一章

 ……まず、状況を確認させてほしい。

 疑問一、ここはどこだ? 何やら、さっきからカンカンと音をたて、黄色と黒のしましまの向こうを、でかい何かがとてつもないスピードで通りすぎていく。あれは、何か新しい兵器なのだろうか? いや、にしてもでかすぎる。

 疑問二、なぜ生きている? あの炎の中で焼かれ、もはやこれまで、などとお決まりの台詞を心の中で確かに呟いた。しかし、生きている。何度か頬をつねったが、夢でもないらしい。

 疑問三、……姫様は、御無事なのだろうか? 俺が大丈夫ということは、可能性はなくもない。いや、あってほしいと願う気持ちの方が大きくもあるのだが……。

 そして、最後の疑問。

 ……。

 …………。


 ――俺はなぜ、三等身なんだ?

 いや、おかげでなのかなんなのかは分からないが、手足は右も左もしっかりついている。痛みも見事に無くなっている。それはいい。しかし、しかしだ。三等身。頭三つ分。身長だって5cmも無いんじゃないかっていうほどである。おかげさまで、歩いても歩いても、まだ3mほどしか進んでいない。それになんだか、フォルムかおかしい。先程巨大な――と言っても、本当は大したこと無いのだろうが――鏡を見つけ、そこに身体を映してみたのだが、白くて丸い、おまんじゅうのような頭に、取って付けたようなお粗末な手足(人形か、というレベル)。そのくせ、マントとベルトだけはいっちょ前につけている。そんな、なんとも無様な姿が映った。今は、それを一頻り笑い泣きして飲み込んだ直後なのだ。

 本当にどうすればいいんだ。こんな身体で、知らない世界でどうやって……



「……ニャァ」


「……ん?」



 あ、なんか嫌な予感がする。



「ニャァァァアアアア!」


「うわぁぁぁぁぁああ!」



 ……約一分。身体が数十倍もある毛むくじゃらの化け物に、俺がズタボロにされるまでそのくらいだろうか。

 結構なダメージだ。深い傷こそ無いものの、身体中から血が吹き出してくる。かなり激しい痛みにも襲われる。こういうとき、痛すぎると心臓が一度動く度に、気を失いそうになる。……あ、そろそろやばい。限界が…………。



「――大丈夫?」



 ふと見上げると、優しい瞳で俺を見つめる、姫様がいた。



「……ぁ…………」


(姫様……)



 とたんに言葉が込み上げてきた。伝えようと口をパクパクさせたが、頭が追いつかずに何も言えない。



「怪我してるの……? ごめんね、ちょっと触るね」



 姫様は、俺の身体を優しく持ち上げると、手のひらにのせ、抱き抱えるようにしながら、ゆっくりと歩き出した。



「大丈夫……助けてあげるからね」


(姫様……その言葉は、トラウマです)



 優しい姫様の温度に溶かされて、俺の意識は眠りに落ちていった。



◈◈◈◈◈◈◈◈◈◈◈◈◈◈◈◈◈◈◈◈◈◈◈◈



 次に目が覚めたとき、俺は何かに寝かされていた。そっと起き上がってみると、それは俺が寝てぴったりになるくらいの、小さなベッドだった。きちんと掛け布団も枕もあって、正直、とても寝心地がよかった。



「あ、起きた! 良かったぁ……。怪我も大体治ってるね! すごーい、一時間しか経ってないのに……」



 ふと、横にいた姫様が笑った。相変わらず、姫様の笑顔はバラが咲いたように可愛らしくて、美しくて……。



「ひ、姫様! あの、私は……」


「姫様? うーん、私は姫って名前じゃないよ? 偉い人じゃないし」


「え……?」



 せっかく、姫様が助かっていたと思ったのに……。期待を裏切られて、とたんに落胆する。



「私は並木ゆりっていうんだ。君は?」


「……私は、フワリリー家第一勇者、ルアン・サナックと申します」


「ルアン……? フワリリー家ってなぁに?」


「…………」



 フワリリー家を知らないとは、やはり、この世界は俺がいた世界とは全く違うものなのだ。目の前にいるのも、姫様とは赤の他人で……でも、あまりに似すぎていて、姫様として話す他なかった。



