六章

 俺が、ルアン・サナックになってから一年。騎士として姫様と接していく度に、いくつか分かることが増えてくる。例えば――。



「ルアンー!」


「姫様、どうなされまし……どどど、どうなさいました?!」



 ……かなりのいたずら好きということとか。

 頭からだらだらと血を流しながら歩み寄ってくる姫様の肩を掴んでぐらぐらと揺らす。……半人前の俺が、血だらけの姫様を見て出来るのはこれくらいだろう。



「わわわ……る、ルアンー! うそうそ! 冗談だって!」


「冗談ならもっと笑えることにしてください!」


「えへへ、ごめんごめんー!」



 あとは……そうだな、



「ルアンルアン! ちょっと! ちょっとこっち来て!」


「え? なんでしょうか?」


「あのねあのね、ここにかてーきょーしのおばちゃんが来ると思うから、私のことは見てないって言ってほしいの! ね? お願い!」



 姫様は、かなりのサボり魔だ。なんど注意されても懲りずに抜け出そうとする。時にはこうして俺を使って。



「はぁ……お言葉ですが、姫様? 教育が受けられるのは幸せなことですよ? もっときちんとお勉強を」


「いいの! 私はあんな数字がいっぱいの世界になんか行かないもん! 大体なにさ! あのおばちゃん! 問題間違えたからってあんなに怒らなくても」


「……誰がおばちゃんですって?」


「…………る、ルアンー。ルアンってさ、私のこと護ってくれるんだよね?」


「…………私は姫様を見ませんでした。そういうことにしておきます」


「わぁぁぁ! ちょっとルアンー! お願い! 置いてかないでぇっ!!!」


「さぁ、姫様? 数字でいっぱいの世界に戻りましょうねー?」


「いやぁぁぁぁぁ!!!」


「……頑張ってくださいね、姫様」



 こんな姫様だが……いや、こんな姫様だからこそ、たまに見せる痛々しい顔は目を背けたくなってしまう。極度の心配性でもある姫様は、誰かを傷つけることを強く恐れ、人と関わろうとしなかった。それでいて、人と関わりを持ちたいと強く願うのだった。



「おっ、ここにいたのか、ルアン」


「あっ、父さん!」



 レオさんが父さんになってからは、驚くことばかりだった。そもそも、父親とは暴力を奮って暴言を吐き、子供を恐れさせるだけの存在だと思っていたから……。その大きな体格と豪快な物言いからは想像できないくらいに、レオさんは俺に良くしてくれた。稽古こそ厳しかったけれど、何かにつけて俺を気にして、遠くに出掛けるときには連絡も絶やさなかった。姫様を護り、俺には優しく厳しく…………父親って、こんなにあったいものなのか……。



「よくやってるみたいだな」


「まだまだですよ。俺なんて」


「お前は未だに自嘲癖が抜けないな。ダメだぞ? 勇者たるもの、何事にも前向きに行かないとな。そうでなきゃ、後ろに着いてくるやつが不安になっちまう。先陣きるやつが一番自分と仲間を信じてなきゃ」


「でも、俺にはまだ父さんがいますから」


「……俺だって、いついなくなるか分からねーぞ? なんせ、命を懸ける仕事をしている。言い換えてしまえば命を仕事にしている。いつまでもお前と一緒にはいられない。だから、お前にも強くなって貰わないとな、ルアン」



 とか言いつつも、俺が父さんの死を考えられないのは父さんに理由があると思うわけで……。第一勇者の実力は国を誇るほどだとは聞いていたけれど、この人は……うん。やばい。

 前に、俺の特訓だとか言って森に入って魔犬を倒しに行ったことがある。基本的に「習うより慣れろ」がモットーだから、上達が早い分稽古がハードだ。俺が魔犬に手こずってたら父さんが後ろから来て……



『ったく、ダメだなぁこんな魔犬一匹に手こずってるようじゃ』


『と、父さん! 今そんなこと言ってる場合じゃ』


『……ちょっと退いとけ。手本を見せてやるよ』



 そして襲いかかってきた魔犬の首根っこを掴まえ放り投げたのだった。……あれを見てから、倒される方にも敬意を払おうと心底思った。あまりに可愛そうだろ、あれ。

 まぁ、そんなこんなで、俺はどこか死を遠くに見ていた。誰かを失ったり、自分が死ぬことなんて、もっとずっと後のことだと思っていた。……思っていただけだったけど。



◈◈◈◈◈◈◈◈◈◈◈◈◈◈◈◈◈◈◈◈◈◈◈◈



「ルアン! ねね、聞いて聞いて!」


「はい聞きますよ。どうされました?」



 その日城に行くと、姫様は目をキラキラさせながら俺に駆け寄ってきた。そしてそのまま俺を部屋へ引っ張りこんで嬉しそうに話した。それを聞くところによると、どうやら森の中にとても美味しい果実がなる木があるそうで、



