第28話

「ッ!」


 あまりの勢いに、流石の怜も驚きに目を見開いた。

 俺が一気に激怒したのは、怜の言葉のせいだ。『私を菱井少尉だと思って』だと?


 俺は怜を振り回すようにして、廊下の壁に押しつけた。


「お前に恵美の何が分かる!? 彼女は俺が、俺の、俺は――」


 と、ここで言葉に詰まり、俺は舌打ちしたい気分になった。『自分が菱井少尉をどう思っているのか』を上手く表現できないのだ。こんな時に言葉が出てこないとは――!

 しかし、威勢よく『俺』と言った以上、どうにかして言葉をまとめなければ。

そう思えば思うほど、『俺は、俺には、俺を』とまとまりのない言葉を繰り返すばかりになっていく。怜はその間、俺に揺さぶられるがままになっていた。


 そして俺は、結局また項垂れるしかなかった。怜の、年頃の少女にしては不愛想な真っ黒なブーツを見下ろす。彼女もまた、怪獣孤児だったか。


 俺の心に差し込んできた思い。それは、怜に対する同情だった。

 彼女は真っ当な学歴を歩んではいない。それどころではなかったのだ。怪獣を憎み、戦おうにも、まさか体術を駆使するわけにもいくまい。彼女の憎しみは、吐き出し口を失って澱のようにわだかまっている。


「……すまない」


 俺は思いの外、スムーズにその一言を口から零した。


「いえ」


 相変わらず淡々とした調子で怜は答える。


「それより石津少佐、正気に戻られましたか?」

「え?」


 俺は頭上に疑問符を浮かべる。


「私に怪獣は倒せません。できるのは、あなたの心を支えることだけです」

「そ、それは――」

「おっしゃらずとも分かります」


 無表情だった怜の口元が、微かに緩んだ。


「菱井少尉の領分だということなのでしょう?」


 俺は怒りと入れ替わりに、一種の優しい暖かさが胸に吹き込んでくるのを感じた。それを察したのか、怜は表情をキリリとしたものに直し、


「彼女には私がつきます。知人が誰もいない時に意識を取り戻しても、きっと寂しいでしょうから」


 その時になって、俺は彼女の両肩を掴んだままだったことに気づいた。

 咄嗟に謝ろうとして、しかし、再び腕に力を込める。


「ありがとう。恵美を頼む」


 怜がぐっと頷くのを確かめてから、俺は作戦司令室に向かって歩み出した。


         ※


「映像をメインスクリーンに出してくれ! 目標の現在位置と予想航路、付近の艦船もサブスクリーンに!」


 開口一番、俺はここまでを言い切った。皆がポカンとした表情で俺を見つめている。


「どうした? 私は命令したぞ!」


 ようやくところどころから、ぽつぽつと『はッ』『了解』という声が上がる。


「皆、どうしたんだ? 何か不自然か? 残念だが、羽崎中佐はここには来られない。私が全面的に指揮を執る。不安のある者は正直に挙手してくれ」


 すると、皆一様に顔を見合わせ、何事か語り合っている。当人である俺を蚊帳の外にはできないと思ったのだろう、先ほど派遣されてきた伝令が、俺のそばに寄ってきた。


「石津少佐、羽崎中佐の執務室で一体なにがあったのか、ご説明願えませんか?」

「何故だ?」

「その、銃撃戦があったという噂が……」


 なんだ。そんなことで皆、萎縮してしまったのか。


「私から説明する」


 俺は司令席に座り、マイクを手に取った。


「皆、聞いてくれ」


 そんなことを促す必要はなかった。皆が俺の一挙手一投足に注目している。


「羽崎中佐は現在、他組織への不当な情報漏洩容疑のため、その身柄を拘束されている。また、その際に警備兵と銃撃戦になり、現在はとても話ができない状態にある。かく言う私は無事だ。逆に言えば、羽崎中佐を除いて、指揮を執れるのは私しかいない。皆の力を、こんな若造一人に預けることについて、不安を覚える者もいるだろう」


 俺は軽くマイクの位置を直し、再び両手を司令官の席に着いた。


「だが、どうかここは、皆の総意を受け止め、怪獣を倒さんとする意志の器として、私を使ってもらいたい。頼む」


 マイクを切り、俺は深々と頭を下げた。

 ここに集う者たちは、当然皆が軍人だ。立派な兵士なのだ。階級上、俺が最高位にあることから、俺の命令に従うのは当然の義務だ。


 だが、今の俺はそれを『義務』とすることに抵抗を覚えた。羽崎中佐、菱井少尉、それに柘植博士。彼らには彼らの信念があったのだ。それを貫かんとして、命を懸けている。そんな信念がまとまってこそ、俺たちは初めて怪獣を倒すことができる。そう思った。