「……フワリリー家は、私がいた世界を統治していた、気高き一族です。私は、そのフワリリー家の、姫様に使えていたのです」


「……そんなにちっちゃいのに?」


「いや! 私は元々、こんな身体ではございません! もっとちゃんと手も足も生えていてですね、顔も……何か書くものを下さりませんか?」


「え? ノートと鉛筆でいいかな?」


「向こうの世界の、キャイエとマティナのようなものですかね……えぇ、十分ですよ」



 これでも、フワリリー家に使えるために、数々の英才教育を受けてきた身だ。絵を描くのは簡単だった。小さくなった体を懸命に動かし、自分の自画像――かなり乱雑になってしまった――を描いた。



「ほらゆり様! これが元の私ですよ!」


「へぇー……」



 ゆり様は、その絵をじっと見たあとに笑った。



「絵、上手いんだね!」



 違う! そうじゃない!



「ゆ、ゆり様! これが私だって信じておりますか?」


「ううん?」


「ですよね!?」



 ああぁ、ダメだ。こういう天然で少し抜けているところ、ますます姫様と似ていらっしゃる。



「えっと、ルアンは、これからどこに行くの? 姫様のところ?」


「……それが…………私は、戦いに敗れてしまったのです」


「猫との?」


「猫?」


「ニャーニャー鳴いてる」


「あれは猫というのですか! ……って、そうじゃなくてですね? 前に私がいた世界が、何者かに襲われ、皆、滅ぼされてしまったのです。私も殺されたかと思ったのですが、気がついたらこの体になって、この世界に……」


「そうなんだ……」


「だから……行く場所は、無いのです」


「じゃあここにいる?」


「へ?」


「ここで、私たちと一緒にいる?」


「……よろしいのですか?」


「うん! ママもパパも、絶対許してくれるって! ……それとも、嫌?」


「…………」



 嫌なわけないのだ。こんな優しい誘い、嫌と言ったらバチが当たる。ただ、自信がないのだ。姫様そっくりのゆり様を、私は、御守りすることが出来るのか。また……先に、力尽きてしまうのではないか。



「……私は、あなたを守ることができませんよ?」


「別にいいよ?」


「きっと、役立たずですよ?」


「分かってるよ?」


「……なら、なんで…………」


「だって……ほっといたら、死んじゃいそうだったし」


「…………」


「ね、いいでしょ?」


「……分かり、ました。しばらくお世話になります」


「うん! よろしくね、ルアン!」



 今度こそは、例え何があろうとも御守りしなければ……。ゆり様が、姫様でないとしても、俺はこの人を守らなければならない。


 また、人に一つ、借りをつくってしまった。



◈◈◈◈◈◈◈◈◈◈◈◈◈◈◈◈◈◈◈◈◈◈◈◈



「あの、ゆり様?」


「ん? なぁに?」



 俺は、ずっと気になっていた疑問をいくつか姫様にぶつけてみることにした。



「ここは、一体どこなんでしょうか? 私がいたのは、オートルという国だったんですが、ここは違いますよね? 幸いにも、言葉は通じるみたいですが、書き言葉は違いますし……」


