五章

「どうしてですか! 父さん!」


「どうしてもなにもあるか! ……お前みたいな出来損ない、うちには要らないんだ。跡取りは上がいるし、お前は三男だ。いてもらっても食費がかさむ。さっさと出ていけ」


「でも」


「いいから出て行けぇ!」


「っ……」



 俺の人生は、親に捨てられるところから始まった。当然だとは思っていた。しかし、多少なりとも愛されているだろうと思っていた分、ショックは大きかった。

 12歳の雨の降る日、俺は家を失った。行く場所もなく、ただフラフラと歩き続けた。雨はずっと降り続け、三日間、やむことはなかった。ずっと飲まず食わずで歩き、どこかの生ゴミ臭い路地で座り込んだ。雨にさらされた身体が熱い。背中をブロック塀に任せ、どんよりとした空を見上げる。一筋の光も差し込まない、闇の世界。朦朧とした意識の中、俺は、ゆっくりと目を閉じた。



「――止めて!」


「姫様! どこへ行かれるのですか?!」


「しっかりしなさい! ……お願い、目を開けて!」



 あたたかく、優しい手が、抱き締めるように俺の心に触れる。ぼおっとしたまま、うっすらと目を開く。雨に濡れ、逆光に映るその人は、誰よりも美しかった。



「……ひどい熱……すぐに治してあげないと!」


(……誰、だ…………?)


「姫様! 何をされておられるのですか!」


「お願い! この人を助けてあげて! お願い!」


(……姫様?)



 元々体力的に限界を迎えていた俺は、そこまでしか聞くことは出来なかった。



◈◈◈◈◈◈◈◈◈◈◈◈◈◈◈◈◈◈◈◈◈◈◈◈



 目が覚めると、そこは知らない場所だった。天井はあたたかい白で、細かい模様がそこらかしこに刻まれている。少し見渡しただけで、高価そうなものがたくさん置いてあって、この家の人々の裕福さを感じさせた。まだ少し朦朧とする。何が起こったのか、記憶をゆっくりと辿っていく。確か、どこかの路地で倒れて、それで……。



(……姫様?)



 この国で姫様と言えば、フワリリー家の姫君で、その姫君はこの国の次期女王で…………。



(……まさかな。どこかの貴族の娘だろう。こんな俺を、この国の姫が助けてくれるわけない。第一、街中にいること事態ありえな)



 トントン、と、ノックの音がした。それからゆっくりとドアが開いて、昨日の少女が顔を覗かせた。



「……失礼しまーす。まだ寝てる?」


「あ…………いえ、もう、起きてます」



 答えて、少女の顔を凝視する。いやいやいや、まさか。え? 姫様って……え?!



「あ、あの……もしかして、フワリリー家の姫君ですか?」


「え? うん、そうだよ?」



 そうなのか?! いや、は、え?!



「あのね、昨日はちょっとお隣の街に行ってたんだけどね? 帰りにあなたが路地で倒れてたから、心配になって……。馬車止めてもらって、ここに運んできてもらったの! ……体調はどう?」


「え、あ、あの……ずいぶん、良くなっています……。すみません、横になったままで」


「いいのいいの! そっか、良かったぁ! 久しぶりにスキル使ったから、失敗してたらどうしようかと思ってた!」



 スキル……そうか、そういえば、フワリリー家の姫君のスキルは、『護る』だったな。護るためならば、どんな力でも……。



「あっ、あなた、名前何て言うの?」


「えっ、あの……その…………」



 ……俺には、名前がなかった。名前は、もらえなかった。いつも、お前とか、くずとか呼ばれて、それ以上の呼び名はもらえなかった。だから……名乗るような、名前はない。



「……俺には、名前が…………」


「…………」



 すると、姫様は黙りこんで、なにかを考え込んでいた。……俺への、フォローの言葉でも、考えているのだろうか? それとも、これから俺をどう扱うかでも考えているのだろうか?



