後編


「湊川さん、わたくしは今、悩みがあるのだけれど聞いてくださる?」

「それで私をここに座らせて?」

「そうそう」

「部活のことかい?」

「洞察力があるわね」

「いや、最近は会うとその話が多いから……」

 紙コップをテーブルに置いた一鐘院は、身を前に傾けて両の肘をテーブルに着ける。泣き出しそうな表情をわずかに見せて頬杖をついた。

「アニメのことなんだけれど……今のところ、背景画はあまり注目されていないのよね。年々技術も上がっているから、良い背景画がたくさん現れているの。学園ものに注目しているのだけれど、校舎の外観とか、廊下や教室の内装とか、それに中庭の風景や植物も……」

「ふむ、アニメではどんな作品がある?」

「中二病にかかった女子高生に翻弄される男子の涙ぐましい姿。女の子だけで軽音楽部を立ちあげるけれどもほとんどケーキ食べながらの雑談ばかりな話。恋人同士のふりをして実のところ主人公は煮え切らない男の代表。宇宙人や超能力者、魔法少女が学校でテンヤワンヤ。異世界でもゲーム世界でもハーレム。サバゲか戦争ごっこに夢中になってマニア度を競う話。……それに……一人ぼっちの女の子が、立体映像を生み出す部屋で友達を作るお話」

「ふーん、私は推理系かな、あとはたとえばラヴクラフトみたいに血も凍るような怪奇小説を元にしたものなら興味をそそるのだが」

「その方向の学園ものはあるのよ。だけれど……そうね、あなたの対象はライトノベルにおさまらないものね……」

「どうも、特に学園を舞台にしている喜劇は……」

「そうかしら? そこに登場する人物のセリフや振る舞いの描写が楽しいし、丁寧に作られたものは細かい色々な伏線が節目の見所へとつながっているのだけれど?」

 湊川は、相談してきた相手の表情を、心なし距離を取るように観察する。考えた目の次に写ったのは豆乳の紙パック。一旦は結んだ口にストローをさしいれた。半透明なストローの中で薄い赤色が流れていく。それは一口だけで、紙パックを掴む手は膝上に。

「それで、一鐘院は部活で背景の絵をどうしたいのかい?」

「主人公を中心として登場人物には人気が集まるのだけれど、あ、最近はモブにも密やかな人気が出てきたみたいですね。それに比べると背景画はまだまだなの。アニメーターは苦労して丁寧に描いているけれど、一つのカットで使ってそれで終わりだったり。でも背景画は登場人物の心理描写に欠かせない場合があるのよね。それを思うと何とかしたいと思うわけです。それでなのだけれど一つのアイディアが浮かんで……」

 長い前置きが終わり要点に入ろうとしたそのとき、女の子二人が向かい合って会話するテーブルへ、一人の男子学生が恐る恐るの足取りで近づいてきた。顔と耳が赤い。

「あ、あのう一鐘院さま。こんにちは!」

「あら、ご機嫌いかが?」

「こ、こ、これを是非、これを読んでください! お願いします! 一生のお願いです!」

 思いを遂げたく一途な眼差しを隠さない彼は、白く清潔感のある封書を一通、令嬢の前に差し出してきた。

「うん? ああ……ありがとうございます。そこに置いといてくれるかしら」

「よ、よろしく、お願いします!」

「あとで読ませていただきますわね」

 手紙の差出人は、面接試験が終わったときのようなお辞儀をして踵をかえした。足取りはいくらか軽やかに変わっているがぎこちない歩き方である。立ち去る背中の向こう側に幸せな笑顔が隠れていそうだ。その姿が見えなくなると一鐘院の目付きは変わり、手紙の表面を冷ややかに見つめる。湊川は彼女の変化を気にした。

