二章
「ふぁぁ……ぁ、ったく、姫様は。こんな早い時間から呼び出して……ねむ」
王宮へと向かう道を歩きながら俺は半分無意識にそう呟いた。そりゃそうなのだ。普段5時に起きている俺が、1時に起きて、今は3時。眠いったらありゃしない。姫様の人使いの荒さ――特に俺に対して――は少し直してもらいたい。
「やぁぁっと来た!」
「姫様……深夜1時に起きたのですから、もう少し労ってくれやしませんか? 私は姫様を御守りする立場ではありますが、一応年上なのですよ?」
姫様のお部屋にやっとついたというのに、中に入ればプンプン起こりながら自分勝手を押し付ける姫様がいた。
「いいの! 私は待ってたの! だから謝らないの!」
「はぁ……」
「そ・れ・よ・り! こっち! こっち来て!」
「わ! ちょ、姫様! 待ってください!」
姫様に手を引かれ、どんどん王宮の奥へと進んでいく。俺もまだ来たことのないような場所。というか、俺、来ていいのだろうか?
「ひ、姫様? 国王陛下の許可は貰っているのですか?」
「パパの? ううん、貰ってない」
「マジでございますか……」
「敬語がおかしいよ?」
「テンパっているんですよ。どうするんですか」
「どうするって、何が?」
「ここから先、何があるか分かりませんよ? 戻った方が良いのではないでしょうか……」
「大丈夫、大丈夫!」
そうして笑う姫様のお顔が、いとおしすぎて……気づかなかった。
すぐ後ろに、黒くて、大きな影が渦巻いているのに。
「姫様っ!」
俺が動くのよりも少し早く、影が動いた。手を伸ばしただけでは、姫様を包み込もうとする炎を、止めることが出来なかった。泣き叫ぶような姫様の声を聞きながら、俺は絶望のあまり立ち尽くし、その俺を、影は容赦なく炎で包む。
「姫様っ……姫様、姫様ぁっ!!!」
あなたに受けた御恩を、私はまだ返せていないのです。なのになんで……なんでっ!
もし、運命と名の付くものがあるのなら、教えてほしい。
――どうして、そんなに俺の大切なものを奪うんだ?
◈◈◈◈◈◈◈◈◈◈◈◈◈◈◈◈◈◈◈◈◈◈◈◈
「ルアン……?」
「……ゆり、様…………」
「大丈夫? うなされてたよ?」
とりあえず起き上がって頭を整理する。そうだ、昨日俺はゆり様に助けられて、風呂からあがったあとにゆり様の部屋で、小さいベッドに横になって……。
「悪い夢でも見てたの?」
「……そうですね。今、一番見たくない夢でした」
「…………」
「大丈夫ですよ。あまり心配しないでください」
「……そっか。あ、これから学校だけど……一緒に行こ?」
「……了解しました」
それから、リビングにゆり様と降りていって、一緒に食事を取った。見たこともないようなものばかりだったけど……味は、悪くない。ゆり様の支度を待って、一緒に学校へと向かった。
「ここがゆり様の学校ですか……」
「うん!」
正直、綺麗とはいえないところだが、整っていて、使い勝手は良さそうだった。
……教室に入っても、ゆり様は一人、座って、なにかを読んだりしているだけ。俺は、その読み物のかげに隠れていたが、そっと声をかけた。
「ゆり様……ゆり様!」
「なに?」
「その……誰かとお話とか、しないんですか?」
「しないよ」
「その……どうして?」
「……だって、みんな無視するんだもん」
「…………」
と、その時だった。
「あれ……並木さん、それなに?」
「え……?」
「お? 何々?」
「……え」
なんか、嫌な予感がする。
「動くおもちゃなの?! それ!」
「いや私はおもちゃでは」
「しゃべったぁっ!!!」
「る、ルアンっ!」
「あばばばばば……」
「逃げたぞ! どこ行った?!」
「あいつ捕まえてクラスで飼おうぜ!」
(か、飼われてたまるか!)
たくさんの手に追われながら、俺は床を全速力ダッシュした。な、なんだこいつら! 獲物見るような目して! 俺はそんなんじゃないんだぞ!? 見世物じゃないんだぁっ! これでも勇者として頑張ってきたんだぁっ!
