怪獣殲滅デッドライン

岩井喬

第1話【プロローグ】

 ドォン――。


「目標、定速で爆破ポイントに接近中」


 ドォン――。


「総員、対NBC装備の装着を確認しました」


 ドォン――。


「作戦開始まで、残り三百秒」


 その言葉が耳に入ったと同時、『奴』の咆哮が響き渡った。


 ゴォォォォォォォ――。


 猛嵐の中で、コントラバスを滅茶苦茶に弾き鳴らしたかのような轟音。山一つ隔てたこの盆地にまで、奴の足音と咆哮は減衰せずに聞こえてきた。初めて耳にした人間ならば、一体何事かと慌てふためくに違いない。そして、恐怖するだろう。

 だが、俺の胸中にそんな曖昧な感情は残っていない。


 今度こそ、奴の息の根を止めてやる。


 その執念にしがみついて、俺はここまでやって来たのだ。両親を殺した『奴』と対峙し、駆逐するために。


「司令官! 石津武也少佐!」


 俺は声のした方へ振り返った。


「どうした、菱井恵美少尉」

「少佐もヘルメットを装着なさってください! 危険です」

「私に構うな。ヘルメットなど被ったところで死生が分かれるほど、生温い戦闘にはなるまい」

「は、はッ」


 すると菱井少尉は、心配げに目を見開きつつも、振り返って自分のコンソールへ向き直った。


 俺たちがいるのは、北関東内陸の山岳地帯だ。その麓の平野に、ベースキャンプを築いている。現在時刻は、西暦二〇三七年十一月三日、午後九時を回ったところ。計算通りだ。


「目標、起爆地点到達まで、残り約六十秒! 航空誘導班、退避します!」

「了解」


 俺はいつもながら、ひんやりとした声音で報告に応じる。誘導灯を点滅させていたヘリが奴の正面から離脱し、こちらに向かって低空を退避していく。微かな風が、テントの天井をなびかせた。


 ガスマスクに、全身を覆う白色ビニール状の防護服。対放射能・生物・化学兵器装備、通称NBC装備だ。今現在、このテントにはその装備をきっちり着込んだ者たちが、通信・映像機器に噛りついている。

 今は十分涼しい季節であるにも関わらず、俺は額から、背中から、全身の汗腺から水滴が滴るを感じていた。狭い視界の中で、自らのコンソールを覗き込む。そこにいたのは――。


 怪獣だ。

 体高約百メートル、移動速度は時速約四十キロメートル。現代日本屈指の国難であり、そして俺の両親の仇だ。真っ黒な鱗に覆われた全身は、恐竜というよりむしろ前傾姿勢の人間に近い体勢。鋭利で硬質な背びれが三本走っており、約百四十メートルと推定される尻尾は右に、左にと揺れている。

 今現在その姿は真正面の上空から捉えられており、赤外線映像のために全体が緑がかっている。


 ふと、いくつかの記憶がよみがえる。


『あんな若造に、あの怪獣を仕留めるだけの経験があるのか?』

『お偉方の考えは分からんな』


 そんな侮辱とも軽蔑とも取れる露骨な言葉を一身に受けながら、俺は怪獣を倒さんと、身を粉にして勉強し、研究し、戦ってきた。普通なら、防衛大学を飛び級で卒業し、突然佐官の任を与えられるなどあり得ないことだ。

