2/14日(木)遠慮しない。それがルールだ

 俺と兄ちゃんは、喫茶店でさっきの看護婦を待っている。時間はすでに20時。銀行に入金するまでのリミットは、後13時間くらいってところか。


「兄ちゃん、実際いくら足んないの?」

「残り4万」


 4日で1万しか稼いでないの?積んでねぇか?これ。


「すみませーん! 水!」

「ご注文はお決まりですか?」

「いやぁ、貴店のメニューはすべて魅力でして。我々も決めかねているのですよ」


 店員が舌打ちしながら去っていく。兄ちゃんの悲しい嘘は通じなかったようだ。


 そりゃそうだ。チェーン店の喫茶店で、三時間も迷うはずもねぇだろ。大抵コーヒーと適当な軽食頼んで終わりだろうが。


 ただ、俺達は悲しい嘘を貫かなければならない。余分な金は一円足りとも使えないからな。


 彼女が来るのが先か、店長から叩き出されるのが先か、俺達はわけの分からない勝負に挑まなければならない。


 店員が白いワイシャツを着た中年男性に報告する。おそらく、店長だろう。いや、間違いないだろう。


 報告受けた後に、無表情で一直線にこっちに向かってくるのだから。


「兄ちゃん、勝負どころだよ」

「あぁ…」


 これから起こるだろう舌戦に備え喉を潤す。グラスはすでに汗をかいている。こんだけ鼓動が早いんだ。きっと、俺らの心も汗をかいている。


「お客様、ご注文はお決まりですか?」


 注文を確認しているわけではない。"自発的に出ていけ"と警告を与えているにしかすぎない。しかも、おそらく最後の警告。兄ちゃんは、店長の威圧感に負けて悲痛な顔でメニューを手に取る。


 その時だった。


「す、すみません!遅れちゃって!」

「もー遅いよー!座って座って!あ、店長ゴメン!連れが来たから、まとめて注文するね!」


 勝った。店長が舌打ちしながら去っていく。際どいところだったが、間違いなく勝ったのだ。生産性がないどころか、ただの営業妨害にしかすぎない駆け引きに勝利したのだ!


 俺は勝利を噛み締めるように、店長の苦々しく歪んだ表情を思い返しながら水を飲む。カルキ臭い液体が身体中に染み渡り、言い表せない快感が巡った。


 あぁ、勝ったんだなぁ。


「ご注文がお決まりになられたら、お呼びください」


 やって来た看護婦の前に水を置きながら、店長が俺の顔を見てそう言う。おい、それは彼女に言う言葉だろ。


 ×××


「先ほどはすみませんでした。私、そそっかしくて…」


 彼女は詫びる。


 シフトを昼と間違えて出勤してしまったそうだ。だから、夜勤前に時間を作ってもらったってわけ。


「いえいえ、逆に申し訳ないです。お時間いただいて」

「時間ないだろうから、手早くやろう。その前に注文しちゃいなよ」

「は、はい」

「おい、晃司。言葉使い何とかしろよ。怖がってんじゃん」

「ビックT。晃司って誰だ?デンジャラスKだろ? それに、あんたも怖くはねぇだろ?」

「こ、こわいです!」

「じゃあ慣れろ。なんせ、デンジャラスだからな。怖くねぇデンジャラスなんかねぇだろ?」

「は、はい!分かりましたデンジャラス晃司さん!」

「Kだ!」

「ケーーー!!!!晃司さんは、ケー!」


 やだ、この子かわいい。


「そろそろ注文いいかな?店長さん、めっちゃキレてるよ」


 店長を見ると、キレ顔で銀のトレーを軽く殴りながら、立ったまま貧乏ゆすりをしていた。そんな貧乏ゆすり、初めてみたわ。


「お二人は、もう注文されたんですか?」

「俺らはいい。託されている金をムダに使ったら、みんなに申し訳ない」

「み、みんなって?」

「国民だ。いくら腹が減ってても、勤務中は飯は食わない。それが俺達のルールだ。」


 嘘は言ってない。クライアントも国民だし、金が入ったら飯を食うつもりだ。


「すごいだす!公務員の鏡です!」


 あ、噛んだ。


「それなら、ここは私が出します!好きなの頼んでください」

「何を頼まれるんですか?」


 兄ちゃんはキメ顔でそう言った。


「私は、アイス抹茶ラテを」

「すみませーん!アイス抹茶ラテと、ペペロンチーノ大盛りのドリンクセット、ブラックコーヒートールサイズで!晃司、お前は?」

「ハンバーグセットご飯大盛りのドリンクセット、クリームソーダ。後、食後にモンブランセット!ブレンドホットで!」

「同じケーキセット、もうひとつ!」

「えーーーー!?」


 おごりなら遠慮しない。それが俺のルールだ。しかし、兄ちゃんもそうだったのは意外だったな。


 ×××


「お腹、減ってたんですね…お金、足りるかな…」

「いやぁ、ありがとうございました。美味しかったです」

「あぁ、近年まれに見る名店だねここは。ねぇちゃんご馳走さん。上には報告しとくから」


 テーブルに積み上げられた食器を見て、彼女は呆れたように呟く。ずっとワンコインバーガーしか食ってないのよ?500円じゃなく100円よ?そりゃ、腹も減りますよ。


「ところで、ねぇちゃん。あんた名前なんてーの?」

「K、言い方」

「宮崎さよりって言います」

「そう、んじゃさよりさん。本題に入ろうか」


 俺は、だらけた姿勢を直し、神妙な顔を作る。


「あんた、なんで『ケン』って名前に反応した?」


 その言葉にびびったのか、さよりは少し肩を震わせた。


「答えてもらいたい。じゃないと、ある兄弟が不幸になる」


 さよりは落ち着きをなくし、カメレオンのように目を泳がせまくる。


「私は、西城健さんの看護担当でした」

「そいつは、何年入院していた?」

「私が新卒で来たときからだから…3年近くでしょうか。最近退院しましたけど…」

「ふむ。そいつとの関係は?」

「友人です」

「西城によく会いに来ていた人は?」

「お姉さんです。中野でバーをやってる有名な…」

「カマイタチか?」


 さよりが首を縦に振る。間違いない。ビンゴだ。


「そっか。残念ながら、人違いのようだ。すまない。時間をムダにしてしまって」

「いえ、こちらこそ、お役に立てずにすみません!」

「このお礼は必ずいつか…そうだ。いつか、我々のところに遊びに来るといい。彼氏とのデートがてらに」

「そ、そんな!彼氏なんて!」

「隠すことはない。俺の知り合いにも患者と恋に堕ちた女医がいる。付き合いたては楽しいけど、まわりには隠したい。わかるわー。で、どこデート行ったの?」

「え、映画です!失礼します!」


 さよりは、顔を真っ赤にして出ていってしまった。あの子かわいいなぁ。将来苦労すんだろうなぁ。


「さて、ビックT。ビンゴだ」

「うん、ビンゴだねあれ」

「俺、サリーのとこ行くから。それと、兄ちゃんちょっとやっといてもらいたいことあんだけど」


 そう告げて、俺はあるお願いと、依頼先の連絡先を渡して店を後にする。


 さて、サリーのとこいくか。

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