とはいえ、小さい身体ではスピードが出せず、とにかく曲がりまくって大きな手を巻いていた。と、何かの角を曲がった瞬間に、ぬっと、一つの手のひらが俺を掬い上げた。
「うわぁぁぁぁ!」
「しっ、静かに」
聞こえてきたのは、落ち着いた男子の声だった。彼は、俺を乗せた手のひらをそっと後ろに隠して、わざとらしい声を出した。
「あーあ、お前らが騒ぐから、あいつどっかに行っちゃったじゃん!」
「えー、そんなぁ……」
「今度見つけたらさ、絶対飼おうな!
絶対だぞ!」
「っしゃあ!」
……恐ろしい。恐ろしい生命力だ…………。
「……お前も災難だな。てか、ペットとかおもちゃにしたって、お前は並木のモノなのにな」
「――――」
そういえばゆり様は……。目をやると、机の下で、ぎゅっと手を握りしめ、下を見つめていた。誰も、ゆり様のことなんて、気にもかけなかったのだ。……胸が、ざわついた。
俺を拾った彼は、俺を、ゆり様の近くまで持っていった。そして、そっと机の中に隠してくれたのだ。
「ほらよ」
「……悠真君…………ありがとう」
「いいって。気をつけろよ。……お、ま、え、も、な?」
指先でつんっと頭をつつかれた。その、悠真という男子は、はにかむように笑うと、小さく手を振って自分の席に戻っていった。
……な、な、な…………
(なんていいやつなんだっ!!! 俺は今、猛烈に感動しているっ!!!)
「……ルアン」
「いやー、ゆり様、あのような方もいらっしゃるとは! 私は、とても嬉しいです! この世の中は廃れてばかりではなかったのですね!」
「……ちょっと親父臭いよ」
「なっ、そんなことは――」
……机の中から見上げたゆり様は、とても、辛そうな顔をしていた。辛そうだなんて、簡単に言えるような、そんなことじゃない。でも、辛そうだった。読み物を開き、腕とそれの間に顔を隠したゆり様は、かすかに微笑んでいた。
「わたし……ダメダメだね……」
「…………」
止めてください、ゆり様。
そう言えたら、楽だったのだろうか? 言ってはいけない……言ってはいけないのだ。これ以上、ゆり様を追い詰めては、いけないのだ。それが、自分にとっての逃げ道なんだとすれば、尚更だ。
◈◈◈◈◈◈◈◈◈◈◈◈◈◈◈◈◈◈◈◈◈◈◈
「ふぅー……大変だったねー、ルアン」
「……面目ないです」
「んー、まぁいいんだけどね。あっそうだ!」
学校からの帰り道、ゆり様の肩に揺られながら俺はゆり様と話していた。小さくて華奢な肩だけど、あたたかい。
「ねー、ルアン! ホットケーキ作ろーよ!」
「ほっとけーき?」
「そう! この前作ろうと思って材料買ってたんだー! ね? いいでしょ?」
「その、ほっとけーきとやらが何かは良くわかりませんが……ゆり様がそうおっしゃるなら」
「で、今日もまた一緒にお風呂入ろー!」
「それはダメです」
「なーんーでー?!」
「ダメなものはダメです! もう騙されませんからね!」
「うぅー……」
「…………」
拗ねてしまったのだろうか? ゆり様は顔を背けたまま、頬を膨らませていた。
「……ゆり様」
「……なぁに」
「お風呂には一緒に入れません。ですが……他のことでよければ、いくらでもお付き合いしますよ。何をしましょうか?」
すると、ゆり様はとたんに顔を輝かせた。
「本当っ?! じゃあねー、トランプしてー、オセロしてー、テレビ見てー、それからね……」
……こんなに可愛らしい方なら、友達の一人や二人、つくるのは容易だろうに。それなのに、まるでわざとそうしているかのように、ゆり様は一人でいる。
「うん! やっぱり、ホットケーキ作ろ!」
思い直したように言ったその顔は、確かに楽しそうなのになぁ。
家に戻り、ゆり様が、何かの箱から袋を取り出した。袋の中には、白い粉が入っている。
「これは……?」
「ホットケーキのもとだよ!」
それを、銀色の器の中に入れる。器の中には、何かの卵をといたものと、ぎゅうにゅうという白い飲み物。ウシという生き物の乳だそうだ。……それを、飲むらしい。この場所では。給食にも出ていた。俺は……ちょっと苦手だった。
「うんしょっと」
ゆり様が器の中身をかき回す。と、粉が少し舞い上がって口の中に入った。甘いような、酸っぱいような、不思議な味だ。こっちは、嫌いじゃない。
「ゆり様! なにかお手伝いすることはありますか?」