 だが、俺はそれを成し遂げた。自分の手で怪獣を葬り去るために。


「目標、零ポイント到達!」


 その報告を受けた俺は、すっと息を吸い、冷たいため息に溢れんばかりの殺気を込めて呟いた。


「爆破」


 直後、ドォォォォォォォン、と凄まじい振動が俺たちを揺さぶった。空気が、テントが、そしてそれを載せている地面が、割れんばかりに跳ね上がる。

 きゃっ、という短い悲鳴がした。きっと菱井少尉だろう。だが俺には、そんなことに頓着している暇はない。


「上空監視班、目標を捕捉できるか?」

《こちら監視班、砂塵が空中で攪拌され、目標の状況を確認できません》

「その場で待機、動きがあり次第報告せよ」

《了解》


 これで作戦第二段階は終了だ。ちなみに第一段階は、照明弾とヘリによる怪獣の誘導。ここまでは死傷者もなく、作戦通りと言える。


 怪獣を誘導し、新型爆弾による人工的な岩雪崩で怪獣の足を止める。それからが第三段階、すなわち毒ガス兵器の投下だ。


「空自から報告は?」


 自分のコンソールを見下ろしたまま、俺は誰にともなく問いかける。答えたのは菱井少尉だった。


「既に三沢を発進した爆撃機が、作戦空域に達します。到達まであと九十秒」

「了解。航空監視班、目標の状況送れ」

《こちら監視班、目標の姿は未だ確認でき――》


 恐らくは『確認できません』と言うはずだったのだろう。パイロットが生きていれば。

 しかし、通信が途切れたことが意味するのは一つ。

 監視ヘリは、撃墜されたのだ。恐らくは、怪獣が口から放射する熱線によって。


「監視ヘリ、撃墜されました!」


 菱井少尉の声が耳朶を打つ。しかし、そんなことは百も承知だ。この半年間、伊達に現場指揮にあたってきたわけではない。


「爆撃機部隊の先陣を切っている戦闘機には、対地監視機器が搭載されているはずだ。目標の状態を確認させろ」

「了解!」


 菱井少尉は、俺の命令を一言一句変えずに爆撃機部隊に告げた。

 それから彼女が再び声を上げたのは、次の瞬間だった。


「爆撃機部隊エスコートより報告! 目標、腰までが瓦礫に埋もれています!」

「よし。風速と風向きは?」

「予想通り、目標周辺に吹き溜まりができています」

「了解。爆撃機部隊、目標上空を通過しながら対地攻撃を開始せよ」


 今回使用される毒ガス。かつてのテロやスパイ殺害に使われたものを組み合わせ、これでもかと致死濃度を上げまくったと聞いている。これで駄目なら、世界中のどんな生物・化学兵器も怪獣には通用しまい。


 俺は、砂塵の晴れかかった中でもがく怪獣の姿を見つめていた。あの強靭な足腰をもってしても、すぐには抜け出せないようだ。


「特殊兵装の投下を許可する。投下後、爆撃機は直ちに散開、第二戦闘空域まで退避」

「了解! 爆撃機部隊は――」


 と、菱井が指示を出し始めた直後、別な通信兵がこちらに振り向いた。


「最大効果域到達、及び特殊兵装投下まで、残り三十秒!」

「了解」


 あとは運を天に任せるしかない。作戦の立案や実行に関しては、俺にはある程度の権限が与えられている。だが、それだけで突っ走ることはできないし、危険ですらあるだろう。

 俺は毒ガスが怪獣に及ぼす影響など確認もせず、完全に自分一人の世界に入り込んでいた。

 理由は分からない。しかし、作戦開始から終了までの間、ずっと気張っている、というのは俺の性分とは異なるらしい。

 俺が現場指揮を執るようになって、これで怪獣との戦闘は四回目だ。そのいずれの場合も、やってしまった後となっては、俺は妙に落ち着いてしまう。

 肘をコンソールの手前に載せ、指を組んでそれを唇につける。そして考えるのだ。監視ヘリの兵士たちや遺族に、なんと詫びるべきか――と。


 そうして俺の注意が自らの思索に方向づけられていく。しかし、そんな思考の流れは一瞬で断ち切られた。


「も、目標の全身に高エネルギー反応!」

「なんですって?」


 菱井が慌てて席を立ち、報告を寄越した隊員の方へ向かう。その時、俺は全身の毛が逆立つような殺気に襲われた。


「全員伏せろ! 頭を守って、対ショック姿勢!」


 もはや誰も、復唱しなかった。俺は菱井にヘッドロックをかけるようにして、自らの身体と一緒に腹這いに押し倒した。直後、土砂崩れによる岩石の崩落が、テントを襲ってきた。

 無線の類はぶっつりと切れて、砂嵐のような音を立てる。しかしそれも、すぐに土砂の崩落音で叩き潰されていく。俺たちの怒号も、悲鳴も。


 幸い、俺は気絶するようなことはなかった。そして考えた。怪獣は、本来口から発している熱線のエネルギーを、全身から拡散放出させたのだ。今まで、こんな技を使ったことは一度もない。明らかに状況を正確に読み、精査し、学習している。


「ん……」


 微かな呻き声に顔を上げると、ガスマスクの向こうで菱井が呼吸を再開するところだった。


「無事か、菱井少尉?」

「い、石津少佐……」

「負傷したか?」

「大したことはありません、転倒する際に、足を挫いただけです」


 俺は菱井に頷いてみせてから、すぐに立ち上がった。


「負傷者はいるか! 生存者は名乗れ!」


 ところどころから『自分は無事です!』『軽傷です!』という声が聞こえる一方、『彼が重体です!』『軍曹が息をしていません!』といった悲痛な叫びが続く。

 とにかく、救援部隊を呼ばなければ。俺はまだ使える無線機を探して、ズタボロになったテント内を見回し始めた。しかし、目に入るのはやはり『人』、あるいは『人だったもの』ばかり。あまりに凄惨な光景に、俺は『あの日』のことを思いだす。奴と初めて遭遇した、あの日のことを。

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