「そうだね。えっと、ここは日本って言う国だよ」


「ニホン?」


「そうそう。ちょっと待ってね、地図出すから」



 そう言ってゆり様が出してきた地図は、やはりオートルとは違うものだった。うーん、見にくい……



 「えっとね、この小さいのが日本だよ。左上のおっきいのがロシアでしょ? 真下にあるのはオーストラリアで……」


「……あの、ゆり様、丸いのはありませんかね」


「丸?」


「えぇ、私のところでは、みんな丸くて、立体的だったんです。なので、見にくいというか、違和感と言うか……」


「丸くて立体的……あ、これは?」


 そういってゆり様が出して来てくれたのは、オートルの地図と同じようなものだった。



「地球儀っていうんだよ。私たちがいるのは、地球って言う星の、日本って言う国」


「そうそう! こういうのです! ありがとうございます、とても見やすいです」


「…………」


「……ゆり様?」


「じーーーーーーっ」


「……え?」


「…………えいっ!」


「うわわわわ! な、何するんですか!」



 ゆり様がこちらをじっと見たかと思ったら、急に俺を持ち上げてチキュウギの上に乗っけた。そして、



「そーれっ!」


「うわぁぁぁ!?」



 チキュウギをぐるぐる回し始めたのだ。遠心力に吹き飛ばされそうになりつつも、てっぺんの棒にしがみつき、なんとか耐える。



「ゆ、ゆり様ぁぁぁぁぁ! 止めてくださぁぁぁぁぁい!」


「え?」


「ギャッ」



 ゆり様が急に回転を止めたので、振り落とされるかたちで俺は下に落ちた。



「ご、ごめんね。大丈夫?」


「……だ、大丈夫です…………けど、ほどほどにしてください…………」


「ただいまー」



 ふと、扉の方から男性の声がした。



「あ、パパだ! ねぇ、パパー! こっち来てー!」


「あっ、ゆり様!」



 追いかけようと思って、目が回りまた転んでしまう。パパ、ということはお父様だろう。どう説明するんだろうか。こんな得たいの知れない生命体。



「なんだなんだ。引っ張るな」


「えっとね、紹介しまーす! こちらオートルっていうとこから来たルアン・サナック君です!」



 唐突の紹介にお父様も戸惑って、



「あーどうも。ゆりの父です」



 いなかった。



「あ、は、初めまして。ルアンと申します」


「あのねパパ、ルアン、行くとこないんだって。一緒にいてもいいよね?」


「いいよ」



 即答かい。



「よろしいのですか? 自分で言うのもどうかとは思いますが、こんなちっぽけで役立たずの私なんて、置いておいても意味はないですよ?」


「それでも構わないよ。それに、多分君は、ゆりの役に立つからね」


「え?」


「さて、ゆり。あとでママが帰ってきたら、同じように言うんだぞ? 多分いいって言ってくれるけどね」


「うん!」


「えっと、それでルアン君、だよね?」


「はい」


「ちょっと話していいかな?」


「……? ゆり様が構わなければ、私は」


「ん? いいよ! 私宿題やってるね!」


「頑張りな」


「はーい!」


「じゃあ、ルアン君はこっちにね」



 お父様に持ち上げてもらって、ゆり様の部屋の外に出た。なんというか、普通の家だった。ゆり様にはご兄弟もおられないような雰囲気だったから、家族三人と考えればちょうどいいくらいだ。ゆり様の部屋を出て階段を下ると、リビングに来た。大きめのローテーブルが一つと、ソファーが一つ、それに……画面がついた黒い何かがあるだけのシンプルな部屋だった。お父様はソファーに腰かけると、ローテーブルに俺を置いた。



「それで、話なんだけどね」


「はい」


「……ゆりは、今11なんだ。毎日学校に通っててね。結構遠いんだけどさ」



 11……姫様と同じだ。



「実は、あんまり学校で上手くやってないみたいなんだ」


「……と、いいますと?」


「簡単に言えば……友達がいないんだ」


「…………」


『私は、一人でいいんだ。だって、みんなに迷惑かけちゃうから』



 ……姫様と、同じだ。



「本人は気にしてない風に言うんだけど、やっぱり寂しいみたいでね。君がいれば寂しくないだろうし、もしかしたら友達を作るきっかけになるかもしれない……とか、俺は思ったんだよ」


「……私に、出来ることならばお手伝いします。ゆり様には、命を助けていただいた身でもありますから」


「そうか。ありがとう。……ところで、なんでそんなにへりくだっているんだい?」


「それはその……元いた世界で、私が使えていた人が、とてもゆり様に似ていらっしゃるので…………なんというか、自然とそうなってしまうんです」


「……そうか。心配してるだろうね、その人も」


「…………」



 それは……姫様が、無事でいるならばの話だ。ゆり様が姫様だったなら、どんなに良かったことだろうか。でも…………違う。



「ルアン君?」


「あ、すみません。ちょっと考え事を……」


「なんか、悪いこと言っちゃったかな?」


「いえいえ! ……気にしないでください。全て、私の責任ですので」


「……そうか。うん、分かったよ」



◈◈◈◈◈◈◈◈◈◈◈◈◈◈◈◈◈◈◈◈◈◈◈◈



 ……ゆり様の家族は、ゆり様が言った通りというよりは、それ以上に明るく、優しい人たちだった。お父様以上にお母様はそういう風に感じた。なぜって、俺を見た第一声が『やっとペット拾ってきたのね!』だから驚いた。いや、二つの意味で。……俺はペットなのか?