「んー、これ押さえててー」
押さえて……え、無理じゃね? 取り敢えず器にしがみつくようにして押さえるが、器はつるつるしているし、俺よりずっと大きいしで、押さえていて押さえていないようなものだった。
「あっ」
「わっ!」
ゆり様の手が滑ったのか、急に器が動いて流しに弾き出され、水が張られたコップの中に落ちる。……って、まずい…………。
「ゆり様っ! た、助けてくださいぃぃぃ! 私、泳げないんですぅぅぅぅっ!」
「え? そうなの? いがーい」
「ほ、本当に助けてくだ」
思いっきり水を飲んだ。ヤバイ、これは、死ぬ。
「ほいっ」
「げほっ、ごほっ……はぁ…………」
「ごめんね、大丈夫?」
「だいじょうぶ……です…………」
「そう……?」
「……多分きっともしかして」
「え、不確か過ぎない?」
「大丈夫です! はい! 本当に! ほっとけーき作りましょう! これ、焼くんですか?」
「あ、うんそう」
ゆり様は、黒くて大きい、ふらいぱん――昨日、お母様に教えていただいた――を取り出し、火にかけた。
「これね、油って言って、焼く前にフライパンにしくと、食べ物がくっつかないんだよ!」
「ほぅ……」
「じゃ、焼いてくねー!」
ゆり様は、一度ふらいぱんを濡れたタオルのようなものに置いて、もう一度火に戻し、そこにほっとけーきのもとを掬って流し入れた。じゅうっという、いい音がして、甘い香りが広がる。生地に気泡が出来てきて、ぷくぷくと膨らんでは消えていく。ゆり様は、生地の下にへらを差し込んで、一気にひっくり返した。
「はっ!」
「……おお!」
裏面は明るい茶色に、綺麗に焼けていた。こんがりとしていて、美味しそうだ。
「お上手ですね……」
「へっへーん! 料理は好きだし、得意だよ! ちゃんと出来たのを食べてもらって、美味しいって言ってくれるのも嬉しいし……」
ゆり様は、少しだけ悲しそうな顔をした。
「私……料理くらいしか、自分に自信持てないから」
「ゆり様……」
ゆり様は、ほっとけーきをもう一度ひっくり返し、火が通っているのを確認すると、お皿に乗せた。ふんわりと、優しい香りがする。
「……ほとんど、ゆり様だけで作ってしまいましたね」
「そうだね……でも、一人で作るより、ずっと楽しかったよ! ルアンと話ながら作るだけでも、本当に楽しかった!」
お皿に盛られたほっとけーきは、白い湯気をたてていた。ゆり様は白い固形物をほっとけーきの上にのせ、黄金色のトロリとした液体をかけた。
「こっちはバター。こっちはメープルシロップだよ! バターは牛乳から出来ていて、メープルシロップは、メープルっていう木から採れるんだよ!」
「そうなのですか……」
「ほらほら! 食べてみて!」
小さく切り取られたほっとけーきを両手でつかみ、口に運ぶ。まだ熱い。けれど、とても甘くて……優しい、ゆり様と同じ匂いがした。
「……どう、かな?」
「……とても……とても美味しいです!」
「本当!?」
「本当ですよ! とっても美味しいです!」
「良かったぁ……えへへ。うれしーなー」
この笑顔……本当に、人を幸せにしてくれる笑顔だ。……ゆり様は、このままで本当にいいのだろうか? 本当に……? 俺は、手の中のほっとけーきを見つめた。そして、ひらめいた。
「ゆり様!」
「ん? なぁに?」
「……私と一緒に、友達をつくりませんか?」
「…………」
ゆり様が、言葉を失い、固まった。それから、申し訳なさそうに、俺と目線をそらしたのだった。
「……むり、だよ…………」
「なぜです? 一緒に頑張りましょうよ! 絶対大丈夫ですから」
「怖いんだもん! ……人って、怖いんだもん」
「…………!」
『……人が、怖いんです』
俺自身の言葉が、そのまま俺に返ってきた。そんな気分だった。目の前に、過去の自分が――姫様に救っていただく前の自分が、いるような気がした。……でも、俺は、姫様ほど強くはない。
「……ですが」
「一人は嫌だよ? ……怖いし、寒いし、心細いよ? …………だけどねルアン。私……一人でいることよりも、二人になったあとに、一人になることの方が怖いんだ。裏切られるの……嫌なんだ…………」
涙を必死にこらえるゆり様に、俺は、なにも言えなかった。……言えなかった…………。
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