 機械的に『義務』や『命令』で、彼らの信念に泥を塗るようなことはしたくはなかった。


 俺が頭を下げて、十数秒は経っただろうか。


「おい、今目標を捕捉できる衛星はどれだ?」

「キャパ34です!」

「海自より報告、目標の現在位置は小笠原諸島近辺!」

「よし、スクリーンに出せ! 石津少佐、ご命令を!」


 作戦司令室は、再びざわめき始めた。しかし、そこに戸惑いの色はない。皆が自分の任務を認識し、欠損部分を互いに埋め合わせようと努力している。


 俺は顔を上げ、司令室を見回した。ゆっくりと視線を右から左へ。一人一人と、視線を交えていく。

 全員が納得しているわけではなかった。特に、羽崎中佐に信頼を置いていた元海自の面々の表情は複雑だ。ただでさえ、俺よりも年上で実戦経験も豊富なのだから。

 だが、彼らも今までは俺について来てくれたし、中佐が俺を推して司令官にしたことは承知している。

 しばしアイコンタクトを続け、最後の一人――元海自の、五十代の情報士官だ――が俯き、再び顔を上げたタイミングを見計らって、俺は声を上げた。


「では、まずは上陸予想範囲の島々の住民に、シェルターへの避難命令! 次に、再度本土上陸時の迎撃態勢チェック、急げ!」


         ※


 一時間後。

 現在、怪獣は気ままに東進し、日本列島から離れつつあった。とはいっても、小笠原諸島における警戒態勢は解除されず、作戦司令室では担当オペレーターが逐次怪獣の動向を追っている。


 俺は小会議室で、柘植博士と共に椅子に腰を下ろしていた。『戦況を見たいのでしばらく本部にいさせてくれ』というのが博士の言い分だが、実際見たいのは俺の胸中の葛藤ではないのか。そう思わされた。


「こんなところで油を売っていていいんですか、博士?」

「たまには外の空気を吸いたくもなるさ」


 ここも立派な屋内だが。


「もし守秘義務がなければ、で構わないんだが――」

「今までの行動・進行パターンからして、数日以内に怪獣は転身し、一週間ほどで東京湾に入ります」


 博士の質問を先取りして、俺は答えた。


「収束雷撃砲の製作状況はいかがです?」

「順調、いや、それ以上だ」


 博士は紙カップのコーヒーで喉を潤してから、満足気に言った。


「あと三日と半日で完成するだろうが、実戦テストはできないんだろう?」


 俺もまた、冷めたコーヒーを口に含む。そして頷く。


「あの兵器の特性上、試射を行えばすぐさま他国にバレるでしょう。怪獣が東京湾に入ってきたら、すぐさまヘリで牽引して攻撃を開始、一気に叩くしかありません」

「なるほど」


 空の紙カップを隅のゴミ箱に放り入れながら、博士は腰を上げた。


「八王子に戻りたい。ヘリは準備してもらえるのかな?」

「ええ。手配します」

「助かる」

「見送りますよ」


 俺も立ち上がり、博士をヘリポートまで案内した。


         ※


 四日後。

 収束雷撃砲完成の報告が入った。すぐにでも起動可能とのことだった。


 俺は防衛軍本部で、作戦司令室にへばりついていた。もちろん、俺がいなくとも二十四時間態勢で司令室は回っている。だが、仮に俺が睡眠中に怪獣の動きがあった場合、伝令の兵士が俺に伝えるために、宿舎棟を駆け回ることになる。

 そんな僅かな時間さえ惜しい。

 と、いうのが、俺が司令室にこもる表向きの理由だった。


 では本心はと言えば、全く別のところにあった。菱井少尉のことだ。

 俺が司令棟から出てしまえば、医療棟に吸い寄せられてしまうのではないか。まだ意識の戻らない彼女のそばで、再び泣き崩れてしまうのではないか。

 それが、恐ろしくてならなかった。


 先日だけならともかく、俺がそんな無様な姿を再び晒すのは、怪獣駆逐の念に燃える兵士たちの士気に致命的打撃を与える。それだけは、なんとしても防がなければ。

 俺は怜を通して、仮に菱井少尉の意識が戻っても俺に知らせないように、と伝えておいた。

 そんなことを考えているうちに、目頭が熱くなってくる。背筋が粟立つようになる。


 俺は額をペチンと叩き、雑念を振り払った。

 そんな奇妙な所作を行っている俺の耳に、鋭い声が飛び込んできた。


「目標、東京湾に進行! 上陸予想地点、横浜! 作戦展開エリア、B-4!」

「了解。予測上陸時刻は?」

「午後一時三十分、誤差五分以内!」


 三時間後か。


「装甲車を一台回してくれ。私が前線で指揮を執る!」

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