三章

 ……悪いことを言ってしまったかもしれない。

 夕食をとったあと、ゆり様がお風呂に行っている時間、俺は一人でベッドに腰掛け、考えていた。

 あのあと、ゆり様はいつものようにニコニコ笑って、俺をからかったり、お父様やお母様と話したり『いつも通り』だった。……一人は嫌だ。でも、二人のあとの一人の方が怖い。俺にとっては、耳が痛い話だった。かつての俺も同じだった。一人になるのが怖くて、一人でいた。ぬくもりに触れて、凍えるのを恐れていた。だから、一歩を踏み出せなかった。



「ゆり様は、俺みたいだなぁ……」



 ポツリと、声に出して呟いた。とたんに、その時のことを鮮明に思い出す。……一人でいたくても、本当は、二人になりたいのだ。ぬくもりが恋しくて、泣きたくもなるのだ。ゆり様だけ例外だなんて、そんなわけない。

 ……姫様は、どうしていただろう? あの人の行動を思い出してみた。いつも、真っ直ぐな目で見つめられて、本音を吐かざるを得ない状況にされていた。



(……ははっ、そうだった。あのときも、俺は姫様に言い寄られて…………)



 俺に、姫様と同じことが出来るかは分からない。けれど、やってみないことには何も始まらない。貰った恩は、返さないと……。返せなくなる前に。



「ルアンー、お風呂あがったよー!」


「ゆり様!」


「ん? どうしたの?」


「……大事なお話があります。髪を乾かしたら、ここで、一緒に話していただけますか?」


「…………」



 少し戸惑ったように見えたゆり様だったが、明るく頷いた。



「……うん! 分かった! 髪、乾かしてくるね!」


「はい。お待ちしております」



◈◈◈◈◈◈◈◈◈◈◈◈◈◈◈◈◈◈◈◈◈◈◈



「勝ったぁ! 私の勝ち!」


「う……ぅぅぅぅ……」



 どうしてこうなった。俺が話をしようとしたとたん、ゆり様は『オセロ』と書かれた大きな箱を取り出した。オセロとはゲームのようで、お互いの駒をひっくり返して自分の色を増やすとかいう……。



『勝った方が、負けた方に聞きたいことを聞くんだよ?』


『え? でも、しかし……』


『ほーら、じゃーんけーん――』



 そして、二本先取の三番勝負。俺はゆり様にストレート負けした。つ、強い……俺が弱いのか?! いやでも、これじゃあ聞きたいことが聞けないじゃないか!



「んー、じゃあねー……あ、そうだ!」



 そういうと、ゆり様は少し身を乗り出して尋ねた。



「ねーねー、ルアンのいたところって、どんなとこ?」


「え?」


「オートルっていうんでしょ? どんなとこだった? 綺麗なとこ? 自然はいっぱいあるのかなぁ。あ、それとも、工業とかすごいのかな?!」



 あー……。聞きたいことを聞きたいのに、こんなに目を輝かせて聞かれたんじゃ、何にも言えない。



「オートルは、とても自然が豊かなところでした。けれど、動物はほとんど見ませんでしたね。森があって、そこには、広い花畑が広がっているんです。それぞれの花からはいい香りがして、蜜も甘くて美味しいんです」


「へぇー、ハチミツみたいなものなのかなぁ……。ルアンは、何て言う花が好きだった?」


「私は……そうですね。ジーリョという花が好きでした」


「じーりょ?」


「はい。白くて、いい香りがする花ですよ。大きい花びらが特徴なんです」


「へぇー……。じゃあ次! ルアンって、小さいときどんな子だったの?」


「かなりわんぱくだったと思います。よく城の庭で遊んでいました」


「じゃあねじゃあねー……」



 それからも、ゆり様は色々な小さい疑問をぶつけてきた。それらは全て、俺についてのことだった。ただし、必ず、姫様については避けているのだ。

 ……そして向かえた、54個目の質問。



「ルアンが話したいことって、なぁに?」


「――――!」


「話したいこと、あったんだよね?」


「……はい」



 俺は、ゆり様に、ずっと言いたかったことを言う。



「……どうして、人を恐れているのですか?」


「……えへへ」



 聞かれることが分かっていたように、ゆり様は、小さく笑ってみせた。あまりにも、痛々しい笑顔だった。



「あのね、私……なにも覚えてないんだ」


「え……?」


「気がついたらここにいて、学校に行って、勉強して、家に帰ってきて……いつから、どうしてそうなのか、何も分からないんだ」


「…………それは、つまり?」


「本当に何も分からないんだ。私はみんなのこと知らないのに、みんなは私のこと知ってるんだ。誰にも言えなかったから、それが怖くて。誰かと話して、それが分かっちゃうのが怖くて。それが分かったせいで、一人になるのが怖くて」



