れてしまわないように、吹き出す血で言葉が途切れそうになりながらも、ゆっくりと確実に紡いでいく。
「悩んでいても仕方がないから、文字通り血を吐きながら勉強して……色んな資格を取って……社会で活躍することを目標に頑張ってきたんだ」
西条健の背中を支える宮崎さゆりが涙を流している。
「でも、体は、言うことを聞いてくれなかった……高校の終わりには、感情が大きく動くだけで血を吐くようになり、入院することになった……」
カマイタチは人を喰ったような微笑を潜め、西条健の顔をまっすぐに見つめている。
「入院して……革ジャンを着てバイク乗り回していて、パンクバンドのボーカルギターで歌ってて……あんなにカッコ良かった兄さんが…………唯一の肉親に夢を諦めさせたどころか、自分のせいでオカマにさせて」
そこまで言って、西条健は大きく目を見開き吐血する。しかし、すぐに俺を睨みつけて言葉を続ける。
「憧れだった人を自分のせいでオカマにさせてまで生きる辛さが分かるかよ! 『健って名前なのに不憫ねぇ。 私が最上級の健康をプレゼントしてあげるからね』って言われた気持ち、分かるのかよ!!!!!!」
「お前バカか? 誰も分かんねぇよ。 んなこと言ってっからガキなんだよ」
その言葉に誰もが振り向いた。さて、ここからが本番だな。
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