「ラブレター……だよな?」

「……そのようね」

 一鐘院は手紙を取り、封を開かぬまま手慣れたように両手で破りはじめた。

 目の前で突然起きた惨劇に、湊川の両目が意識を失ったような点になる。自分が何かの重大な犯罪に手を貸してしまったような感覚に襲われた。

「一鐘院! ちょっと! かわいそうだぞ!」

「正直に話すと、わたくしはセリフのあるモブにあまり興味ないのよね。そこまで広い度量はないから」

「まてよ、さっき学園ストーリーの登場人物が面白いと言っていたし! それに今のは現実の人間だぞ!」

「モブと科白のある脇役、主役は別。しかも人生はドラマだから」

「……意味がわからん……」

「でも、じかに渡してきて科白を使うところは褒めてあげるべきかしら」

「非道だ」

「わたくしを見ている彼女たちがいるでしょ? 彼の身を案じればこのような処置も仕方のないことなの」

「うーむ、わかる気もするが……いや、違うような……」

 紙パックをテーブルに置いて黒髪の頭をかかえた湊川は、一鐘院の前に無惨な姿をさらすいくつもの紙片を、自分のところへ引き寄せ、一塊にまとめる。

「騒ぎにしたくない……私がなんとかしよう……」

「お任せいたします」

「………」

 受取人の目を通すことがなかった恋文をどう葬ればよいか、湊川は眉をよじらせる。気にもかけないふうで一鐘院はコーヒーを味わう。それから一度まばたきした。

「そうそう、話しの続きだけれど」

「あ、うん、そうだったね……」

「どうかされて? 湊川さん?」

 令嬢が覗きこむ湊川の顔はうろたえていた。ここに座っていることをとても後悔している様子である。

「湊川さん、わたくしを見てくださらないかしら?」

「え? うん……」

 顔色よいとはいえない湊川の前で、セーラー服の少女は、右手を高くあげて指をカスタネットのごとくパチンと鳴らした。どこかへ合図するしぐさだ。すると、食堂内に音楽が流れ始める。湊川は苦く笑いかけた。

「令嬢のことだけあって手配がいいね。ピアノだけの曲に聞こえるけれどクラシック? 何の曲?」

「バド・パウエル。……ジャズよ」

 ひとつ大きな呼吸をした湊川は、鼻の頭を人差し指でかいた。少しの間、音楽に耳を傾け、紙パックの飲み残しに気づくとストローの先を口に運ぼうとする。しかし、その手は止まる。

「そうだった。部活の話しの続き。要点は?」

「学園ものに使われたあと棄てられてしまった背景画を集めているの。それで一つ展覧会もできる量までは集めてあるの。でもそれで人に見せるだけで終わりにしたくはないのよね。背景画を基に組み上げた仮想の学園空間を物語の舞台として利用できるように貸し出すのはどうかしらと思って。どこでしたか、栃木県で江戸時代を再現したロケ地みたいにしてね。どうかしら?」

「うーん、自作は良いとして他人のものだと著作権は?」

 一鐘院は顔をくもらせ、喉をごくりと小さく鳴らしながらコーヒーを飲み下した。

「……それが問題よね……」

「一鐘院のクラブだけで描いてすべて用意することはできないのか?」

「私が見たところ、うちの部だとレベルがまだまだなの」

「だが描き続けて腕をみがく以外にないだろうな」

「それはそうだけど、皆は二次創作で主人公を描くことに夢中で、他に脇役を主人公にして描くこともよくあるけれど……」

 悩み事の少女からあきらめの吐息がもれでる。

「……一鐘院が考えている仮想のロケ地は、名前はつけた?」

 一鐘院の口がひたむきな笑みをみせた。

「空中庭園ならぬ空中学園というのはどうかしら」

 整った細身の湊川はちぢこまる。愛くるしい三頭身の人形が、椅子の上に捨て置かれたような寂しさにつつまれた。

「思い付くことだけは実に壮大だね……」

 と、そこへ今度はカーディガン姿の女子が近づいてきた。一人だけのように見える。けれども、離れたところから親友らしきもう一人の同じカーディガンの少女が立っていた。行く末を見守るこわばった顔色。カーディガンの長い袖の先にほとんど隠れている両手は、胸の高さで白い貝殻のように握りしめている。

「あ、あのう……一鐘院さま」

「あら、ご機嫌いかがかしら?」

「一鐘院さま。これを、クッキーです。あたしが焼いてきました。作ってきたのですけれど……」

 顔を赤くした彼女は、小さな袋づめのクッキーを令嬢に渡そうと見せてきた。手が震えている。

「あらまぁ、ありがとうございます。そこに置いといてくださる?」

「し、失礼します! ありがとうございます!」

 花模様をあしらいリボンのついた小袋。それをテーブルに置いた訪問者は、深くお辞儀をするなり見守っていた友人のところへ駆けもどっていく。

「やったね! がんばったね! さゆりん」

「うん!」

 歓喜にわく二人の声は湊川たちにも聞こえている。カーディガンの二人が野原を駆けるように手をつないで食堂を去った後、一鐘院は男子のときと同じように顔の様子を変えてクッキーの袋詰めを手にとる。ところが、湊川の反応をうかがうようにじっと見つめ、ポケットへしまうしぐさをする。が、入るわけではないので困惑した。