 ……ゆり様が、あまりに人を恐れすぎている理由が、なんとなく分かった。記憶がないということについては、何がなんなのか分からないし、本当のことなのかも微妙だが『人と違う』ということが、人生においてどんな役割を果たすのか。それは、俺もよく知っている。



「……ゆり様」


「ルアン……?」


「……ずっと、一人だったんですね」



 俺は、そういいながら、ゆり様の細く白い指に触れた。……冷たい。凍えているんだ。いつかの、俺みたいに。



「ルアン……っ」


「ゆりさ――」



 ――雨が降った。


 天井の明かりに照されて、下から見上げたゆり様の顔には影が落ちていた。どこかほっとしたような、解放されたようなその顔から流れた涙は、キラキラと輝いて降り注ぐ。ゆり様は、それを拭おうとも、隠そうともしなかった。



「……私、寂しかったのかな…………?」


「きっとそうです。私には、あなたはとても寂しげに見えていましたよ。

 ……ゆり様の、好きなように生きていいんじゃないですか? どのように生きようと、それはゆり様の人生です。周りがとやかく言えることではありませんので。もし言う人がいても、私が黙らせてみせますよ」


「……そんなちっちゃいのに」


「だ、だから! これはなぜかこんな姿になっていてですね? 本当はもっとこう」


「分かってる。分かってるって」



 泣きながら笑うゆり様は、確かに、前よりも明るくなっていた。それだけで、安心した。



「……ゆり様」



 俺は、もう一度言う。



「私と、友達を作りませんか?」


「…………手伝ってくれる?」


「もちろん、出来ることであれば、なんでもします」


「ありがとう……じゃあねー、一つだけ条件ね」


「なんでしょうか?」



 ゆり様はベッドの下からごそごそと、大きな何かを持ち出してきた。……え? 家?!



「これであーそぼ!」


「えっ……家……え…………」


「シルバ○アファミリーっていうんだー!」


「しるばにあ○ぁみりー……ですか?」


「そうそう! えっとね、ルアンはこっちでー……」



 なんだろう。すごく、嫌な予感がする。いや、気のせいだ。こんないい話っぽいことをしたあとだ。まさかそんな、あれがあぁなって、こうなるってことはないはずだ。うん、気のせいに……決まって……る…………。



◈◈◈◈◈◈◈◈◈◈◈◈◈◈◈◈◈◈◈◈◈◈◈◈



「……ね、ねーねー、き、昨日来た転校生さー?」


「あー、えっと、ルアン君、だよね! すっごいイケメンじゃなーい?!」


「だ、だよねー! ……えーっと、ゆり様?」


「ダメダメ! 今のルアンはルアンじゃなくて、リスちゃんなの!」


「えぇっとですね!? どうして私は一人二役を!? しかも男子ならともかく、なぜリスちゃん!?」


「腹話術上手だったから」


「これは前に姫様が……って、そうじゃないんですよ! そういうことじゃないんですよ! どうして私がリスちゃんを――」


「……ねー、リスちゃん」


「無視!?」



 ……いわゆる、あれだ。お人形遊び、というものに付き合わされているらしい。しかも、一人二役。なぜだ。なぜなんだ。オール裏声だぞおい。



「ほら! ルアン入ってきて!」


「え、あ、はい……。おおお、おはようハニーたち! ぐ、グットなモーニングだね!」



 それになんなんだこのキャラは! いや、人形にアフレコするよりも自分で動いた方がやりやすいはやりやすい。しかしだ。俺はこんなチャラ男じゃないっ! これでも勇者として剣を握っていた立場なんだ! それなのにこのリクエストは……うぅ、聞いてくださいゆり様ーっ!



「キャー! ルアン君だよ! こっち見てー!」


「き、きゃー……」


「ルアンもっと!」


「きゃーーー!!!」


「もっと!」


「泣きますよ!?」


「ほーら! 泣き出したリスちゃんをルアン君が慰める!」


「よ、よしよし、泣かないでハニー……うううん、あ、ありがとうルアンく……ってこれ一人でやるんですか!?」


「だって一人二役」


「か、勘弁してください! 私が断れないのをいいことに!」



 少しだけ拗ねてみせると、くすくすと笑われた。



「ごめんごめん! あまりにも面白いからつい……ね? 許して?」


「…………」



 また、姫様を思い出してしまった。あの人も、俺が断れないのをいいことにして、からかって、遊んで……。



「……また、お姫様のこと、考えてたの?」


「ゆり様……」


「ねぇ、お姫様って、どんな人だったの? ルアンにとって、どんな人?」



 ゆり様にならば、話せるような気がした。だって、ゆり様も話してくれたのだから。俺だけが話さないのは不公平だ。そう思った。



「……姫様は、私の恩人なんです」



 ゆっくりと、話し始めた。

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