「――ルアン」


「…………へ?」


「決めた。今日からあなたはルアンね! はい! 私の権限でけってーい!」


「え? え?!」


「じゃあルアン、あなたはどうしてあんなところで倒れてたの?」



 その質問に、すぐには答えられなかった。なにか、頭が真っ白になるほどの衝撃が身体に走り、何も考えられなくなっていた。



(ルアン……ルアン…………。俺の、名前……)


「……大丈夫?」


「あ、はい!」



 はっとして姫様の質問に答える。えっと、どうして倒れてたか……。俺は身体が痛まないこと確認するように、ゆっくりと起き上がった。



「……実は、先日、家を追い出されてしまいまして……それで、三日間、行くところもなく、歩き続けていたら、あの場所に…………」


「……そうだったんだ。じゃあ、このあと行く場所も」


「えぇ、ありません。しかし、ずっとここにいるわけにもいきませんので、どこかで職を見つけて、宿に入らないと」


「……ダメ」


「えっ?!」


「ダメダメダメ! まだ出ていっちゃダメ!」


「ちょちょちょ、ちょっと待ってください! あの、私は、今すごく至極全うなことを言ったつもりなんですけど?」


「やーだー! だって、ルアンにルアンって名前をあげたのは私なんだから! 私はルアンの名付け親なんだから!」



 ……姫様っていくつだっけ? 確か今年で9つとか……いや待てよ、俺、7つも年下の子に名付け親になられた?!



「た、確かに姫様は私に名前をくださいました。しかし、私はずっとここにいても役立たずですし」


「子供は独り立ちするまで親と一緒にいるの! いい?!」


「しかし」


「ダメ! 私がいてほしいんだからいるの! 分かった?!」


「私はスキルを持っていないのですよ!」



 一瞬の沈黙が流れる。



「……普通は、生まれると同時に一つだけ授かるスキル。大きかれ小さかれ、誰もが一つは手にできるスキル……。私は、持っていないのですよ、何も……。だから、ここにいても、役立たずなだけです。姫様にとって、なんの利点もありません。私自身、それは自覚していますので…………」


「…………だから?」


「え……?」


「だから?」


「だからって……私がいても、ただの役立たずで」


「だーかーら! それじゃダメなのって言ってるの」



 ……何を言っているんだろう、姫様は。役立たずがいれば、それは不利益にしかならないはずだろう。それなのに……。



「また、倒れるんじゃないの?」


「でも」


「今度は! ……死んじゃうんじゃないの?」


「…………私が生きていても、なんの意味もありませんよ。だって私は、役立たずの出来損ないですから」


「……生きてちゃいけない人なんて、いないでしょ?」



 そんなことない。俺は、生きていない方が良かったから、家を追い出されたんだ。俺なんて、生きていない方が良かったんだ。……しかし、そんなこと言っている俺の方が、9歳の姫様より、ずっと、年下に感じたのだった。



「……ね? いいでしょ? ここにいてよ、ルアン」



 姫様に名前を呼ばれると、何も言えなくなった。観念した方がいいかもしれない。第一、国の姫に、俺が逆らえるはずもなくて……。



「……分かりました」


「やったー! じゃあね」


「はぁ……姫様?」



 突然、知らない男性の声がして、ドアの方を見た。そこには、がたいのいい男が仁王立ちして、腕を組んだままため息をついた。



「うわ……れ、レオ……」


「姫様? あれほど言っていたのに……また部屋から抜け出したのですね?」


「や、それは、そのぉ……ほ、ほら! この人! この人心配だったし!」


「あとでちゃんと会わせると言いましたし、それまでは私が面倒を見るとも言いました。……言いましたよね?」


「うっ……」


「……で? どうなっているのですか? 今は。あなたのことですから、どうせまた勝手に話を進めているんでしょう?」



 その、レオと言う男は俺をチラリと見て少し驚いたように声をもらした。



「……君、なんのスキルもないのか?」


「あ……はい」


「そう! それでね、この人ルアンっていうんだけど、」


「ルアン?」


「そう! 私がつけたの!」


「ほぅ?」


「家も追い出されて、行くところないっていうから、ここにいてもらってもいいよね?!」


「……そうですね…………」



 少し考え込むように言葉を濁らすレオさん。と思ったら、突然大声をあげた。



「とにかく姫様はお部屋にお戻りください!」


「わぁぁぁぁーーー!!! る、ルアン! また来るからねー!」



 バタバタと出ていく姫様を唖然としながら見ていると、レオさんがベッドの隣に置いてあった椅子に腰かけて俺に向き合った。



「……ルアンと、呼んでいいんだな?」


「あ、えっと……はい」


「そうか。……俺は、レオ・サナックという。フワリリー家の執事で、同時に剣士でもある。今は基本的に姫様にお付きしているがな。

 ……君のことだが、こちらとしてはいてもらっても何ら構わない。しかし、やはり国を納めている立場の家だからな。戸籍がないのは、問題があるんだ。名前があるだけでは、戸籍は認められないのも事実」