「一緒に探しに行かない?!」


「しかし、森は危険ですよ。様々な動物もいますし、道も、夜になれば分からなくなってしまいます。私と姫様だけで行くのは賛同できません」


「えー、ダメ?」


「ダメですよ。危険です」


「ぶー」



 ふくれてベッドに突っ伏する姫様を見て、なんだか申し訳なくなってきた。でも危険なことには変わらない。姫様を危険な目には遭わせられない。



「……なら、私もお供しましょう」


「え?」



 扉が開いて、父さんが入ってきた。



「姫様のことですので、また何か企んでいるのかと、外で盗み聞きしておりました」


「盗み聞き?! え、じゃあ今の全部……」


「はい、聞いておりましたよ。ルアンが了解していたら……どうなっただろうなぁ、ルアン?」


「いやぁ……聞きたくないなぁ……」


「はっ、冗談だ」



 父さんは軽く笑って姫様に話しかける。



「先程のお話ですが、確かに、ルアン一人では姫様を確実にお護りできるとは思えません。少なくとも、今の彼では。しかし、私がいれば、どんなことがあろうと姫様を護ってみせましょう」


「……じゃあ、行ってもいいの?」


「えぇ。三人でなら、大丈夫です」


「やったーーー! よーし、ルアン! 今すぐ準備して! これ命令ね? 分かった?」


「分かりました。では、後程」



 父さんと、姫様の部屋を出た俺は、その袖を少し引いて問いかけた。なんとなく不安だったのだ。


「……いいんですか? 父さん」


「なぁに、心配要らないさ。万が一のことがあったら命を懸ける覚悟くらい出来てるさ。それに、半人前だが、お前もいるからな」


「…………」



 なんだか照れ臭くなって顔を背けた。俺は、出会ってからずっと、姫様と父さんに助けられてばかりだ。いつもいつもフォローされて、俺はその後ろを追いかけて……。きっと、いつまでも追いつけないその背中を、いつまでも追い続けたいとそう……願った。



◈◈◈◈◈◈◈◈◈◈◈◈◈◈◈◈◈◈◈◈◈◈◈◈



「あっ、これなにかな? レオー! これって食べれる?」


「食べてみてはいかがですか?」



 それから一、二時間後、俺と父さんと姫様は森の中に来ていた。姫様はいろんな果物を見つけては食べていいか父さんに聞き、父さんは安全なものであれば食べてみるように勧めるのだ。……だがしかし、それが必ずしも美味しいとは限らない。現に、たった今、手に入れた赤い果物を食べた姫様はニコニコした笑顔から一瞬真顔に戻って、涙目で俺に駆け寄ってきた。



「ルアン! 水、水、水! みーずーーー!!!」


「えっ? あ、はい。水ですね……」



 俺が取り出しかけた水筒を姫様はひったくり、ごくごくと水を飲んだ。そして一息つくと、父さんを軽く睨み付けたのだった。



「ひどいよレオ……これ、スッゴい辛いじゃん……」


「まぁ、この国で一、二位を争うほどの香辛料ですからね。そりゃあ辛いでしょう」


「父さん! なにもそれを食べさせなくても」


「そうだそうだ! ……うぇー、まだ辛い…………」


「大丈夫ですか?」


「うぅん…………」



 さすがに申し訳ないと思ったのか、父さんが少し背の高い木から小さな紫色の果物を二つ取り、一つを姫様に差し出した。



「お口直しに」


「……辛くない?」


「辛くありませんよ。……ルアン、食べてみるか?」


「あっ、じゃあ……」



 差し出されたもう一つを受け取り、口に運ぶ。……確かに、ほどよい酸味と甘味でかなり美味しい。俺が普通に食べてるのを見て、姫様も食べる。そして、柔らかく微笑んだのだった。



「美味しいね、これ」


「そうですね」



 そうして果物を食べ終え、ふと上を見ると、空が赤く染まっていた。



「あれ……? もうこんな時間なんだね」


「結局、姫様が言ってた果実は見つかりませんでしたね」


「んー……もーちょっと探しちゃダメ?」


「ダメですよ姫様。父さん、そろそろ帰っ」


「――黙れ」



 急に変わった声色にビクッとして黙りこむ。姫様も父さんの様子に気づいたようで、そっと問いかける。



「……どうしたの?」


「……魔蝶鳥です。お下がりください姫様。ルアン、俺があいつの相手をする。お前は姫様を連れて先に城に戻れ。いいな?」


「分かりました。姫様、参りましょう」


「うん……。レオ、」


「なんでしょう」



 少しだけ振り向いた父さんに、姫様は強くいい放ったのだ。



「――命令です。必ず帰ってきなさい」


「……仰せのままに。……ルアン、走れ!」


「はい! 行けますか? 姫様」


「行けるよ!」



 俺は姫様の手をとり走り出した。ここから城まではそこそこの距離がある。追いつかれないうちに、なるべく遠くへ逃げないとならない。万が一に備えて剣を抜き、右手に構える。大丈夫、父さんはそう簡単にやられるような人じゃない。だから、俺は姫様を護ることだけに集中して……。



