スミレ色な贈り物

私掠船柊

前編

彼女は思わずつぶやいた。

「……どうしたものか……」

 となりの校舎と渡り廊下で併設している食堂に設置された自販機。それを前にして、ズボンのポケットに両手をおさめる女子高生の湊川は、人生の岐路に立たされたようなくもり顔を浮かべていた。片方のポケットから手が出て黒髪を悩んだふうにすいてみせる。

 いつもならば人が並び、今はたまたま彼女のそばには誰もいない。だが、すぐにも知っている顔が自販機のところへ何かを買いにくるのではと、気配をさぐり食堂の中を見回す。

 彼女は、自販機にサンプルとして並べられた缶ジュースや紙パックの乳飲料を品定めしながら、ブレザーのポケットへ手を差し入れて財布を取り出した。革の表面は、使い込みすぎて角がすり減っている。何度も感慨深く見てきたものだが、特に雑貨屋のガラスケースに陳列されていたそれを初めて見たとき、共にした友人のなんとも正体のよくわからない笑顔を思い浮かべた。

(ああ……そんなことはともかく、早く買わねば……)

 財布から硬貨を必要な分だけ探り選んでつまみ出そうとするが、運の悪いことに都合があわず見つけることができない。唇が不機嫌に引き締まる。

(……ついてないな……)

 しかたなく紙幣を一枚とりだして、自販機へ一歩すすみより、投入口へ吸い込ませようと手を伸ばした。

 そのとき、食堂の方々から聞こえる雑談の声に混じり、背後の遠くから、同じ年頃の少女たちが奏でる無秩序で小鳥のような高い声が耳に入りこんできた。

「きゃあ! いつ見てもお美しいわ!」

「素敵なセーラー服ですね!?」

「……今日も美しいですね……」

「わたし、見ていると美しすぎて、胸が苦しいわ。どうしよう」

(いやいや、振り向いてはいけない……急がねば……そして立ち去らねば……)

 湊川は騒ぎへ聞き耳を立てながら、自販機に陳列されている商品へ目を凝らす。まばたきをした。

(ミ、ミルクティーがない! でもせっかくお金を入れたし……)

「……一鐘院さまあ!……」

 背後で飛び交う少女たちの声は止まない。それどころか喜んだ声なのか悲鳴なのか判然としない声が、しだいに自販機で戸惑うブレザーとズボンの女子高生へ近づいてきた。

(ああ……きっと、たぶん私のところへ……)

 とっさにミルクティー以外の飲み物を考えなく選び、人差し指が跳びはねたように一つのボタンを押す。商品が取り出し口へ落ち、ほぼ同時に釣り銭の硬貨がかたい音をたてて次々に落下する。その金属と金属があたる無機質な音とともに、湊川の小さな肩を背後から何者かの手の平が、軽く叩いてきた。

(うわぁ! 逃げられない!)

 後ろから白く細い指のそろった手が現れた。襲うように湊川の胸にまわってくる。身を守る余裕もない瞬間、湊川は抱き締められてしまう。続いて柔らかい紫のかった黒い髪が彼女の視界に現れた。空気の流れを表すように紫と黒がつややかに揺らめく。

「捕まえた! ここにいたのね」

 気立てある声質と共に抱きつかれた少女の心臓は、一度大きな心拍をたたいた。

「うわっ! 一鐘院! おねがいだからやめてくれ!」

 不幸な事態の予想を他人事のように口にしていたにも関わらず、怯えた声をあげた湊川は一瞬、呼吸の仕方を忘れてしまう。喉の奥で空気がつっかえてしまった。

「ゴホッ! ゴホッ!」

 湊川を捕まえていた細い両の腕は、ほどかれてしなやかに後ろへさがり、咳き込む背中をさすってきた。

「これはこれは、まだまだ成長期ね……」

「む、胸のことか?」

「そうそう。うふふ……」

 拘束からとかれた湊川は、助けを求めるように自販機の表面へ片方の手をあてて、不快な表情の中にくいしばった歯を見せる。そのまま抗議を示した顔で後ろに振り返った。目の前に、古風なセーラー服を着ている背の高い女の子が一人。冷酷な切れ長の目で暖かそうな笑顔をつくっていた。長い髪の毛一本一本から知的な顔立ち、他の女学生はほぼブレザーかカーディガンを着ているが、それとはまた異なるセーラー服の着こなし、汚れ一つとしてない靴のはき具合まで、何もかも茶道で使われる茶室のたたずまいを思わせ無駄も隙もない。

 湊川の視線は最後、セーラー服のふくよかな胸とスミレ色のスカーフに止まる。財布を握りしめた。

「余計なお世話だ」

「おどろかせてしまいましたわね。湊川さん、許してくださるかしら?」

「ううむ………」

「だめかしら? わたくし反省しておりますのよ」

 許しをこうために、両手を閉じた羽根のように身の前に重ねる。しおらしい姿を見せてくる少女を前に、湊川は不快を露にしていた白い歯を唇の中にしまった。

(見た目は確かに完璧だが……)