「……分かっています。姫様はあぁおっしゃっていましたが、俺は元々、すぐにでも出ていくつもりでしたから」


「しかし、君はまだ一人で生きるには弱すぎる。年齢も、財力的にも、ましてやスキルもないとなれば仕事一つ見つけられないだろう」


「…………」



 だから、どうすればいいのか分からないで、雨の中倒れていたのだ。顔を伏せる俺に、レオさんは、意外なことを言ったのだった。



「――俺の息子になる気はあるか?」


「…………え?」



 思わず聞き返した。あまりにも突拍子の無いことだったから、頭の整理ができるのに少し時間がかかった。今この人は何て言った? 息子だって? え、つまりそれは……?



「……つまりそれは、養子に入るってこと……ですか?」


「そうだな」


「なんでまた……」


「…………なに、気まぐれさ。でも、そんなに軽い気持ちで言ってはいねーぞ? 姫様も君を案じていたようだし、な」


「……いいん、ですか?」


「良くなかったら言わないさ。それよりも君の気持ちを尊重したい。……どうだ? 君は、ここにいたいか? いたくないのならば無理に姫様に従う必要もない。それならそれで仕事とすむ場所くらいは提供できるように掛け合おう。……どうする?」



 ……俺の望み次第で、どうにでもできる。文字通り、俺次第ということだ。しかし、今の俺には、一つの道しか見えていなかった。



「……お世話になっても、いいですか?」


「……もちろん、歓迎しよう。ルアン・サナック」



 差し出された手を、しっかりと握った。……誰かと手を握ったことなど、あっただろうか? レオさんは手を離すと、呆れたように苦く笑う。



「にしても……追い出すにしたって、それならそれで、どうして今まで置いていたんだろうな?」


「あっ、それは多分……誰かを雇ったりするよりは、俺の食費だけの方が安いから、それで……。でもこの間、俺のせいで職場で昇進のチャンスを無くしたとかで…………」


「……見事な逆恨みだな。それで追い出されたのか」


「はい……多分、そうです」


「そうか……。あぁ、一応名義上では俺とお前は親子ということになるが、その辺りは気にしなくていい。呼び方も好きにしてくれて構わない。レオと呼んでくれてもいいし、父親として呼んでくれてもいい。それから、お前にはここで働いて貰おうと思う。俺も、いつ命を落とすか分からない仕事をしている。お前は、姫様の騎士になれ」


「騎士……でも、俺、剣なんて握ったこともなくて」


「そこは大丈夫だ。俺が教えてやる。これでも、フワリリー家第一勇者だからな」



 レオさんはそう自慢げに言った。第一勇者……騎士、剣士の中でも特に優れた人だけが、その家の中で、たった一人なれるという役職。



「レオさんって、そんなにすごい人だったんですね」


「なぁに、すごいことはないさ。それとは別にだ。

 ……お前は、スキルを持っていない。それは剣術を仕事にする者にとって不利になることには違いないだろう」


「…………」


「だが……スキルがないなら、これから身につければいい。他人に出来て、お前に出来ないことがあるはずない」



 レオさんは、腰に携えていた剣をはずし、俺に差し出した。小さい、数えきれない傷が入ったその剣は、鋭い光を放っていた。その光は、持ち主の本質を見抜いているようだった。



「……受けとれ。お前は、剣士ではなく、騎士になれ。剣を使って傷つけ、戦うのではなくて、姫様が傷つかぬように戦うんだ。あの方は、自分は護ることが出来ない。お前が、護れ」



 俺は、その重い剣を受け取った。そして、それを鞘から少しだけ抜いて刃をじっと見つめた。手入れが行き届いたそれは、俺を、認めてくれているのだろうか?



「……これから、よろしくお願いいたします」



 俺は剣を抱えたまま、レオさんに頭を下げた。

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