「っ?!」



 強い殺意を感じて姫様の手を強く引き背中に隠し、と同時に大きく剣を振るった。目の前には魔蝶鳥が迫っていた。精一杯振るった剣は簡単に避けられ、魔蝶鳥の爪で右腕を抉られる。



「っぅあ!」


「ルアン!」


「姫様、なりませぬ! 離れていてください!」


「だって怪我」


「いいから離れていてください!」



 俺の言葉を一切聞かずに駆け寄る姫様。それを狙っていたかのように魔蝶鳥が再び俺たちに迫る。しゃがみこんだ姫様を抱き締めるように覆い被さり、差し迫る恐怖から目を閉じる。



「――逃げろ、ルアン」



 数秒のことだった。後ろに人の気配を感じて目を開き、姫様から離れて振り向くと、魔蝶鳥の足が一本落ちていた。そして、その前に父さんが立ち、剣から滴る血を払った。



「父さん……」


「すまねぇな。少し隙を見せたうちにお前らの方へ行きやがった。足を落としたからそんなに速くは飛べないさ。今のうちに」


「父さん、俺も」


「その怪我じゃ無理だ。さっさと逃げろ。……姫様、必ず戻りますので、ご心配なさらずに」


「……ルアン、行こう」



 今度は姫様が俺の手を引く。後ろ髪を引かれつつも俺はそこから離れたのだった。



◈◈◈◈◈◈◈◈◈◈◈◈◈◈◈◈◈◈◈◈◈◈◈◈



「…………まだ、ですか」


「そうですね……連絡は来ておりません」


「そうですか。ありがとうございました」



 あれから三日、父さんは帰ってこなかった。もしかしたら、魔蝶鳥に? いや、まさかそんな。父さんに限ってそんなこと……。しかし、足を負傷しようとも、三日はかからない距離だ。ここまで帰ってこないとなると……。いや、ダメだダメだ。前向きにならなければ……。

 そんな風にして、だんだんと塞ぎ込む俺を、姫様は心配そうに見ていた。姫様の部屋で、姫様が勉強している。俺は少し離れた椅子に腰掛け、またぼぉっと父さんのことを考えていた。



「……ルアン」


「あ……あぁ、姫様。どうなさいましたか?」


「大丈夫?」


「私ですか? 大丈夫ですよ。心配なさらないでください」


「…………」


「…………」



 ……姫様には、どうやら見抜かれてしまっているようで、俺はどうしようもなく黙りこんだ。



「……あのねルアン。ルアンが来る前にね、私、レオにわがまま言ったの」



 姫様が椅子を回して俺に向き合い、笑った。どこか自嘲ぎみなその笑顔に、胸が塞がるようだった。



「……一人じゃやだって」


「…………!」


「えへへ……無理だよね。だって、ワタシ友達つくれないし……レオにずっと一緒にいてって言っても無理なのは分かってる。でも……さみしくて」



 姫様は笑いながら話しているが、俺は笑えなかった。どうしたって、笑えるわけなかった。



「そしたらね、レオ、『分かりました』って言って、それからずっと、私が一人にならないようにしてくれたの。先生とか、パパとか、ママとか、誰かは側にいてくれて、みんな無理なときはレオがいてくれたの。……今は、ルアンがいるでしょ?」


「……そうですね」


「こーんな無理なお願い、真面目に聞いてくれるような人だよ? しかも第一勇者! ……簡単にいなくならないよ。私の言ったこと、忘れてないよ」


「…………」



 ダメだなぁ、俺は。また年下の姫様に励まされて……。なぜか、そんなことは思わなかった。小さくて大きな姫様に、絶対の信頼を寄せていたのだ。



「そうですね……えぇ! きっとそうです! 父さんが簡単にいなくなるわけありませんから! だから、絶対絶対、大丈夫ですよね!」


「うん! あっ、ねールアンー、このまま街に遊びに行っちゃおうよ! だーれも見てないしー?」


「はは……また叱られますよ?」


「いーの! ほらほら!」



 強引に俺の手を引き、姫様がドアを開け、右に曲がったときだった。



「――どちらへ行かれるのですか? 姫様」



 大きくたくましいその人は、キラキラと輝く果実を抱えていた。



「三日もかけて見つけたんです……。三人で、お茶にでもしませんか?」




※※※



 ぬぁぁぁぁぁぁ! 更新が間に合わないぃぃぃぃぃ!!!

     ……という作者の叫びですはい。

 少し間が空いてしまうかもしれません。ごめんなさい!

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