「ルアンー!」


「ゆり様、どうかなさいましたか?」


「ねね、ルアンはあのベッドで寝るのでいいよね?」


「あのベッド……あぁ、構いません。というよりは、そうしていただけると嬉しいです」


「よし! じゃあそれはそうとして……一緒にお風呂入ろー!」


「……は?」



 おかしいな、今、ゆり様が巨大爆弾を投下したように見えたんだけど……。



「いいでしょ? ねーねー!」


「い、いや、あの……」



 お、落ち着くんだ。相手は5つも年下の11歳だ。うん。ここはどうにかこうにかして『一緒にお風呂』なんて事態を避けなければならない。



「も、申し訳ありませんが、ゆり様。男女が共に湯船に浸かるというのはちょっと」


「何で?」


「何で?!」



 な、何でだろう。いやそれはつまりそういうことで、あれがああなって、それがそうして……。



「……ルアン、一緒じゃ嫌なの?」


「うっ……」



 そ、そんな泣き出しそうな顔で見ないでくれ!



「……そっか、嫌なんだね。じゃあ私一人で入ってくるから」


「……っ」



 ああぁぁぁぁぁもう! どうなっても知らないからな!?



 ――結論。一緒に入る。



「ルアンー?」


「……はい」


「なんか、負のオーラ漂ってるよ? ズーンっていう効果音つけられそう」


「……ズーン」


「どうしたのさ」


「考えてください」


「……なんで目閉じてるの?」


「もっと考えてください」



 ……なんということだ。一緒に入ると言ったとたんニコニコ笑って風呂場にダッシュされるとは。作戦か? 作戦だったのか?

 風呂の中はどんな状態かといったら、俺はさすがに体の大きさ的にゆり様と同じ湯船は無理なので、センメンキ? とかいうものにお湯を汲んでもらって、そこに入っている。で、それをゆり様は湯船に乗せてちょいちょい突っつきながら俺にお湯をかけたりして遊んでいるわけだ。



「目開けてよー遊んでよー構ってよー」


「いや、私は意地でもあなたのはだかを見るなんてことあってはならないのですよ」


「私はいいよ?」


「私がダメなんです」


「……うーん、そっか」



 しばらくして、ゆり様が黙った。やっと諦めてくれたか。そう思って安心して浸かっていると、何か違和感に気がついた。……水音一つしないのだ。さっきまでバシャバシャいってた反動かと思ったが、本当に何の音もしない。



「ゆ、ゆり様ー?」



 返事はない。とたんに不安になった。



(まさか、湯船で溺れて)



 そう思うと恐ろしくなって目を開いた。



「ルーアーン!」


「な、なななナナ……」


「ひーっかかったぁ!」



 目を開けばそこには、ニヤニヤと笑ったゆり様の顔。嬉しそうに笑うその人は、やはりなにも着ていない訳で……。



「あああああ! いっそ殺してください!!!」


「命は大切にしないとだよ?」


「そうですね!? 生きたまま殺してください!」


「ムリムリー」


「でしょうね!!」



 ああぁ……なんということだ……。そうだよ、そうだったよ。姫様はイタズラが大好きで、いつも俺を引っ掻けて笑わせて……。

 ……姫様……じゃ、ないんだよな。



「……ルアン?」


「もう見ませんからね?」


「……ごめんね」


「……え」


「なんか、悪いこと言っちゃったかな。イタズラしたから?」



 ……何のことを。



「さっきから、なんか悲しそうだから。私のせいかなって……。ごめんね」


「……ゆり様」


「…………」


「私を悲しませたくないのなら、笑っていてください」


「……へ?」


「笑って、いなくならないでください」

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