「そうか、女子からのクッキーはいいんだね?」

 見逃さない湊川の問いかけに、一鐘院の切れ長の目の端が釣り上がる。その目は刃物になって湊川に斬りかかりそうな勢いがある。

「聞かないでくださる?」

「なるほど、それで最近はコーヒーをよく飲むのか? でもラブレターだったらどうするの?」

「口を閉じなさい」

 まだ次に出てきそうな湊川の言葉を、一鐘院は怒った声で制し止めた。怒りをみせるままかと思われたが、袋の口をひらき、クッキーを一つ、つまみ出す。それを中腰に身をのりだして湊川の顔へ近づけてきた。

「毒味をしていただける?」

「え?」

「あなたに食べさせてあげたいの」

 湊川は、目の前に出されたクッキーから思わず顔を引いてしまった。食堂のあちらこちらへ視線を向けて、他の学生たちの様子を確かめる。

「なにをやっているの? はやくしなさい」

 思わぬ要求に躊躇した湊川は、一鐘院の手からクッキーを取ろうとした。

「だめ、このままおクチをあーんして」

「みんなが……」

「意外といくじなしね」

 引き下がらない一鐘院のよせた眉。降参した湊川は、細い首も使い、顔を前につき出して口をあける。そこは思い切りがあり、医者に自分の扁桃腺を診てもらうような口のあけかただ。目はクッキーではなくセーラー服のつんと立つ鼻を見つめた。

 ハート型のクッキーが、ブレザーの少女の舌にのる。目は一鐘院を見つめたまま、閉じた口は不器用に動いて咀嚼した。

「どうかしら?」

「うーん、シナモンがきいているけれど、ちょっと砂糖を使い過ぎているかな?」

「そうよね……」

「それがブラック・コーヒーを欲しがる一鐘院の理由か……」

「近ごろ、いただくことが良くあるの。他の子からもね。味にあきているのよ」

「……ふーん……」

「はじめの一人から、こころよく受け取ってしまったからかしら」

「なるほど……」

「だから、モブに興味はないの」

「うむ………、一鐘院、君はいくつなんだい?」

「失礼ですわね」

「そうではなくて、姿といい、ときおり見せる振る舞いといい、私よりずっと年上に感じるから。実際にそうなのだろう?」

「まあ、そんなこと?」

「いつまで女子高生をやっているのかなんて考えてしまうことがあって」

「ふふふ……わたくしは、時間が止まっているのよ」

「止めよう。この話は」

「わたくしは続けてもいいのよ。そうね、それなら条件として、またクッキーを一つ食べてくださいな」

 令嬢の乳白色にきらめくしなやかな指がまた一つのクッキー。ふたたび湊川の口を求める。親鳥が雛に餌を与える様子に似てクッキーを与えた。湊川はどこかを見ながら考えている顔で味わう。

「一鐘院から見て私はどういう立場かな?」

「……そうね、わたくしの創作の、とても大切なモデルかしら」

「ゴホッ!」

 湊川は喉をつまらせそうになり咳き込んだ。一鐘院は、理由もなさそうな顔で立ち上がる。咳をする少女の後ろへまわり込み背中をさすりはじめた。

「ゴホゴホッ……たぶん他の人からは、一鐘院は神秘的に見えるだけなのだろうけれど……で、でも私は」

「あらあら、それくらい察していますわ」

 次第に咳はおさまってきた。代わりに胸の奥がやんわりと温かくなってくる。

(だが私には分かりやすい子だ……だからときどき戸惑わせる……)

 湊川の咳がおさまったのを見届けた一鐘院は自分の席へもどらず、紙コップを取り上げる。立ちながら残りのコーヒーを飲み干そうとした。しかし、紙コップは空になっていた。

「いつのまに……」

 一鐘院は紙コップの底を悩ましげに瞳をこらす。左手を腰にそえて、そのポーズは支配者が従うものをたしなめるさまに似ている。

「……しかたないわね」

 紙コップを静かに置いた。テーブルの表面が軽くて固い音をたてる。他に聞こえるのはピアノ曲と、そこかしこの一つのリズムに合わせたような雑談の声。

「そうそう、今日は帰りに雑貨屋へ寄りませんこと?」

「ああ……まぁいいけれど」

「わたくしがプレゼントしたお財布はもうボロボロでしょ?」

「うん、まあな……でも今度は自分で買うよ」

 セーラー服を隙なく着こなす令嬢の、これから起こる楽しいことを期待していそうな一つな笑顔。湊川は視線を何もない宙へとそらしてしまう。財布をしまったポケットに、湊川はそれとなく手を重ねた。

(……どうしたものか……)

 彼女は、思わずつぶやきそうになった。


─了─

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