「ひさしぶりね。白馬に乗る王子様でも期待していたかしら?」

「一鐘院……ひさしぶりだねっていうけれど、今朝も校門であったばかりなのだが……」

「あら、そうでしたわね。フフフ……」

 湊川は、自分をわざとらしい思惑がらみな目で見つめてくる少女を、口を切り結んで見返す。財布を握り締める指の一本がゆるんだ。

「……そうだった。ちょっと待ってね一鐘院」

 さっきまで何をしていたところか思い出した湊川は、自販機からイチゴ味の豆乳が入っている紙パックをつかみ出した。

「あらあら、イチゴ味の豆乳なんて珍しいですわね」

「私に合わないのか?」

「フフ、そんなこと言っていませんわよ。いつも九割の確率でミルクティーだから」

「……よく見ているな……」

 ブレザーとズボンの怪訝な顔と、セーラー服の正体さだかでない微笑が数秒間見つめあう。

「湊川さん、時間があるのでしたら、ちょっとご一緒しませんこと?」

「あ? ああ……私でよいのなら」

 一鐘院は、隣にあるもう一台の、紙コップにコーヒーをそそぐ自販機の前に立つ。すると遠くから、人の形をした影が床の上を水切りする小石のごとく跳んできた。影は一鐘院のすぐ隣で止まり本当の姿をあきらかにする。そこにはワンピースにエプロンをかけたメイド服を着こなす一人の少女が現れた。手を前にそろえたかしこまっている姿勢。その手が一鐘院の前に出る。

「お嬢様、これを」

「うわっ! どこから?」

 メイドに驚いている湊川をよそに、一鐘院は自販機を見たまま、だまって差し出された財布を手に取る。中から硬貨を取り出して次々と自販機の投入口に入れていく。枚数は表示されている金額にぴったり合わせていた。湊川は、セーラー服の少女が見せるしとやかな振る舞いを見ていたが、わずかの気持ちながら自分と同じ財布を持っていることに着目する。

「ご苦労様です」

 一鐘院は当たり前の顔をしてメイドに財布を返す。瞼を閉じて一礼したメイドはまたどこかへ残像のような影となり食堂を後にしていく。ところが、一鐘院を遠く取り巻く少女の一団のところで立ち止まった。

「お嬢様に、失礼があってはなりません」

 やわらかい声で嗜めると姿を消した。

「あのう、一鐘院……」

「あら、どうしたの? 財布のことかしら? スカートにポケットはあるけれどかえって不便なのよ」

「いや、なんでもない」

「あそこのテーブルに座りましょうか?」

 一鐘院の導きで湊川は、近くの備えてある白一色が際立つテーブルに移動する。

「一鐘院、みんなが見ている」

「かまいません」

 すすめにしたがって湊川は、周辺をそれとなくうかがいながらエンジ色の椅子に腰掛けた。それでも細かいことであってもしたいようにやらせてみるという湊川の配慮も顔色として現れている。

「それにしても一鐘院は人気があるな。女子たちの声が嫌になるほど聞こえていたぞ」

「……フフフ……」

 昼休みからはずれた時間である。食堂は広い空間の中に三々五々と制服姿が談笑している。高級なものを求めない者がそこでくつろげば、どことなくカフェの雰囲気を皮膚に感じとりそうだ。電灯は点いているけれども、それにもまさって、大きな窓から入るまぶしい陽光が、広い空間の磨かれた床の一面を満たしている。

 さきほどまで歓声をあげていた少女たちは、ひそひそ話し合いながら遠巻きでセーラー服とズボンの女の子を観察している。一鐘院が振り返り、切れ長の目を細くした。

「心配いりませんよ。みなさんも、ご一緒に」

 一鐘院が清らかな声でさそうと、彼女らは、空いているいくつものテーブルへ散らばるように座った。中には、はにかんだ顔で立ち去る者もいた。

(いかん……一鐘院はここでは余計に引き立つ……とばっちりで私も注目の的だ)

 清潔感を象徴したいためか、食堂の内装は、細かいところでもたびたび修繕され、白ペンキの匂いがまだ残っているところもある。食堂の壁や柱は白がよく目立っている。それがまた、湊川の前に座っている清楚なたたずまいの少女は、背景となる白さの中で、スミレの花が一輪だけぽつんと咲いている風情である。周辺の女子高生たちの目にはより神々しい存在として写っているのだろうか。

 ところが湊川は、羨望の眼差しなど持ち合わせていなかった。

(……確かにおしとやかに見えるが……)

 長い髪の一束を、束の間に指で触れていた一鐘院は、紙コップを薄いピンク色な唇の先につける。すする音も立てず、習い事をそのまま表現するような行儀で一口飲んだ。

「はじめて聞くが、最近の一鐘院はいつもブラック・コーヒーだね?」

「今はこれがいいのよ」

 湊川の尋ねに彼女は、コップの中をコーヒー以外になにかあるといった遠目で見つめ、ふたたび紙コップを唇へとはこぶ。

(なにやらものありげ……だな)

 湊川は、イチゴの絵が印刷してある豆乳の紙パックにストローを刺した。味を確かめるように唇でくわえる。その前でコーヒーを飲む少女が、目を鋭い刃物のような形にして見ている。一見して冷たい眼差しにもかかわらず胸に寂しいものがあるようにも見受けられた。

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